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滅亡回避し栄華を手に! 名門だけど滅び歴史に埋もれた豊嶋家の嫡男に転生したので天下統一を目指します。  作者: 武雅


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岩橋(千葉)討伐

1486年1月


今年は家族と一緒に江戸城で新年を迎え、その後、国人衆や家臣達から年賀の挨拶攻勢が一息ついたのは1月8日、姫初めも済ませ、新たに編成した第一、第二、第六軍団に岩橋孝胤(いわはしのりたね)を討伐する為、出陣を命じる。


第一軍団は俺の直轄で兵は5000、第二軍団は叔父の豊嶋泰明が率いる4000、第六軍団は武石信康率いる3000、合計で12000の兵だが、本佐倉城で千葉自胤(ちば よりたね)千葉実胤(ちば さねたねと)兄弟が1500の兵を率いて合流するので13500の兵になる予定だ。


江戸を出発し、下総の国府台城で武石信康の兵と合流するとそのまま進軍し、本佐倉城で千葉兄弟の兵を糾合し、岩橋孝胤が居城とする小見川城(千葉県香取市小見川付近)を目指す。


本来なら豊嶋家は専業兵士がいるので農繁期に合戦を仕掛ける方が有利なのだが、騒乱の真っただ中にある常陸で成氏に従う者と従わぬ者を判別する為に、年明けの出陣となった。


俺としては昨年末に産まれた嫡男をあやして居たいんだが…。

うん、シレっと流していたが、昨年末に照が元気な男児を生んでくれたのだ、名は道真の爺さんに考えさせたんだが、虎千代が良いと言う事で、幼名は俺と同じ虎千代になった。

嫡男の誕生とあって、予想通り江戸を挙げてのお祭り騒ぎとなり、酒宴の翌日、広間はいつも通り死屍累々だった。

うん、豊嶋家は平常運転で特筆事項が無い…。


それはさておき、岩橋孝胤が治めているのは下総の内、香取郡、海上郡、匝瑳郡の3郡、国人衆や地侍、農民の協力を得られれば最大で5000~6000の兵は絞り出せるのだが、風魔衆の報告によれば、どうやら俺が万を超える大軍を率いて来たと聞き、岩橋孝胤の元に集まったのは2000にも満たない兵との事だ。


岩橋孝胤は成氏や常陸の有力な国人衆へ援軍の要請をしたらしいが、成氏は援軍要請を無視し、常陸の者はそれどころではないと拒絶されたらしい。


俺が本佐倉城に入城した直後、岩橋孝胤から降伏の使者が来たけど、所領を全て差し出し、出家するなら命までは取らないと伝え帰らせたのだが、その後、使者が来ないので、抵抗の意志ありとして兵を進めている。


うん、岩橋孝胤の人望がないのか、それとも初めから岩橋に勝ち目は無いと思っているのか、香取郡に入ると続々と国人衆や地侍が豊嶋軍の元に参集してきて臣従を誓って来る。


その為、豊嶋軍が小見川城のすぐ近くまで兵を進めた時には、13500の兵が16000にまで膨れ上がっていた。


小見川城は本来そこまで大きな城では無いとの報告を受けていたが、岩橋孝胤が頑張って拡張したようで4000~5000の兵が籠れるだけの規模になってはいた。しかし、豊嶋の大軍を目の前にして士気が下がり、逃亡する者が後を絶たないらしく、兵の数は1500程にまで減っているらしい。


このまま数日城に圧力をかければ逃亡者が増えて城に籠る兵が減るのだが、逃亡者に紛れて岩橋孝胤とその一族まで逃げ出し、後々下総で兵を挙げられたら面倒なので、一気に城を力攻めにする。


小見川城を攻めるのは、臣従を申し出た香取郡、海上郡、匝瑳郡の国人衆と本佐倉城の千葉兄弟の兵。

千葉兄弟は、主に香取郡、海上郡、匝瑳郡の国人衆達の戦いを指揮するように命じてある。


当初、岩橋孝胤は、豊嶋軍が迫ったら城を捨てて常陸に落ち延びて再起を図ろうと企んでいたのか、風魔衆の報告では何人もの使者を常陸の国人衆達に送っていたが、他者を構う余裕のない常陸の者達、ことごとくが良い顔をしなかったらしい。


まあ当然といえば当然だ。

常陸は勢力争いや、骨肉の家督争いで混沌としているし、成氏に従属を誓い所領の安堵と援軍を要請している者もいる。

そんな所に使者を送って落ち延びるので受け入れてくれ、と言っても誰も相手にする訳が無い。


進退窮まった岩橋孝胤は残った家臣とその兵で小見川城に籠り、豊嶋軍から城を守り切り、長陣となった頃を見計らい和睦を狙っていると思うのだが…。

既に残すは小見川城の本丸のみとなっている。


攻め寄せる香取郡、海上郡、匝瑳郡の国人衆達は、豊嶋に従属する事を選び家を残そうとした者達であるが、今までは岩橋に従っていた。


そのような者が気の抜けた戦いをしていれば、岩橋と未だに繋がっており、豊嶋に従ったのは表向きでいずれ岩橋が再起を図った際に裏切るのではと疑われ、戦後、どのような扱いを受けるか分からない。

なので城を攻める国人衆達は手柄を挙げて信頼を得ようと必死で兵を叱咤し我先にと城へと攻めかかっている。


我攻め…。

正に言葉の通り、被害を無視した強引な力攻めだ。


士気の低い岩橋の兵は、鬼気迫る表情で攻め寄せて来る敵に対し、矢を射掛、石を投げて抵抗をするも、攻める兵は柵を乗り越え、空堀を越えて、必死に城に取り付く。

城攻めが始まり暫くすると、門が破られ兵が城内に殺到し、抵抗をする者を次々と討ち取っていく。


鬼気迫る勢いの敵に、抵抗を止め、武器を捨てて降伏の意を示す者も現れ出すが、無情にも手柄に飢えた寄せ手の将兵の刃が容赦なく振り下ろされる。


城攻めが始まって約1時間ぐらいが経過した頃、本丸の主殿に火の手が上がり、暫くすると勝鬨の声が聞こえて来た。


「申し上げます。 小見川城落城、岩橋孝胤とその一族は主殿に火を放ち自刃したとの事にございまする」


城攻めを指揮していた千葉兄弟より送られた伝令がやって来て、本陣にて城攻めを見守る諸将へそう告げると、多くの者が燃える小見川城へ目を向ける。


「うむ、大儀である! 戻って見事な指揮であったと千葉自胤、千葉実胤に伝えよ。 それと城攻めに加わった国人衆をねぎらう事も忘れるなとな」


「ははっ!!!」


短い返事をした伝令は、頭を下げると、そのまま本陣を辞して千葉兄弟の元へ戻っていく。


千葉兄弟にはいずれ下総東部の国人衆の旗頭となり第六軍団を支えて貰わないと困る。

なので指揮を執らすだけではなく、国人衆への労いも忘れるなとの言葉を伝え、その後の様子を確認する。


これで国人衆への労いが疎かになり、不満を持たれるようならそれまでの者として、本佐倉城とその一帯を治める一国人衆程度に扱いを変える必要もある。


まあ国人衆達の心を掴み、人心掌握が多少なりとも出来るようならいずれ一国を任せる事も出来るのだが…。


さて、どうなるか。


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