家督争い
1484年6月
関東は相変わらず静寂に包まれていたが、駿河で大きな動きがあったとの報告があった。
亡き今川義忠の嫡男である龍王丸を擁立する伊勢盛時(後の伊勢早雲)が、今川家当主の座を狙う小鹿範満に対し兵を挙げたのだ。
龍王丸を補佐するとの名目で伊勢盛時は石脇城(静岡県焼津市石脇下字山崎付近)に入ると、かねてより密かに準備をしていたのか、即座に龍王丸派である国人衆の兵達を集め、小鹿範満が政務をおこなっている駿河館(後の駿府城)へ攻め込んだ。
太田道灌の命で伊勢盛時の動きを探っていた風魔衆が石脇城に兵が集まっている事を、小鹿範満に伝えた為、何とか伊勢率いる龍王丸派の兵から逃れられ、小鹿範満を支持する蒲原満直の居る蒲原城(静岡県静岡市清水区付近)に逃げ込んだのだ。
小鹿範満が駿府館を放棄し逃げ出した事で、館をほぼ無傷で手に入れた龍王丸派の国人衆達は、伊勢盛時がこのまま兵を進め、小鹿範満を討ち取るべきと主張したのに対し、駿府館から小鹿範満を追い出した事で、これ以上の流血は今川家を弱体化させるとして、まずは小鹿範満を支持す国人衆を調略すべきだとし、意見が対立した。
結果的に、多くの国人衆が調略を支持し、伊勢盛時が折れた事で、まずは調略を始める準備に取り掛かったが、これが結果的に小鹿範満に立て直しの時間を与えた格好となった。
一方、蒲原城へ逃げ込んだ小鹿範満は駿東郡を勢力下に収めた太田道灌に対し、富士郡に所領を持つ龍王丸派の国人衆を攻めるよう要請すると共に、自分を支持する国人衆達へ一斉に兵を挙げ、龍王丸派の国人衆の所領を攻めるよう書状を送る。
同様に駿河館に入った龍王丸派も小鹿範満を支持する国人衆へ書状を送り、龍王丸に帰順するように促すが、応じた者はごく一部で、小鹿範満派の多くは、各地で兵を挙げ、龍王丸派の国人衆の領地を攻め始める。
これにより、龍王丸を支持し兵を出していた多くの国人衆は、所領へ戻り対応せざるえなくなった。
そんな駿河の状況を好機と見た道灌は、伊豆の海賊衆に出陣の依頼をし、夜間の闇を利用し船で小鹿範満の兵500を清水湊へ上陸させ制圧させると共に、海賊衆は兵を下ろした後、そのまま、石脇城近くの焼津湊を襲撃した。
清水湊を押さえられ、焼津湊は海賊衆に乱取りされた後、火を放たれ町を焼き払われた事で、龍王丸派の勢力が弱体化する事を恐れた伊勢盛時は一旦手に入れた、駿河館を放棄し石脇城に後退し立て直しを図ると共に、遠江の守護である斯波義寛に援軍を要請する。
援軍を求められた斯波義寛も、小鹿範満の討伐に手を貸し龍王丸に家督を継がせる事で、今後、今川家に対し影響力を与えられると考えたのか、それとも混乱に乗じ駿河を手に入れようとしているのか、即座に遠江より兵3000を派遣し龍王丸派を支援する動きを見せる。
斯波家の介入により、勢いを取り戻しつつあった龍王丸派であったが、道灌の後押しもあり勢いに乗じた小鹿範満に庵原郡、有渡郡、安部郡の大半を押さえられ安部川を境に対峙する事になった。
龍王丸派は、この機に安部川の西、志太郡、益津郡に所領を持つ小鹿範満派の国人衆を討ち地盤を安定させているが、小鹿範満も同様に庵原郡、有渡郡、安部郡に所領を持つ龍王丸派の国人を討ち地盤を固め対抗する。
これにより、今川家は安部川を挟んで完全に2つに割れた状態となり、その後しばらくの間、膠着状態となったとの事だ。
道灌の命で駿河の状況を報告しに来た風間元重の弟である風間兼重から書状を受け取り、口頭で報告を聞く。
「現状は膠着状態か…、だが遠江の斯波義寛が動くのは予想外だな。 龍王丸の父である義忠は斯波家との争いで命を落としたともいえる。 そして斯波は今川が勢いを取り戻せば再度、遠江に攻込まれる可能性もあるにも関わらず兵を出した。 道灌は何か言っていたか?」
「道灌様いわく、恐らく以前より伊勢盛時が斯波義寛と接触していた可能性があると申しておりました。 それと、石脇城を監視している者より、甲斐と石脇城を使者が何度も往復しております。 道灌様の予測では甲斐の武田家にも援軍を要請しているとの事でございます」
「甲斐の武田か…、恐らく武田は動かない、いや動けないだろうな。 甲斐も武田の内紛で割れている。
援軍を出すのでは無く、援軍を出して欲しいぐらいだろう」
恐らく甲斐の武田信昌(信虎の祖父、信玄の曽祖父)は龍王丸に援軍は出さない。
甲斐では穴山家、大井家、今井家等が独立の動きを見せているうえ、飢饉や疫病、一揆が頻発しそれどころではないはずだからだ。
だが斯波義寛の動きが速いのが気になる。
以前より伊勢盛時と接触をしていたとしても、斯波家に龍王丸を助け、今川の家督を継がせた所で利が無い。
にもかかわらず、即座に兵を出したのだ。
「兼重、道灌は書状で、伊豆に居る小具秀康と国人衆を動かす許可を求めて来ているが、道灌には海賊衆以外は動かせぬと伝えよ。 伊豆は三浦家と共同で統治しておる、海賊衆は豊嶋の自由となっておるが、内地の国人衆を動かすには三浦家と相談せねばならぬ。 それに何か引っかかるのだ」
「かしこまりました。 では道灌様には伊豆の件はそのようにお伝えいたします」
「それと小山田信隆に命じ相模へ向かう者を関で厳しく取り調べ、龍王丸、いや伊勢盛時、斯波義寛からの使者と思しき者は、密かに消すように伝えよ。 杞憂であれば良いが、万が一にも古河の成氏と繋がっているとすれば…」
「そのような事は無いかと…」
「そのような事が無いと何故言い切れる。 元々、龍王丸が元服するまでの間は小鹿範満が後見として今川家の政務を取り仕切る事になっておったのだ! にもかかわらず龍王丸、いや伊勢盛時は動いたのだ。 念には念を入れよ。 道灌にもそう伝えよ」
「ははっ!!」
「まてっ!」
やはり何か引っかかる。
杞憂であったとしても出来る限りの手を打っておくべきだ。
風間兼重が席を立ち部屋を出ようとする所を呼び止めて追加で道灌への命を追加で与える。
「兼重、道灌に、小山田を通じ、甲斐の穴山、大井の両家へ武田から自立する為の支援だとして兵糧500石と1000貫文を送り、自立の動きを活発化させ武田を動けなくさせるのだ。 それと小山田への手出しをしないよう話を付けるよう伝えよ」
「かしこまりました」
再度、兼重が頭を下げ部屋を出て行く。
地図を広げ駒を並べて状況を整理する。
もし伊勢盛時の動きが古河公方と連動しているとしたら?
いや、その場合の計画は一部頓挫しているはずだ。
恐らく伊勢盛時の計画では駿河館を強襲し小鹿範満を討つことで駿河を纏める計画だったはずであり、小鹿範満が難を逃れ巻き返しを図った事で計画が崩れ出している。
とはいえ、伊勢盛時が安部川を越え本格的に進軍を開始した際、遠江の斯波義寛がどの程度の兵を出すかで戦況が変わって来る。
しかも、古河公方と通じて動いたとすれば、伊勢盛時が動いたのは駿河を纏め、伊豆、相模に兵を出す為、だとしたら古河公方はそれと連動し動くはずで、恐らくそれは、今年の刈り入れが終わった直後。
まずい、最悪の状態を想像したら現状だとマズイ事になりかねない。
急いで近習の者を呼び、三浦時高殿、太田道真殿、成田正等殿、里見成義殿、千葉自胤へ、急ぎ江戸城へ来て欲しい旨の急使を送るよう命じるとともに、道灌を除く主だった家臣を集めるように指示をだした。
急ぎ防衛計画を立てないと…。
誤字脱字のご指摘誠にありがとうございます。
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