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滅亡回避し栄華を手に! 名門だけど滅び歴史に埋もれた豊嶋家の嫡男に転生したので天下統一を目指します。  作者: 武雅


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静寂

1484年4月


俺の予想では、昨年の刈入れが終わったら関東管領と古河公方に何かしらの動きがあると思っていたが、特に表立った動きも無く、関東は一部を除いて一時の平穏が続いていた。


一部を除き…。

うん、上総の真里谷信勝が、里見成義に奪われた真里谷城奪還と、豊嶋の勢力下に置かれた江戸湾沿岸部の上総の奪還の為に兵を挙げたぐらいだ。


国府台での合戦の傷がまだ癒えていないとは言え、真里谷信勝自身、居城であった真里谷城を奪われた事で、上総での影響力が低下する事を恐れた為だと思うが、信勝の動きを察知し、養老川の流れる久保で待ち伏せしていた里見成義に敗れ庁南城へ逃げ帰った。


信勝は真里谷城を落とした勢いで江戸湾沿岸部も奪還しようとしていたようで、豊嶋が制圧した地域の国人衆達に兵を挙げ、豊嶋を上総から追い出すようにとの書状を送っていた。

だが、信勝の目論見は見事に外れ、多くの国人衆達は、上総の山木白船城を上総支配の拠点と定め、城の拡張に励んでいた叔父の豊嶋泰明へ信勝からの書状を届け、忠誠の証にしたのだ。


泰明から真里谷が兵を挙げようとしていると知らされた里見成義が、真里谷軍を待ち構えていたのも当然の成り行きといえる。

そして、義理堅く真里谷家の命で兵を挙げた、江戸湾沿いの国人衆は、豊嶋の直轄領が増えると喜ぶ泰明によって攻め滅ぼされた。


豊嶋に従う国人衆が陣触れを出し、泰明の元へ向かおうとした時には、専業兵士2000を率いた泰明は既に城攻めをおこなっていると言った感じで、これにより日和見していた国人衆達も慌てて豊嶋家に臣従を申し出た。


真里谷信勝が残念なのか、それともこの時代の人間と俺の考え方が違うのか。

俺だったら、まずは真里谷城奪還に集中する為に、豊嶋に臣従している、していないに関わらず、江戸湾沿岸の国人衆達に、【今、兵を挙げ豊嶋と争えば各個撃破される可能性があるから、暫くは豊嶋に従うふりをし、時を待て】と書状を送った方が効率的だと思うんだが…。


そうすれば豊嶋としては、誰が本当に臣従し、誰が偽りの臣従か分からずに疑心暗鬼に陥る可能性があるし。


まあおかげで、上総における豊嶋家の直轄地が増えたうえ、真里谷家の影響力が低下し、豊嶋家、里見家に降る国人衆も増えたから良いんだけど…。


うん、関東で唯一、上総だけは平穏では無かったな。


ただ、豊嶋家では叔父である泰明以外は平穏だったおかげで、かなり内政と軍備増強に力を入れられたのは大きかった。


専業兵士も15000人程まで増え、鉄砲隊も2000人となり、大鉄砲隊200人、そして力士隊を新設し300人を揃えた。

特に下総、上総の一部を手に入れた事で、そこに住む農民の三男、四男などが多く募兵に応じた事が大きい。

まあ所領を追われた国人衆の家臣なんかも混ざっているが、殆どが下級武士であり、多くの者は専業兵士の給金の方が良いからとの事だった。

だが当然の如く15000人以上も江戸城下に住まわす事も出来ない為、江古田原沼袋に訓練場と長屋を建設し、そこに住まわせている。


常時江戸城に配備する兵士は1000人程も居れば十分なので、鉄砲、大鉄砲、力士隊以外は、一月ごとに輪番で江戸城の警備をさせ、それ以外は訓練と治水や建設などをさせている。


鉄砲、大鉄砲隊の訓練場は大泉にあり、長屋も大泉だが、江戸までの一本道が出来ている為、陣触れを出せば江戸城へは直ぐ到着出来る。

なんせ鉄砲隊も大鉄砲隊も馬術訓練しているから全員馬に乗れるから。


尚、力士隊は基本的に江戸城の城下に長屋を用意し住まわせている。

力士隊は、鉄製の鎧を着込み、鉄を張った盾、鉄の棒を主兵装とする打撃重視の部隊だが、基本的に訓練内容は筋トレと食事がメインとなっているだけで、出費が多かったりする。


なので、毎月5日程、豊嶋家が興行を主催し、相撲を取らせているからだ。

怪我が一番怖いので、現代のような固めた土の土俵は作らず、地面に柔らかい砂を敷き詰め、そこに円形の勝負俵を埋め込んだ感じである。


相撲は、興行を始めると、江戸の町民たちの娯楽として人気を博し、毎月ある5日間の開催期間は満員御礼だ。

もっとも、ルールは現代の相撲ルールを適用しているので、勝負俵の外に出されるか、足の裏以外が地に着いたら負けになる。


300人も居るから、対戦者も毎回違ううえ、力士隊の似顔絵を纏め、下に対戦相手、勝敗を自身で書き込めるうえ、端に穴を2つ明け、紐を通した冊子にし販売した事で、新人の似顔絵が販売されたら自身で付け加える事も出来るようになっているので、その辺も人気の一つとなっている。


これに関しては、今回、凸版画を導入した。

版作りに苦労はしたが一度出来たら、似顔絵版画の量産が可能なので大量に冊子を作成し売り出せた。

入場料と冊子販売が順調な為、力士衆の食費がかなり浮いている。

その内、長屋ではなく、力士隊を2~30人単位で小隊を編成し、1つの館で共同生活させて、現代のように相撲部屋みたいにするのも良いな。

町民が差し入れと言って食材なんかを持ってきそうだし…。


因みに専業兵士の指揮官クラスに関しては、若返りを図っている最中だ。

今迄、専業兵士の指揮官として、武石信康、馬淵家定、菊池武義が主に兵を率いていたが、若手の矢野元信、馬場勇馬、羽馬一馬、多田弘雅、間宮秀信、等を指揮官とすべく、訓練の指揮を執らせている。


武石信康、馬淵家定、菊池武義の3名は嫌だと言うが、俺としては、今までの戦功も申し分ないので城持ちにしてあげたいのだ。

特に武石信康に至っては、分家の分家どころか更に細分化された家の者ではあるが、千葉家の一門で、下総の武石郷を領し武石を名乗った千葉常胤(ちば つねたね)(平安~鎌倉時代の千葉家当主)の三男である武石胤盛(たけいし たねもり)を祖とする…、はずだ。


なので現在、本佐倉城と佐倉一帯を領し、千葉宗家を名乗っている千葉実胤(ちば さねたね)と弟で当主となった千葉自胤(ちば よりたね)に武石信康を千葉家の一門とし、分家としての武石宗家と認めるようにと依頼している。


千葉自胤は当初、千葉家の乗っ取りと警戒したようだが、馬加城(京葉道、武石IC付近)を改修して名を武石城とし、下総から上総へ続く道の守りと有事の際に拠点とする事を説明したうえで、千葉宗家は千葉兄弟の子息を代々当主とし、養子を迎える事態になった場合も豊嶋は関与しない事を伝えたら、快く了承してくれた。


現在は、千葉家の家系図を改竄し武石信康を千葉宗家に近い家柄の者にしようと頑張っているらしい。

うん、家系図の改竄、大変だよね…。


後は、琉球と明に向かっていた大型船も無事帰って来て、明からは砂糖とサトウキビの苗、職人と鉄、陶磁器などを仕入れて来た。

これで産業の振興を行えば、かなりの利益と関東独自の文化が広まるはずだ。


サトウキビの苗は今後も入手可能との事なので、とりあえず大泉で栽培をさせてみる。

多分ダメだろうけど…。

伊豆か安房で栽培させたいけど、まだ時期尚早なのが悩みの種だ。


因みに三峯宮の再興に関しては、父である泰経に再度、京に行って貰い、公家の花山院家と日野富子に500貫文で仲介を依頼し、聖護院に1000貫文を寄進したうえで、三峯宮の現状を説明し、「大権現」を賜って来た。


日野富子に関しては500貫文を前にしたら、即答で快く引き受けてくれたらしいが、花山院家にも仲介を依頼した事で、今後、三峯宮の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるとの条件が付いたが…。


そして三峯宮が「大権現」を賜った事で、京の職人を呼び寄せ、現在は堂舍を再興と三峯宮の造営が始まっている。

長尾景春には、堂舍の再興と寺の造営が始まるまで、なんとか気付かれずに事を進められた。


景春が気付いた時には、既に再興に必要な金は山主に渡してあり、職人も人足も裏で豊嶋が集めていた為、慌てて寄進をしたが、既に時遅く、豊嶋家の尽力により再興が始まった三峯宮として関東各地の修験者達に広まっていった。


景春にとって最悪だったのは、白井長尾家が秩父を領しながら長年、再興をしようとせず放置していたという話が、豊嶋家の尽力によりという話と共に広まった事だ。


事実である為に否定も出来ず、修験者達からは長尾家の株がダダ下がりだと思う。

何処から出た話かは知らないけど、可哀そうな事だ。

誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。

宜しくお願い致します。


また評価、ブックマークありがとうございます。

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