GIVER
DeVourceの一員として迎える、ルチエの最初の朝。
始まりは、とても単純なものだった。
新しい部屋。
広くもなければ、豪華でもない。
だが、これまで暮らしていた家とはまるで違っていた。
そこはDeVourceの建物の一角にある、訓練参加者用の仮住居だった。
ルチエはベッドの端に座り、手渡された仮の身分証を見つめる。
Luchie — Trainee
まだ実感が湧かなかった。
数日前まで、自分はVougwertzについて何も知らない普通の少年だった。
それが今では――
能力者を守る組織の中にいる。
コンコン。
扉を叩く音がした。
「ルチエ」
Gelbの声だ。
「どうぞ」
扉が開く。
「今日は二つ、やることがある」
「何ですか?」
「まず、家族に話せ」
ルチエは黙った。
「それで、二つ目は?」
「訓練だ」
ルチエはため息をついた。
それは予想していた。
だが両親に話すことのほうが、ここへ来ると決めた時よりも難しく感じられた。
昼。
ルチエは家へ戻った。
姿を見るなり、母親が尋ねる。
「どこに行ってたの?」
ルチエはリビングに座った。
「話したいことがある」
椅子に座っていた父親も、こちらを見る。
ルチエは数秒迷った。
「俺……DeVourceに入った」
部屋が静まり返った。
母親がルチエを見つめる。
「DeVource?」
ルチエは頷いた。
「Vougwertzの組織?」
「うん」
母親の表情が変わる。
「血清を受けたの?」
ルチエは首を横に振った。
「血清なんて、一度も受けてない」
両親が互いの顔を見る。
ルチエはすべてを話した。
Ziehenのこと。
WiTakerのこと。
DeVourceのこと。
そして検査の結果、自分の体内から血清が一切検出されなかったこと。
話が進むにつれ、両親はますます口数を失っていった。
やがて――
母親が泣き始めた。
「母さん?」
ルチエは驚いた。
母親は顔を覆う。
「私たちは……あなたに何も与えていないのに……」
ルチエには、その言葉の意味が分からなかった。
父親も黙ったままだ。
だがその表情から、ルチエには説明しにくい感情が見えた。
悲しみ。
そして――
喜び。
まるでルチエに力が宿ったことを誇らしく思う一方で、同じくらい恐れているようだった。
「二人とも……どうしたの?」
ようやく父親が口を開いた。
「お前が、こんなふうになるなんて思っていなかったからだ」
ルチエは俯いた。
そこで初めて、Vougwertzというものが家族の人生にどれほど大きな影響を与えているのかを感じた。
一つの能力が、人を泣かせる。
誇りを抱かせる。
そして、恐怖さえ抱かせる。
自分の家族にさえこれほどの影響を与えるのなら――
Vougwertzという力は、この世界にとって一体どれほど重要なのだろう。
その夜。
両親の許可を得たルチエはDeVourceへ戻った。
そして、最初の訓練が始まった。
Gelbに連れられて入ったのは、特殊な素材で床が覆われた空の訓練室だった。
「Ziehenは単純な能力じゃない」
Gelbが言う。
「分かってます」
「いや。まだ分かってない」
Gelbは部屋の中央を指差した。
「何か想像してみろ」
ルチエは手を上げる。
頭の中に、球体を思い浮かべた。
指先が動く。
一本ずつ、空中に線が描かれていく。
やがて、小さな球体が浮かび上がった。
ルチエは笑う。
「できた」
「維持しろ」
その笑顔が消える。
数秒後。
球体が震え始めた。
表面が歪む。
そして――
消えた。
ルチエは黙り込む。
Gelbはただ観察していた。
「どうして?」
「集中が切れたからだ」
ルチエはもう一度試す。
今度は簡単なナイフ。
具現化には成功した。
だが、形は完全ではない。
片側が歪んでいる。
「Ziehenは、お前の頭の中にあるものに従う」
Gelbが説明する。
「頭の中のイメージが曖昧なら、完成するものも曖昧になる」
ならば――
もっと複雑なものは?
ルチエは鳥を想像した。
胴体。
翼。
頭。
脚。
羽。
しかし、考える情報が増えれば増えるほど、具現化は難しくなっていった。
現れた鳥は奇妙な形をしていた。
片方の翼だけが大きい。
そして次の瞬間――
光となって砕け、消えた。
ルチエは息を切らす。
「じゃあ俺、簡単なものしか作れないってこと?」
「そうとは限らない」
Gelbはルチエを見る。
「問題は、作るものが単純か複雑かじゃない」
「じゃあ?」
「どれだけ明確に想像できるかだ」
ルチエは少しずつ理解し始めた。
Ziehenには、決まった能力の形がない。
電気には機能がある。
速度にも機能がある。
身体能力にも、理解できる限界がある。
だがZiehenは――
ほとんど何にでもなれる。
だからこそ。
その限界を決めなければならないのは、ルチエ自身だった。
次の訓練で、ルチエは別のDeVourceメンバーと出会った。
訓練場の近くに、自分と同じくらいの年齢の少年が立っている。
「こいつが新人?」
Gelbが頷く。
「ルチエだ」
少年は笑った。
「俺はRell」
Rellは自分の能力を見せた。
身体を覆うように、薄いエネルギーの膜が形成される。
衝撃から身体を守る力だった。
単純。
安定している。
そして使いやすい。
Rellは、まだ簡単な物体を作ることにも苦戦しているルチエを見る。
「じゃあ、お前の能力って何でも作れるの?」
「まあ……だいたい」
「すげえじゃん」
ルチエは笑った。
「でも難しい」
Rellも笑う。
「じゃあ、お互い様だな」
その日から、Rellはルチエとよく一緒に訓練するようになった。
助けることもある。
からかうこともある。
時には、勝負を挑んでくることも。
敵としてではない。
ルチエに、もっと強くなりたいと思わせる存在として。
それからの日々は、訓練で埋め尽くされた。
ルチエは少しずつZiehenの法則を理解していく。
作る物体が複雑になるほど、より強い集中力が必要になる。
具現化を維持する時間が長くなるほど、集中力は早く削られる。
そして何より重要なのは――
精神状態が結果に影響すること。
緊張すれば、形は不安定になる。
怒れば、具現化は強くなるが制御しにくくなる。
恐怖を感じれば、Ziehenが意図しない形で発現することさえある。
ルチエはようやく理解した。
自分の能力は、とても自由だ。
だが――
自由であることは、簡単であることを意味しない。
むしろ逆だった。
Ziehenには、ほとんど無限ともいえる可能性がある。
しかし、その限界となるのはルチエ自身だ。
ただ何かを想像し、世界がその通りになってくれることを期待するだけでは足りない。
自分が何を作りたいのか理解しなければならない。
その姿を頭の中に維持しなければならない。
そして最も難しいのは――
冷静でい続けること。
強大な能力を持ったからといって、すぐに強くなれるわけではない。
まだ学ばなければならない。
まだ失敗しなければならない。
そして――
まだ自分自身を見つけなければならない。
その頃。
DeVourceから遠く離れた場所では――
薄暗い部屋に、数人の人間が集まっていた。
一人のWiTakersメンバーが、椅子に座る人物の前に立っている。
「標的を発見しました」
「誰だ?」
「ルチエです」
部屋が静まり返った。
「現在、DeVourceの保護下にいます」
座っていた男が顔を上げる。
「Vougwertzは?」
「Ziehenという名前です」
「効果は?」
「具現化」
男は黙った。
「血清は?」
「ありません」
その答えを聞いた瞬間、男の表情が変わった。
「確認しろ」
「情報はすでに確認されています」
「どうやって知った?」
「それについては、我々も詳しくは――」
男は立ち上がった。
何かを知っているかのように。
「ついに……」
一台のモニターへ近づく。
そこには、古いファイルが保存されていた。
非常に古いもの。
最初に血清を開発した二人の科学者の名前も記録されている。
男は、そのほとんどが削除された一つの資料を開いた。
残されていた文字は、たった一つ。
PROJECT: GIVER
男はその文字を見つめる。
「Ziehenは、ただの『血清を使っていないVougwertz』じゃない」
指先が画面に触れる。
「もし俺たちの推測が正しいなら……」
薄く笑う。
「……あの子は、最初の実験の*****なのかもしれない」
同じ頃。
DeVource内部では、一人のSecurity担当者がシステムデータを確認していた。
その手が止まる。
何かがおかしい。
ルチエに関するファイルが、たった今アクセスされた。
一般職員ではない。
訓練生でもない。
使用されたのは――
高位権限。
職員は困惑した表情で画面を見る。
「誰がこのデータを開いた?」
返事はない。
やがて画面は暗転した。
その頃、ルチエはまだ訓練場にいた。
指を上げる。
空中に一本の簡単な線を描いた。
その瞬間――
初めて。
具現化したものが、震えなかった。
小さな物体が完全な形で現れる。
ルチエは笑った。
彼は知らない。
DeVourceの壁の向こうで、すでに誰かが自分の出自を疑い始めていることを。
そして――
外の世界には、自分自身すら聞いたことのない秘密を知っている者がいることを。
Ziehen.
Giver.
そして――
最初の実験。
すべては、繋がっているのかもしれない。
だが、残された問いは一つ。
ルチエにその力を“与えた”のは、一体誰なのか?




