118「ネリーレイス・ベルゼビア・アンフェルディア」 挿絵有
有角の種族は何も魔族だけではない。獣人や精霊族の中には角がある者もいる。
それでも、もっとも馴染み深いものとして、ネリスの頭の中には魔族の名前が浮かんだ。
何故、こんなところに魔族が。影の中から現れたということは影人なのか。
続いて浮かんだのはイフアン・ラァークの名前だ。
影人が起こした謀反に関わり、行方不明となっていた人物の名前だ。敵対者として現れるものとして真っ先に浮かんだ。
それくらいネリスにとって魔族が敵対するという認識が薄いのである。
ネリスとって魔族は味方だ。それに類する者が敵として現れたことへの動揺は押し隠し、睨むように目の前に立つ影を見る。
「貴方は何者なのです? 何が目的ですか?」
守るようにエマリを抱いたまま問いかける。いつでも魔法が行使できるよう、マナに働きかけながら待つ。
しかし、相手から返答はなく、影は不自然に左右に揺れている。
それが妙に不気味で、ネリスはエマリを抱く力を強める。
「もう一度聞きます。貴方は……」
「があああぁぁぁぁっ」
影が大きく声をあげたと同時に先程と同じ衝撃が撒き散らせる。
全方向に撒き散らされた先程とは違い、今回は一方向、ネリスたちがいる方向にだけ衝撃波が放たれる。
「スィロジェ」
水の障壁を展開させる。今回は防御が間に合い、衝撃波は水の膜を揺らすだけに留まる。
波打つ障壁を目にしながら、ネリスは攻撃魔法をも展開させる。
既にある程度準備していたから、波動にはそれほど時間はかからない。
「レインスピア」
降り注いでいた魔法の雨が一部だけ動きを変え、影に向けて放たれる。
ネリスたちが吹き飛ばされたのは雨は降り注ぐ森の中だった。自らの魔力でできた雨を再利用して攻撃として放った。
「エマリ、一度距離を取りますわよ」
「ん!」
雨の槍が影を牽制しているうちに少女二人は影と距離を取る。降り注ぐ雨はいくらでもあるので、細かに雨の槍を叩き込んで時間を稼ぐ。
二人だけであれの相手をするのは荷が勝ちすぎる。相手との距離を稼ぎながら、他の者たちの状況を探る。
近くにいた子供たちはネリスが魔法で守ったから無事なはずだ。今も細い道に残されていると思われる。
「問題はユニスやフリクルンド様がどこにいるかですわね」
ネリスとエマリが無事なのだから、二人が身動きできない状況に陥っているとは考えにくい。
同じように吹き飛ばされている可能性はある。すぐには助力できないことも考え、二人で切り抜けるべきか、時間稼ぎに徹するべきか、逡巡する。
「ネリス様……どうしますか」
「フリクルンド様たちがどうなっているか分かりませんし、一先ず二人で対処するしかありませんね」
二人だけでは荷が勝ちすぎる相手。それでも逃げることは許されない。
ならば、とネリスは覚悟を決めて、影と向かい合う。ネリスの言葉を受けて、エマリはナイフを構える。
杖は一度しまい、ネリスと影の間に立つ。雨の槍を受けながら、進む影はゆらりゆらりと左右に揺れながら、近付いてくる。
「あ゛っ、ああああ……あ、あ゛ぁ」
呻き声ばかりを零す影。その顔が見える位置にまで来て、ネリスはわずかに目を見開いた。
赤茶色の髪に黄色の角。魔族においてありふれた髪色と角色を持ったその人物の登場はネリスお予想を裏切るものだった。
ネリスは影をイフアン・ラァークと思っていた。
影人であるイフアンは灰髪に青い角を持っている。目の前の人物とはまるで特徴が違う。
何より目の前に立つ男の目は明らかに商機を失っている。目は充血しており、虚ろに彷徨っている。
「貴方……誰かに操られているのですか?」
「あ゛ぁぁ、ああっ!」
呻くだけの返事は何よりの肯定だ。本人の意思でこの場にいるのではないと認識したと同時に戦う意思がぶれる。
目の前にいるのは敵ではない。ネリスが守るべき、アンフェルディア国民だ。
操られているだけの国民に危害を加えることはできない。
「ネリス様、危ないっ」
攻撃の意見が揺らぎ、立ち尽くすネリスはエマリに強く引っ張られて我に返る。
気の迷いを見せていられる状況ではないことを思い出す。すぐ傍を鋭利な風が駆け抜ける。
エマリのお陰で紙一重の回避に成功したネリスの髪が数本宙を舞う。
「国の長となる一族の者として、時に罪業を背負うこともある」
誰に聞かせるでもなく呟かれた言葉は以前、長兄フィルが言っていたものである。
ネリスは物心つく前に母を喪っており、その記憶はほとんどない。父は父で仕事が忙しく、顔を合わせて会話をする機会はまったくと言っていいほどなかった。
そのせいなのか、六人いる兄姉はそれぞれにネリスを気にかけてくれていた。
親との関わりが希薄な代わりに、兄姉たちから惜しみない愛を受けて育った。
ネリスは六人の兄姉の教えによって構成されている。口にしたのはその一つだ。
「エマリ、すみません。気合を入れ直しましたわ」
気持ちを切り替えて改めて敵を見る。
本人の意識がどれほど残っているのか、分からない赤目を見据えて口角をあげる。
どんなときでも笑顔を忘れないこと。余裕のないときこそ、口角はあげること。
これは姉リリィから学んだことだ。
「貴方もわたくしの守るべき民の一人です。なるべく痛くはしませんわ」
民を思う心は五番目の兄シラーフェを見て育まれたものだ。もっとも優しい兄には及ばないながらも、民への愛を注ぐネリスは真っ直ぐに、倒すべき敵ではなく守るべき民を見つめる。
「エマリっ」
「ん!」
言葉を交わさずとも理解したエマリが地を蹴る。
ぎょろり、と目が動いて彼がエマリの方を向く。開いたままの口が言葉にならない声を零すとともに周囲のマナが揺れる。
宙に魔術陣が展開され、その意味を考えるよりも際にネリスは行動を起こす。
「レインスピア」
槍と化した雨に叩かれ、彼はわずかに体勢を崩す。攻撃を与えたネリスへ興味が移ったようで、彼の目は音がしそうな勢いでこちらを見た。
「アイリア」
構わず唱えた言葉に応えて、彼の体を濡らす水が冷やされる。降り注ぐ雨や叩きつけた雨の槍によって濡れた体は音を立てて凍り付いた。動きが完全に止まる。
「魔法は組み立てることによって、いっそうの効果を発揮する」
これはかつて神童と呼ばれていた兄が言っていた言葉だ。ふらふらしていてだらしない兄だけれど、その教えもまたネリスの中で力となっている。
片角を失い、出来損ないと呼ばれる兄ではあるものの、神童と呼ばれていたすべて失ったわけではない。
ライは魔法の練習をしているネリスの許にふらっと訪れて助言をくれる。
「わたくしの魔法はアンフェルディアの神童譲りですのよ」
誰が何と言おうと、ネリスにとってライは神童のままだ。
「レインスピア、アイリア」
凍りついた彼を取り囲む雨の槍は氷の槍へと変わっていく。水にはない鋭利さを備えた槍が氷像と化した彼に向けて放たれた。
氷同士がぶつかつ甲高い音が響く中で、エマリが身を躍らせる。
「やあっ」
跳躍するエマリは氷像の腕を蹴りつける。
エマリはナイフ術だけではなく、小さな体でも使える体術も仕込まれている。
魔管にマナを通すマナ強化により向上した身体強化は見た目に似合わない威力を生み出す。
マナ強化にもいろいろあるらしく、エマリはソフィヤとリーカス、二人の影人から非力な身でもっとも力を発揮する方法を教えられている。
エマリの渾身の力を受けて、エマリは一度退く。大きく後ろに挑んだ足が地を踏む間際、氷の中に閉じ込められた存在が身動ぎした。
全身が凍りついているはずなのに、彼は確かにその身をわずかに動かした。
「スィロジェ」
微力な動きを捉えたネリスが障壁を展開する。
波打つ水の障壁は氷像と化した彼を囲うように展開される。瞬間、全身を覆う氷を破壊する形で放たれた衝撃波が障壁を波立たせる。
「あ゛……ぁあ、あああっ、あ゛っ」
呻き声に合わせて、衝撃波が放たれる。短い間隔で強い衝撃を幾度も受け、激しく波打つ水の障壁が飛沫となって崩れた。
飛び散る水飛沫に思わず目を瞑りそうになるのを堪え、彼から目を離さないよう意識する。
「戦闘中、敵から目を逸らすのは愚の骨頂でしたわね」
ネリスらしからぬ言葉もまた当然のように兄からの言葉だった。
貰ったというより、言っていたところにネリスが同席していたというのが正確なところだ。
馬が合わない兄ではあるが、尊敬できる部分はたくさんある。特に武術、戦闘面においてあの兄は、カナトは頼りになる。
嘲笑と侮蔑を宿した言葉であっても、その実力が信用性を語っている。
「気に食わないところも多いですけれど、こういう場では役立つと認めて差し上げます」
当の本人がいない場で言い訳がましい言葉を零す。それがネリスとカナトの関係性を物語っていた。
兄の言葉に従い、目に逸らさずにいたお陰で迫る影に気付いた。あの兄のお陰とまでは思いたくない複雑な感情を抱えつつ、ネリスは口を開く。
「アクバインド」
生成された水の縄がこちらへ迫る彼の足に絡みつく。地を蹴る足を引っ張られ、彼は大きく体勢を崩す。そこへ――。
「えいっ」
可愛らしい掛け声とともにエマリが体当たりをする。
然程力の入っていない体当たりでも効果は抜群で、彼は森の中を転がる。
まともに受け実を取らず、大きな音を立てて転ぶ様を横目にネリスとエマリはそれぞれ距離を取る。
「アクバインド」
さらに水の縄を生成し、今度は腕を拘束する。両腕を腰の辺りで拘束する形だ。
これで身動きを完全に封じ込められたと思っていない。
ネリスの魔法の練度はまだまだ低い。未熟者という自覚がある故、己の実力を過信しないネリスはカナトの言葉に従って視線は向けたまま、深く呼吸する。
「エマリ、貴方も。呼吸はできるときにすることをおすすめしますわ。落ち着きますわよ」
「ん」
大人ぶって投げかけた言葉もまた兄から貰ったものである。
どんなときでも呼吸は大事だと次兄キラは穏やかに言っていた。特に普段と違う状況に陥っているときこそ、一呼吸おいて心を落ち着けることが大事なのだと。
事態と向き合うのは一呼吸置いてからでも遅くない、そういう話だった。
兄の教えに従うネリスは平静を取り戻した状況で彼を見る。襲われてからようやく落ち着いて彼を向き合う余裕ができた。
「改めてわたくしはネリーレイス・ベルゼビア・アンフェルディアと申します。貴方とお話がしたいのです。わたくしの声は届いていませんか?」
「あ、ぁあ……あ、アンフェルディア」
「っ……そうです! アンフェルディアです。貴方がたを守る王族の一人です」
初めて直のようなものを見せたことに喜び、重ねて言葉を投げかける。
このまま対話で状況を改善させたらしい。そんな願いが、守るべき国民を傷付けたくない思いが滲んでいた。
「お……うぞ、く?」
「そうで……っ」
殺意の篭った刃がネリスのすぐ傍を駆け抜けた。ピンクを帯びた白髪が数本宙を舞い、端正な顔に赤い線が描かれた。
ネリスが立っていた場所には鋭利な風が渦巻いている。
彼は赤い目を血走らせ、憎悪に満ちた視線を注いでいる。
暗い感情を真正面から受けた経験は初めてで、ネリスは喘ぐような息を零す。
激しく脈打つ心臓を抱え、平静を保つように深い呼吸を繰り返す。
「どうして……」
震える声が零れる。赤い目は憂いを堪えて、憎悪を相対していた。
「どうして、そんなにもわたくしを恨んでいるのですか?」
悪感情を向けられてもなお、ネリスは純粋に彼を見ていた。
しかし、真っ直ぐで美しく気高いその視線は万人に受け入れられるものではない。世間知らずとすら思わされる姿に注がれる憎悪はいっそう暗く濁る。
「ネリス様、あんまり前に出ないで。危ないです」
「エマリ、問題ありませんわ」
恐れる心は確かにあった。けれど、ネリスは王族で、目の前にいるのはアンフェルディア国民だ。
守るべき存在を恐れていたら何もできはしない。向けられるのがどれだけくらい感情だったとしても、真正面から受け止めると決めた。
「教えてくださいまし。貴方がどうしてそうなってしまったのか。その苦しみをわたくしに聞かせてください」
「にく、い……憎い憎い憎いっ、い、やだ」
憎しみを注ぐ赤目に涙が浮かぶ。波打つ瞳が助けを求めているように見えて、ネリスはその手を伸ばす。
違う、と理解した。彼が憎悪を向けているのはネリスではない。別の人物とネリスを重ねて見ているようだった。
「もう、いやだ……」
頬に涙が伝う。苦しげに歪められた顔に恐怖が滲み、その体はわずかに震えていた。
子供のようだ、と恐怖で涙する彼を見てネリスはそう思った。
「痛いの、いやだ。もう帰りたい。……もう、終わらせて」
「分かりました。わたくしが終わらせて差し上げます」
胸に抱く痛痒を無視して、ネリスは言葉を投げかける。
彼が望む終わりが何であるか理解しながら、ネリスは口角をあげる。
ネリスは誇り高き、アンフェルディア王族だ。紡いだ言葉が違えない。




