13.エリアーヌの配役
デュナン家は王都に屋敷はなく、必要な期間だけタウンハウスを借りることにしていたが、侯爵家はきちんとした屋敷を構えており、それは領地の邸宅と比べても見劣りしない立派なものであった。
エリアーヌはここでも女主人の部屋を与えられ、やはりリオネルの寝室と内扉でつながった部屋であった。
ふたりは結婚してもう半年以上経つが、リオネルから求められたことは一度もなかった。彼にはジョアンヌという愛人がいて、エリアーヌとはデュナン領を守るため、仕方なく結婚したに過ぎないのだから当然である。
しかし今回の旅ではそのジョアンヌを同行させてはいない。エリアーヌの社交界デビューを兼ねている為、長い滞在になることはわかっていた。
エリアーヌからジョアンヌの同行を勧めたのに、それでも頑なに連れてこなかったリオネルを不思議に思っていたエリアーヌであったが、その理由がわかったのは夜会での出来事であった。
社交界シーズンの始まりを告げる王家主催の夜会。初めて社交界へ足を踏み入れる者はこの夜会に出席することが条件とされている。これに出席することで、社交界への参入を王家が許可をした、ということになるのだ。
エリアーヌはデビュタント恒例の白を基調としたドレスを身にまとい、リオネルのエスコートで会場へと足を踏み入れた。
一組ずつ呼び出しをし、順番に入場する夜会もあるが、王家の夜会は参加人数が多いため、簡略化される。それでもラグランジュ侯爵であるリオネルは社交界に顔が広く、その彼が人知れず結婚したとなれば、注目を集めるのは当然のことであった。
リオネルに手を引かれて現れた女性は、確かにデビュタントのドレスを着ているものの、その割には成熟しており、リオネルに相応しい年齢に見えた。人々はこれほど美しい令嬢がデビューもせず、どこに隠れていたのかと囁きあっていた。
多くの視線が一斉にこちらへ向けられたのがわかったエリアーヌは緊張した。周囲の囁きが耳に入ってくる。
「ラグランジュ侯爵様がエスコートしているのが奥様よね?」
「見たことがないな、どちらのご令嬢だろうか」
明らかに値踏みされているその声にエリアーヌが俯きかけたとき、
「エリアーヌ」
リオネルが彼女の名を呼んだ。はっとして顔を上げると彼はエリアーヌに聞こえるだけの小さな声で、大丈夫、と言った。
彼の胸には陛下より賜ったいくつもの勲章が輝いている。それは侯爵家の栄光を意味しており、エリアーヌは、事情はどうあれ、侯爵夫人になったのだ。
『高位貴族は常に顔を上げ、威厳を保たねばなりません』
エリアーヌはマナー講師に教わったことを思い出して顔を上げ、堂々とした入場を果たしたのであった。
予めリオネルから聞いていたように、エリアーヌは彼と共に幾人かの挨拶をしなければならない人物を回った。
「用事は済んだよ、あとは夜会を楽しむだけだ」
そう言ってリオネルはエリアーヌに微笑んでみせたが、エリアーヌはそんな余裕もない。
「お化粧直しに行ってきてもよろしいでしょうか」
夜会では女性専用の休憩室が用意されている。そこで少しくつろぎたいとリオネルに言い、彼も承知した。
「わかった、ではわたしはその間に商談を済ませておこう」
リオネルはそう言って、エリアーヌの傍らに立つ女性ふたりに目配せし、彼女らも頷いた。
「ご案内いたします」
デビュタントの女性にはたいてい付添人が付く。それはまだ夜会に慣れてない女性をサポートする役目を担っている。通常はひとりいれば充分なのだが、リオネルはエリアーヌに、年配の夫人と若い令嬢のふたりを付けた。
彼女らを紹介されたエリアーヌはふたりも引き連れて歩くことに驚いたが、夜会のことも、高位貴族のこともよくわからなかったので、受け入れた。そのおかげで彼女をダンスに誘いたい男性陣はリオネルが立ち去ったあとも近づくことができず、エリアーヌは無事、会場から出ることができた。
しかし、会場を出てすぐのところでうずくまっている令嬢に遭遇した。
「もし?大丈夫ですか?」
エリアーヌが声をかけるとその令嬢は口元をハンカチで覆い、
「気分が悪くて」
と言った。周囲を見渡しても令嬢の付添人らしい人物はいない。彼女の身に着けているドレスはデビュタントの物ではないのだから当然といえば当然だ。
幸いエリアーヌにはふたりも付いているのだから、そのうちの夫人のほうに令嬢の介抱をお願いした。
「この方を別室にご案内してもらえますか?使用人にお願いすれば部屋をご用意くださいますわ」
「ですが、わたくしは侯爵夫人のおそばを離れるなと侯爵様から申し付かっております」
「でも急病人をほおってはおけませんもの。どうか、お願いします」
エリアーヌが頭を下げたことで付添人は慌てた。
「まぁ、そんな。おやめください、わたくしのような者に頭をさげられるなど。えぇ、わかりました。ではこの方をお願いしてまいります」
ふたりを残し、エリアーヌともう一人の若い付添人は休憩室へと入った。そこには少なくない人数の女性が集まっており、各々の席でくつろいでいた。
「侯爵夫人、こちらが空いておりますわ」
付添人に勧められたソファに落ち着くとすぐ、給仕のメイドがお茶を用意してくれた。
「お茶菓子はあちらに用意してございます」
メイドの指さしたテーブルには甘味とちょっとした軽食が並んでいた。
「いくつかお取りしてまいりますね」
エリアーヌの付添人はそう言って離れていった。
注がれたお茶を飲んでいると、エリアーヌの向かいにひとりの令嬢が立った。
「こちら、よろしいかしら?」
込みあっているため席がないのだろう。エリアーヌは笑顔で応じた。
「もちろんですわ、どうぞ」
その令嬢は真向かいに座り、じろじろと不躾なほどエリアーヌを眺めている。それに不穏なものを感じたエリアーヌの予感は見事に的中した。
「貴女がリオネル様とご結婚なさったご令嬢?」
あまりに直接的な物言いに驚いたエリアーヌではあったが、応じることにした。
「そうですが、それがなにか?」
「貴女、なにも知らないのね。そうりゃそうね、その年まで社交界デビューもできないんじゃ、知るわけないわよね」
「わたくしがなにを知らないとおっしゃるのですか?」
「なにもかもよ!」
その令嬢の声で辺りは静まりかえったが、彼女はなおも続ける。
「リオネル様は、家格の同じマクラウェル侯爵令嬢から婚姻を望まれていたのよ?それなのに急に貴女となんて」
それにエリアーヌは驚いた。確かにリオネルはあまり男性の知人がいないエリアーヌからみても整った容姿をしており、彼を想う女性は多いだろうと容易に推測できた。
しかし結婚の話まで出ていた令嬢がいたとは知らなかった。デュナン領のためとはいえ、つくづく無理強いをしたと思う。
「それは存じませんでした」
さすがに謝罪の言葉は飲み込んだが、それでも申し訳ないという気持ちに変わりはなく、それがにじみ出ていたのだろう。相手の令嬢はさらに高飛車な態度になっていった。
「披露宴もなしなんですってね。それもそうね、貴女のような女性と結婚しなければならなかったリオネル様に同情するわ」
そして言うが早いか、テーブルに置いてあった飲みかけのお茶をエリアーヌの頭から掛けたのだ。
あまりの行動にエリアーヌは驚きのあまり固まってしまう。エリアーヌの髪から落ちたしずくはポタポタと白いドレスにシミを作っていった。お茶はもう冷めていてその冷たさにエリアーヌは否が応でも冷静にさせられた。そして静かに相手の令嬢を眺める。
「貴女は確か、ジュベル子爵令嬢でしたね。お初にお目にかかります、デュナン領の管理をしておりますラグランジュ侯爵家のエリアーヌと申します。以後、お見知りおきを」
「な、なによ急に」
エリアーヌの言葉に子爵令嬢は少しのうろたえを見せたが、エリアーヌはそれを無視して話を進める。
「ジュベル子爵家の取り扱う木綿の生地は我がデュナン領で大変重宝しておりますわ。様々に加工するのに適しておりますもの」
令嬢はそれがどうした、という顔をしているが、エリアーヌはこの発言で周囲に金銭の流れを明確に示したのだ。エリアーヌつまりデュナンはジュベル子爵家の商品を購入する側、要するに客だ。客の頭に茶を掛けるなど、常識で考えたら絶対にしない。
「ですが、近頃は隣国からも木綿が大量に入るようになりまして。そちらもなかなかに良いお品物な上に安価ですのよ」
そこまで言ってエリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「同じ品質ならお安いほうが助かりますわよね」
ジュベル子爵家との取引はなくしてもよい、とエリアーヌは言外ににおわせ、さすがの子爵令嬢もそれに気づき慌て始めた。しかしエリアーヌは止まらない。
「それに、マクラウェル侯爵領に加工品のほとんどを卸しているのはデュナンですわ。より高値で買い取ると言ってくださる方々もおります」
一度、ご当主とお話をしたほうがよさそうですね、とエリアーヌは言い、優雅な物腰で立ち上がると、
「ごきげんよう」
とお辞儀をした。
そしてエリアーヌは若いほうの付添人にちらりと視線を送り、部屋を後にした。エリアーヌのすぐ後に付添人の令嬢が出てきた。
「申し訳ございません、おそばを離れたばかりに」
「気にしないで、それより早く帰りましょう」
「念のため、着替えのご用意はしてまいりましたが」
付添人の言葉にエリアーヌは口を引き結んで言った。
「いいえ、わたくしの役目は果たしました、帰りましょう」
リオネルがジョアンヌを連れてこなかった理由はこれだったのだ。なんの前触れもなく侯爵夫人の座に収まった令嬢を、社交界が無条件に歓迎してくれるわけがない。
今更ではあるが、会場を出てすぐの場所でうずくまっていたあの令嬢もエリアーヌを貶めるための仕掛けだったのかもしれない。ふたりも付添人がいては手が出しにくいが、ひとりなら先ほどのようにやむ得ず離れることもある。そして今夜がデビュタントでひとりの知り合いもいないエリアーヌなど、何とでもなると思ったのだろう。
エリアーヌはデビューこそしていなかったものの必要な知識は持っている。貴族名鑑も毎年最新を入手し、それぞれの顔と名前を頭に入れてあった。あの令嬢は素性がばれると思わずにあのような行動に出たのだろう。本来、子爵令嬢が侯爵夫人に無礼を働くなど許されることではない。
ジョアンヌであれば取り乱して泣くだけで誰にやられたかはうやむやになったはず。
エリアーヌはリオネルが自らに与えた役目を理解したのだった。
馬車に乗り込み、シミのできたドレスを見下ろした。明日からも多くの茶会や夜会が予定されている。その度にこんな無残な姿になるのなら、それこそ安価な木綿で仕立てておけばよかったと思う。領地で注文したドレスはすでに王都の屋敷に納品されている。王都でも新たなドレスを仕立てるとリオネルは言っていたが、どうせ汚される運命にあるのだ。
汚れ目の目立たない濃い色のドレスを用意し、それを着まわすことはできないか。屋敷に戻ったエリアーヌは執事にそう提案し、ひどく嫌な顔をされたのであった。
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