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義弟の苦労

現代日本サイドです。

暖の義弟さんのお話

美しい夜景の見えるタワーマンションの一室で、男がぐったりと座っている。スラリとした長身を包むのはオーダーメイドのスーツで、男が上流階級に属することは、一見しただけで知れる。

おそらく常ならば、一分の隙も無く堂々と立っているだろうと思われる男が、珍しく疲れを見せている理由は、すぐにわかった。


奥の寝室に続いているドアを開け、白衣を着た女性が出てくる。

男は、弾かれたように立ち上がった。


陽詩(ひなた)は?」


「薬が効いて眠ったわ。……最近は、発作も落ち着いていたのに、何があったの?」


今にも寝室に駆け込もうとする男の腕を掴んで引き止めた女性が、行くなと首を左右に振る。

一瞬眉間にしわを寄せた男は、……しかし、諦めたように再びソファーに沈んだ。

白衣の女性は医師で、夜分遅く発作を起こした彼の妻を往診してくれたのだ。妻の担当医である彼女は、彼と妻が抱える事情も知っている。


男は、テーブルに置いてあった白い封筒を、無言で彼女に示した。

訝しそうに手紙を手に取り開いた医師は、一読するなり柳眉を逆立てる。


「なに、これ!」


「怪しい手紙は開けるなと言っておいたんだが、差出人が陽詩の高校の同級生だった。同窓会の案内かと思ったそうだ。読んだ時は気丈に振る舞っていたが、……寝付いてから発作を起こした」


白い封筒に書かれた差出人の名前は、確かに今どきの女の子のキラキラネームで、こんな名前の同級生がいたら絶対忘れないと思われるようなものだ。

便箋も手書きの丸文字なのだが、その内容が問題だった。



――――あなたのお姉さんの魂は、山の中を彷徨っています。祈りを捧げ、“幸せの国”にお姉さんの魂を送ってあげてください――――



続けて、その「幸せの国」とやらが、いかに素晴らしく永久(とこしえ)の平穏を魂に与える国なのかが書かれ、最後に祈りを捧げるためには「善意の奉納金」が必要だと書かれている。


「タチの悪い宗教団体の手管じゃない。人の心をなんだと思っているの!」


女性は、手紙をグシャリと握りつぶした。


「既に、差出人とその宗教団体には制裁をくわえるよう指示を出してある。……俺の妻に手を出すなんて愚かな真似をした奴がどうなるか――――身を持って知ってもらう」


男は物騒な笑みを浮かべた。

タワーマンションの最上階に居を構える男の地位は高い。差出人も宗教団体も、社会的に抹殺されることは間違いないだろう。


「バカな真似をしたものね」


同情の欠片もない声で、女は言った。

男はフンと鼻で笑う。


「だいたい、あいつ(・・・)が万が一くたばっていたとしても、山の中を彷徨うはずなんてない。あいつのことだ、気に入った温泉にへばりついてそこの地縛霊になるに決まっている」


心底憎々しげに男は言った。


「地縛霊って……あなたねぇ。義理でも“お義姉(ねえ)さん”をそこまで言う?」


「事実だ」


ムスッとして男は答える。

女性は肩をすくめ「まあ、そうかもね」と呟いた。

男の妻の主治医である彼女は、同時に妻の姉の友人でもあった。男の言う“あいつ”=〝男の義姉”をよく知っている。


確かに“彼女”は、無類の温泉好きだった。

だからこそ、あんな山奥の秘湯に一人で出かけ行方不明になったのだが――――





「………………足取りはまだ掴めないの?」


ポツリと呟いた彼女の言葉に、男は眉をひそめた。


「使える限りの全ての伝手(つて)を使って行方を捜させているが、情報の欠片も掴めない。……あいつは、まるで、温泉ごと世界から消失したかのようだ」


「そんなバカな」


何故か彼女が消息を絶った秘湯のお湯は、空っぽになっていた。現代のミステリーとしてマスコミを大いに騒がせたのだが、医師である女性は超常現象など信じない人間だ。


「お湯がなくなったのは、ただ単に風呂の栓が抜けただけでしょう?」


不信感丸出しの女性の声に、男は苦く笑った。


「ああ。だが、こうまで行方が知れないと藁にもすがりたい者も出てきてな。……超常現象を探る機関にまで依頼を出そうとしている人もいる」


「ナントカ超能力捜査官とかいうやつ? あんなもの、テレビのやらせでしょう」


「そうではない所もあるんだ。……国家機密レベルだがな」


疲れたように、とんでもないことを男は言った。


「国家機密って! なんでそんな?」


「うちのじいさんだ。……あいつは、じいさんの温泉友達だったからな」


男の祖父は、引退したとはいえ、かつてはその言動が世界に影響を及ぼすほどの重要人物だった。


「……え?」


驚く女性に、男は苦く笑う。


「言っていなかったか? ……そもそも俺が、あいつと知り合ったのは、じいさんの紹介だ」


彼の義姉は、温泉で祖父と知り合い意気投合したのだという。

年をとり往年の覇気を失い、長年の腰痛も悪化させ温泉で湯治をしていた男の祖父は、彼女と出会い仲良くなり、元気を取り戻した。


「あの気難し屋のじいさんに気に入られるだなんて、どんな女狐かと思ったんだが――――」


彼の祖父は、はじめ姉の方を男に(めあわ)せるつもりで、彼に紹介してきた。

祖父を誑かした女の正体を暴いてやるつもりで会うことを承諾した男は、しかし初対面の席で毒気を抜かれる。

彼女は、祖父の地位も財産もまるで知らなかった。

ごく普通の近所のおじいさんに対するように祖父に接し、祖父もそんな彼女の態度に嬉しそうに破顔する。


それは、長年祖父の一番のお気に入りの孫だと自負してきた男が見たことのない祖父の姿だった。


「あいつを一目見た途端、気にくわないと思った。……まあ、それはあいつも同じだったようだが」


まるで不俱戴天の仇のように彼らは同時に敵意を抱く。

しかしそれとは別に、男は、姉と一緒にきていた当時十代の妹の方に心惹かれた。


――――いや、惹かれたなんてものじゃない。一目惚れだ。


その場で結婚を前提にした付き合いを申し込み、「このロリコン! 陽詩に近づかないで!」と公衆の面前で罵られたのも、彼が義姉を嫌う理由の一つだ。


義姉は、あの時自分が妹を連れてきてしまったことを、一生の不覚として今も深く悔いているという。



「じいさんだけじゃない。あいつの温泉友達は、こう言っちゃなんだがとんでもない人たちばかりだぞ。ほとんどが老人だが政界、財界に限らず各方面でいまだに大きな力を持っている方たちばかりだ。おかげであいつを探し出すのは、現在国家の最優先事項になっている。……表でも裏でもな」



白衣の女性は、目を丸くした。


「裏でもって……そんな、だって、刺青のある人は温泉には入れないでしょう?」


「そうでもない。貸し切りにすれば受け入れる温泉旅館は結構あるみたいだ。そんな貸し切り旅館に、あいつは馴染みの客だっていうんで入れてもらえたようだ。……で、何故か意気投合したらしい」


誰ととは、男は言わなかった。

女性も聞くに聞けない。痛むかのように頭を抱えた。




「……そうよね。そういうところあるわよね」


義姉の友人である彼女には、思い至るふしもあるのだろう。こめかみをグリグリと自分の指で揉む。



「ああ。しかも、あいつの腹の立つところは、それを全部無自覚でやっているところだ! 自分がどれだけ非常識なのか知りもしないで、のほほんとしてやがる! ……賭けてもいい。俺たちがこんなに苦労している今、あいつはきっとどこかで、またとんでもない“大物”を引っかけて、のほほんとしてやがるんだ!」



男の叫びに、…………反論できない女性だった。

あの友ならあり得ると、思えてしまうのが辛い。

まあ、流石の彼らもその“大物”が、魔女だの竜だのエルフだのとは思いもつかなかったが。



「俺は、絶対あいつ――――(うらら)を探し出す! 陽詩のためもあるが、それより何より、あいつにはこの現状を見せて、感謝や謝罪の言葉を言わせなければ気が済まん! 絶対、俺に謝らせてやる!」



拳を握り締め、瞳をギラギラと光らせて決意する、男。


…………こんな男だが、彼が、妻を懸命に慰め、守り、心を落ち着かせるために、どれほど苦労しているかを女性は知っている。


彼女は、大きくため息をついた。

タワーマンションの窓に映る煌びやかな夜景に目を馳せる。



「早く、帰って来なさい……暖」



夜の帳に向かい、静かにそう呟いた。


意外に苦労性のロリコ―――― 義弟さんでした。

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