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 学校の場所は一緒だけれど、新しい校舎。見慣れた大講堂に、見知らぬ顔もちらほら。


 入学式直前。


 生徒たちはもう全員講堂内に入っていて、いつでも式を始められる状態。


 しかし。麻穂は、高等部の先生たちが妙にバタバタしていることが気になっていた。


 周囲の声に耳をかたむけてみる。


「ねぇねぇ。『新入生代表の言葉』やるはずの人が、まだ学校にきてないんだって」


「『新入生代表の言葉」? ああ、確か毎年中等部で生徒会長だった人がやるんだよね。たしか『在校生への挨拶』も兼任してたよね?」


「『在校生への挨拶』は毎年成績が最優秀だった生徒がやってるのよ。まあ、うちの学園は生徒会長イコール一番頭がいいって法則あるしね」


「わたしたちの代は高時くんだよね?」


「寮は既に出てるはずって男子が言ってた」


 中等部からの持ち上がりの生徒が大半なので、学年一位の頭脳、そして生徒会長である祐真を認識している人間がほとんどだ。


 通路を挟んで隣から聞こえてくる、男子生徒たちの声にも耳をすませてみる。


「高時といえば……なんか見たこともない外部の転入生と同室になってたよな?」


「そうそう。なんか背高くて、目つきがきつくて、やたら高時と言い争ってるやつ。高時と言い合いえるやつなんて今まで誰も居なかったのに」


「性格とか口調は男そのものなのに、女みたいなキレ-な顔してんだよな、その外部生。なんかどっかで見たことある顔なんだけど……芸能人かなんかに似てんのかな?」


「たしかあれ、高時が自分から同室に迎え入れたいって言ってたらしいぞ。寮長特権で今まで一人部屋だったのに」


 麻穂が、「まさか」と思ったとき。


「すみません。遅れました」


 珍しく慌てた様子の祐真が、麻穂から見える位置にある講堂のドアを開けて入ってくる。


 新しい制服に身を包んだ彼は、詰襟の一番上までしっかり留めていて、いつでも舞台に出られる状態だ。


 厳格そうな、眼鏡をかけた女性教師がすぐさま祐真のそばに寄る。


「高時君、しっかりしてね。中等部感覚じゃダメよ」


 遠目ながら、高時が叱られるところを見るのは初めてかもしれない、と麻穂は思った。


 あの祐真が、大事な日になぜ。


 祐真に続いて、もう一人入ってきた。


 同じく真新しい学ランに身を包んだ、祐真とほぼ同じ背丈の男子生徒。祐真と違い、開いた学ランの胸元からは黒いシャツが覗いていた。かなり全速力で走ったのか、暑そうに胸元に風を送っている。


(涼だ……!)


 麻穂ははっと息を飲んだ。


 二人は何かコソコソと話している。


「高時ぃ。だから言ったろ。近道した方が良かったって」


「フェンスを飛び越えるのは、道のうちにはいらないんだよ」


「何言ってんだよ。お前はいつももっとド派手なことしてんじゃねえか」


「というか、元はといえば君が――」


 終わらない二人の応酬に、女性教師が祐真を急かす。


「いいから早くステージ脇に行って! あなたは服装直して! それからクラスの最後列に!」


「俺、高時のあとに挨拶やるんですけど。先輩への挨拶みたいなやつ」


「え?!」


 女教師の眼鏡が、漫画のようにずり落ちそうになる。


 先ほど女子生徒たちが話していた通り、「在校生への挨拶」は成績最優秀生が務めるのが毎年のルール。そしてほとんどの場合が元生徒会長である場合が多い。


 外部生が転入してくるためには、都内私立でも指折りの難関と言われる試験をパスしなければならない。


 私立の一貫校ならではの特別カリキュラムなので、杉浦学園中等部の生徒たちは既に高校生の学習範囲の大半を終えている。その生徒たちが三年の学年末に行った実力試験が、外部生の転入試験でもある。


 涼はそこで優秀な成績をおさめてたから、特待生になれたわけだが。さらに彼は、祐真の実力テストの点を超えて転入してきたということだった。


「わ、わかったから、襟を閉じてステージに上がってね……」


 女性教師は動揺しながらそう言い、他の先生たちへ伝達をしにいった。


 涼は一番上まで詰襟を留めながらぼやいている。


「ったく……。こんなめんどいことになるんだったら本気出すんじゃなかったぜ」


 すると、祐真は満面の作り笑いで涼に尋ねる。


「それはいやみで言っているのかな?」


「当たり前だろ。内部生なんだから実力テストくらい一位取れよ。何をぽっと出の外部生に負けてんだよ」


 言われたとおり服装を整えた涼が、淡々と言い返す。


「どこかの誰かさんがかわいい女の子ほっぽって居なくなっちゃうから、僕は気苦労が絶えなかったというのに……」


「隙あらばかっさらうとかいってたじゃねえか」


 口の達者な二人なので応酬が止まらない。悪くいうなら、ああ言えばこう言う。


 この後、涼が壇上に立った時。一部の生徒はざわついた。


 どう見ても、突然いなくなったあの女子生徒に似ていて、しかも苗字が「片岡」なのだから。


 ちなみに、涼が読んだ原稿は、前日までに祐真が書き上げてくれていたものだ。どうせ彼は、自分がこの役目だと自覚していないだろうと思ったから。


 しかし、なんとなく癪だったので少しばかりくせのある原稿にしておいた。ものすごい誇張表現にしていたり、わざと一般的には読めない漢字を使ってみたり。


 そのせいで涼は読みながらつっかえまくっていたのだが。


 麻穂はそんなこと、全然気にならなかった。


 目の前に、男の子の涼がいる。


 なんだかもう奇跡みたいで、気を抜くと涙がにじんでしまいそうだった。


 早く、会いたい。すぐ近くに行きたい。


 早く、言葉を交わしたい。


 飛び出したい気持ちをおさえて、麻穂は入学式の終わりを待った。








 入学式が終わり、生徒たちが三々五々に講堂を出て行く。


 祐真と涼はというと。


「おい。あの原稿なんなんだよ」


 ひくひくと頬を強張らせる涼が、祐真に詰め寄る。


「良かったでしょ? ダイナミックで高尚な表現が満載で」


 元はと言えば自分がちゃんと確認しなかったのがいけない、というか、原稿を書いてもらっているという負い目もあるのであまり強くは言えない。


 すっ呆ける祐真を恨めしげに睨み付けるしかない。


「そんなことよりも、ほら」


 祐真が「しょうがないなぁ」といった感じで示した先。


 そこには。


「涼……!」


 涼がずっと聞きたかったその声が、自分の名前を呼ぶ。


 周りにどれだけ人がいても、すぐに気がついた。


 振り返った自分の腕の中に飛び込んできた、慣れた髪の香り。スローモーションのように感じられたのに、あっという間に胸に感覚が広がる。


 涼は背を曲げ、彼女の体を抱きしめた。


「涼、おかえり!」


 伸びた髪はゆるく巻かれ、いつか涼がもらった麻穂の昔の写真を彷彿とさせるようだった。髪形はハーフアップにして、涼からもらった髪留めでまとめている。出会ったばかりの頃に比べると、まさに”お嬢様”と言えるような気品を伴って見える。


 しばらく会わないうちに、彼女がぐっと女らしくなったように感じられた。それは彼女自身が成長したせいもあるだろうが、涼が彼女に対して抱く気持ちの変化もあるのかもしれない。


 大きな二つの瞳が見開かれていたのは、最初だけだった。久しぶりに彼の顔を見て、ちゃんと男子制服を着ている姿を見ると、嬉しさよりも今まで抑えていた寂しさが溢れてきた。目に涙がたまって、まばたきを繰り返す。


「麻穂、泣くなよ」


「泣いてないよ」


 かわいらしい嘘をつく麻穂の頭を撫でる。


 麻穂が数ヶ月ぶりに見た涼は、女装のなごりなど全く残さない完全な男性だった。ウィッグでない短い髪、そして男子制服。胸のふくらみもごまかさず、首も露になっている。


 それでも、口角を片方だけ上げる笑い方だとか、鋭い目つきだとか、自分の髪を触る指の感覚だとか、麻穂が覚えている彼の仕草はそのままだった。


「会いたかったよ……。もう、どこにもいかないで」


「ああ。ずっとそばにいる」


 麻穂が鼻をすすって彼を見上げる。涼は深く頷き返した。


 会えなかった、声も聞けなかった数ヶ月。出会ってからこんなに離れていたことはない。お互いのいない時間の物足りなさ、空虚さ、つらさを身をもって理解した。


「京、麻穂ちゃん。久々に会えて嬉しいのは分かるけど、みんな見てるからほどほどにね」


 完全にお互いしか見えていなかった二人。


 祐真に注意されて我に返った二人が周りに目をやると、遠巻きながらにちらちらとこちらを気にしている生徒たちが多数。


 思わず赤面して、距離をあける。


「ふふ。今更そんな風にふるまっても、君たちが今にもチューしそうだったところを皆が見てるからなぁ」


 祐真の言葉に、麻穂が「なっ……」と何か反論の言葉を口にしようとしたが、それより先に涼が食って掛かっていた。


「高時、適当なこと言ってんじゃねえ!」


「ん? 適当なことって何かな? どの部分が適当だったのかきちんと言ってもらえないと、僕は分からないなぁ」


「この野郎……てめえとはいつか決着をつけなきゃならねえと思っていたが、やるか?!」


「返り討ちにしたら麻穂ちゃんを譲ってくれるなら、いつだって受けてたつけど?」


 昔を彷彿とさせるようなやりとりをしている二人に一喝する、一人の女子生徒がいた。


「そこ、騒がしいですわよ。入学式だからといってあまり浮かれすぎては……」


 そこに現れたのは、元中等部・女子寮長、三年次には涼と麻穂と共に同じクラスですごした如月雪乃だった。


 気品あるたたずまいや凛としたふるまいは相変わらずそのままだというのに、涼は自分の記憶の中の雪乃との差異に目を見開いた。


 指を立てて、彼女に声を上げてしまう。


「寮長?! 髪、そんなにバッサリと……あっ」


「寮長?」


 気づいた時には既に遅い、雪乃は訝しげに眉をひそめていた。


 涼が驚くのも無理はない。


 雪乃はその長かった髪を、ばっさりショートカットに切ってしまっていた。ボーイッシュとすら言えるであろうその長さは、彼女のしとやかな性格を知るものなら誰もが驚いてしまうだろう。


 驚きと戸惑い、そしてうっかり「寮長」と呼んでしまったことをどうごまかそうかと、涼は口をわななかせていた。


「あ、いや、その……」


 そんな様子を見た雪乃は、腕を組んで小さく息をついた。ゆっくりと涼に近づいていく。


 涼のそばに立った雪乃は、彼の隣に立つ麻穂とちらりと目を合わせた。麻穂は瞬きを繰り返し、雪乃の探るような視線からそらすことなく向き合っていた。


 小さく息をつくと、雪乃は涼を見上げた。


「片岡さんの“弟さん”でしたわね?」


「あ……うん。あいつから話を聞いてたから、つい」


 涼が出任せを口にすると、雪乃は目を細めてほほえんだ。


「わたくしと写真一つ撮ったことがないはずの片岡さんの説明ね……」


 責めるようでも、探るようでも、楽しんでいるようでもない雪乃の眼差し。口元に浮かべられた笑みが、優しく崩れた。


「はじめまして、片岡さん」


 そう言って雪乃は、涼に手を差し出してきた。


 雪乃は女子生徒を「さん付け」、男子生徒を「くん付け」で呼ぶ。改めて涼を呼んだ時、雪乃は変わらず「さん付け」だった。


 探る気はない、しかし分かっている、そんな様子だった


「ありがとう……雪乃」


 雪乃の手を強く握り返した涼も、片方の口角を上げて見せた。彼のいつもの笑い方だった。


 麻穂と雪乃も顔を見合わせる。そして笑った。


 祐真は涼のそばでそれを見守っている。


 麻穂は涼を見上げた。


 涼が帰ってきた。


 ちゃんと、男の子として戻ってきた。


 涼がそばにいる。これからきっとずっとそばにいてくれる。


 それだけで泣いてしまいそうなくらい嬉しい。


 そばでは、祐真も、雪乃も、笑っている。


 暖かい春の日差しの中で。


 麻穂は幸せをかみ締め、満開の桜を見上げた。






<完>

2010年の連載開始から、長きにわたり応援し続けてくださった皆様、本当にありがとうございました。

大変遅くなりましたが、全70話ついに完結させることができました。

これまで少しでも読んでくださった方々、関わってくださったすべての方に感謝を込めて。

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