第二章 世界は君を忘れている
長い夏が終わり、9月最初の登校日となった。夏休みは長いとたかをくくってゲーム三昧の日々を過ごしていたら、後半宿題に追われる羽目になり、結果として宿題の思い出しか残っていない。
教室に行くと、久々の光景が目に入る。長い休みのあと自分の席を忘れてしまうのは毎度のことである。
時間になると、担任の教師が入ってきた。黒く焼けた小麦色の肌が、充実した夏休みを語っている。出席をとると、俺たちは校庭へ移動した。
始業式では校長の長話を聞き、担任のどうでもいい思い出話を聞かされて、この日は解放された。
特に変わったこともなく終わった。当たり前といえばそれまでだろう。今日はただ始業式があるというだけの普通の日だ。だが、俺は何か物足りなさを感じていた。とても大事なものを忘れているような、もやもやっとした気持ち悪い感じ。夏休みにまだ遊び足りなかったのだろうか。確かにもう少し新作ゲームを極めたかった気がする。それとも、ほかに何か原因があるのだろうか。考えてもこれといった答えにはたどり着けず、俺はモヤモヤを抱えたまま屋上に行った。なにか考え事をするとき、俺は屋上に行くのだ。
屋上にたどり着くと、そのモヤモヤは一層激しいものになった。この空間には、何かが著しくかけている。なんだ、何が足りないんだ?
絶対また会おうね。頭の中で少女の声が響いた。その瞬間、俺はすべてを思い出した。そうだ、高月千里だ。俺はなんで忘れていたんだ? そのとき、俺は初めて今日あった出来事が違和感だらけだったことに気付く。忘れてたのは俺だけじゃない。千里は出席の時名前を呼ばれなかった。窓際のあの席には別の生徒が座っていた。
まさか……俺の頭の中で導かれたのは、常識では考えられないような、最悪のシナリオ。
この状況から導き出される答えは、一つしかない。彼女は、消えてしまったのだ。存在も、人々の記憶からも。
彼女は、世界から忘れ去られてしまった。
俺は走った。職員室に行き、放課後のグラウンドへいき、高月千里を知りませんか? と聞いて回った。彼女が生きた証を、見つけたかった。千里、千里、千里……。
だが、彼女のことを知るものは、誰もいなかった。
もしかしたら屋上にいるんじゃないか、そんな淡い期待を持ちながら屋上に戻ったとき、そこには人がいた。その影は、千里と重なった。
「千里!」
俺は思わず叫び、近寄った。だが、違う。よく似ているが、そこにいたのは千里ではなかった。
「高月千里は、もうこの世界にはいない」
少女はそう言った。俺は一瞬耳を疑った。彼女は今確かに高月千里といった。彼女は千里を覚えているのか。それに、この世界にいないとは、どういうことなのか。
「どういうことだ? 千里はどこに消えた? 君は何者だ? 何をしている?」
俺は頭の中の疑問を吐き出した。
「知りたければ、証明すること」
そう言って、少女は目の前を通り過ぎ、階段を下りて行った。急いで追いかけたが、下の階には、すでに彼女の姿はなかった。
結局、何もわからずじまいだった。知りたければ証明しろって、いったい何を証明したらいいんだ。
俺は頭を冷やし、今の状況を整理してみることにした。
まず、彼女がいなくなったのは間違いない。そして、彼女は俺と謎の少女以外の記憶および記録から存在が消えていた。現時点の疑問点は、なぜ彼女は消えたのか。なぜ彼女を周りの人間は忘れているのか。なぜ俺が彼女を思い出すことができたのか。 屋上にいた少女は何者なのか。
常識的に考えるのでは、この問題はまず解くことはできないのだろう。おそらく、なにか特別な、人間の常識からかけ離れた力がはたらいている。
それならば、原因を論理的に考えても無駄だ。今は、できることを探すんだ。
そのとき、ふと思った。そういえば、高月の家族はどうなったのだろうか。それを調べれば、彼女は生まれていないことになっているのか、消えたのかがわかる。それで何か解決するかと言われれば自信はないが、何もしないよりはましだろう。
その日から、俺は高月という名字の家を探すことにした。ネットの掲示板で探してみたり、町で聞き込みを続けた。
この町に高月という苗字の家が一軒あることが分かったのは、探し始めてから1週間がたった時だった。商店街で聞き込みをしているときに、若い男に聞いたのだ。その人は高月さんの友達だと名乗った。
行ってみると、そこはごく普通の一軒家だった。門には高月と書かれていて、家族の名前が書いてある。高月総一、由紀子、零。そこに千里の名前はなかった。そのとき、俺はピンと来た。レイという名前はどこかで聞いたことがある。……そうだ、思い出した。千里と兄弟の話をしていた時だ。彼女は妹がいると言っていた。その妹の名前が、レイだったのだ。
俺は呼び鈴を押した。
数秒後、ドアが開けられた。俺はその顔を見て、驚かずにはいられなかった。そこに立っていたのは、屋上にいた少女だったのだ。
「あなたが、零さん?」
「そう、都筑龍馬。どうやってここへ?」
名前を呼ばれ一瞬驚いた。が、よく考えれば、彼女は千里の妹なのだ。俺のことを知っていても不思議ではない。
「町やネットでここら辺に高月っていう苗字の人がいないか聞きこんだんだ。門に零って名前が書いてあったのも決め手の一つかな。前に千里に聞いたことがあって」
俺がそういうと、彼女の表情が少し緩んだ。
「場所を変えましょう」
そういうと、彼女は俺の腕をつかんだ。その瞬間、目に映っていた景色が変わった。まるでテレビのチャンネルを変えたように。
そこは、学校の屋上だった。さっきまで俺は確かに高月家の前にいたはずだ……。
「何を、したんだ?」
俺は今何が起こったのか理解できず、呆気にとられていた。この感覚は覚えがあった。千里と砂漠に行った時と全く同じだ。
だが、彼女は俺の問いかけに答えず。
「あなたは証明した」
証明、ああそうか。確か一週間前に言っていた……。だが、俺はなにかした覚えはない。
「俺は特に何かをした覚えはないぞ……」
「まず、世界で高月千里を覚えているのは五人しかいない。母、父、私、そして都筑龍馬、そして、彼女を殺した人物。あなたが信用できない可能性は二つ。一つはあなたが組織の一員である、つまり千里を殺した人物の仲間である可能性、もう一つはあなた自身が千里を殺した可能性。まず、あなたが千里を殺した可能性はすぐに消えた。その場合、千里の記憶がきえることはない。そして、あなたが組織の一員である可能性。それはあなたがうちに現れたことで消えた」
「どうして俺が家に来たら証明になるんだ?」
「組織は私達の元の家を知っている。学校に登録したりしていたから。だから、お前が組織につながっていればそこを先に調べたはず。だが、お前はこの引っ越したばかりのこの家に来た」
「全然わかんねえ、そもそも組織ってなんだ?」
俺がそういうのを、彼女は目で制した。これから説明するということだろう。
「とにかく、あなたを信用したということ」
そう言って、高月零は微笑んだ。笑顔が千里にそっくりで、血のつながりを感じる。
「高月千里は、特殊な力を持っていた。それは知ってる?」
「ああ。一度見たことがある」
俺は六月の雨の日に砂漠の国へ行ったことを思い出す。
「彼女が持っていたのは、世界を創造する力。神のチカラともいわれている。その力で、千里はもう一つの世界を作っていた。それは、平等で、争いのない理想の世界。彼女は私たちが住む世界もいつかそう変えられたらいいと思って、実験的にもう一つの世界を作り、研究していた」
神の力? そんなものが存在するはずがない。だが、疑っていても始まらないので、取り合えず話を聞こう。そう自分に言い聞かせる。
「俺が行ったのは、そのもう一つの世界ってやつなのか?」
俺が質問すると、彼女はうなずいた。
「一か月ほど前、彼女は消息を絶った。そのとき、私たちは彼女の存在を忘れてしまった。それは、この世界が新たな世界になったことを告げる出来事だった」
「ちょっと待て、新たな世界ってどういうことだよ」
「つまり高月千里は死に、新しく神の力を持ったものが世界を作り変えた、ということ。その世界では、前の世界の神であった千里は存在しないことになる」
千里が死んだ。その言葉は、俺の胸に重くのしかかった。それは、この一週間極力考えないようにしていたことだった。
「じゃあ、どうして俺や君は千里のことを思い出したんだ?」
「この世界は前の世界をベースに作られた世界。だから、高月千里が存在しなかったことになると、不自然な記憶が生まれる。だから、私やあなたのように千里に深くかかわったものには、記憶が徐々に補てんされていった」
「なるほど」
俺は思わず声を漏らしてしまった。が、彼女は構わず続ける。
「現在の神は、この世界を人間が進化する世界へと作り変えた。よって、この世界には私のように特殊な力を持つものが生まれた」
「特殊な力って、さっきの瞬間移動みたいなやつか?」
「そう。そうして、この世界には、力を持つものと持たざる者が生まれた」
「なぜ今の神はそんなことを?」
「それは私にはわからない。ただ、今の神はメシアという組織を作り、その規模は水面下で徐々に拡大している……」
彼女の話はあまりにも非現実的すぎて、すんなりと受け入れることはできない。ただ、納得はいった。これが真実なら、今までのことはすべてつじつまが合う。だが。
「少し考えさせてくれ」
俺の心は、破裂寸前だった。
「わかった、明日の放課後に、またここで」
彼女は言うと、階段へと消えていった。
帰り道。外は真っ暗である。俺は帰宅途中にある公園に入り、ブランコに腰かけた。ここは、俺にとって思い出の場所だ。小学生のころはいつもここで座って、遊んでる子供たちを眺めてた。一緒に遊ぼうの一言が言えなかった。だから高月千里に告白をしたとき、はじめて言えたって思った。誰かを、いや。少年時代の自分を救ってるような、そんな気分になってた。でも、それは間違っていた。彼女は自分の正体を隠すために、人と接しないように生きてきたのだ。それを壊したのは俺だ。結局、俺は彼女をたすけるどころか、彼女に助けられていた。気が付くと、涙があふれだしていた。
「どうして泣いてるの?」
頭の中で声が響いた。優しく、天使のような声だった。顔をあげあたりを見回すが、人の姿はない。
「俺は、結局誰かに助けられてばっかで、何にもできなかった」
「そんなことないよ」
彼女は言った。
「互いに思いやること。それが、理想につながる……君は私を助けてくれたんだよ」
「でも、俺は千里に迷惑をかけてしまった」
「君が気にする必要はないよ。それに、君と一緒にいたときは、すごく楽しかった」
俺はこのとき、心が軽くなった気がした。そうか。千里はまた俺を助けてくれたんだな。
「俺は、君を助けたい。でも、俺にできるかな?」
「私は信じてるよ。龍馬なら、私の理想を必ずかなえてくれるって。もっと自信もって。私が好きになったのはそんな悲しい顔の龍馬じゃないよ」
「ありがとう」
「約束だよっ、待ってるからね」
俺はこのとき誓った。彼女の理想の世界を、必ず作るって。そして、その世界でまた二人で屋上で、どうでもいい話して、楽しく過ごすんだって。
次の日の放課後。
「一つ質問いいか?」
「何?」
「千里には、もう会えないのか?」
俺がそういうと、彼女は悲しそうな表情でうつむいた。
「一つだけ、方法はある。でも、それができる可能性は……」
「いいから教えてくれ!」
俺は思わず叫んでしまった。彼女の表情がおびえているのに気づき、我に返る。
「すまん。続けてくれ」
「今の神から力を奪い、新たな神となり、千里のいる世界を作る。それはとても困難なこと。まず素性が分らないし、仮にわかったとしても、相手はこの世界を作り変えることができる。とても勝ち目はない」
彼女の表情から察するに、それは相当困難なことなんだろう。でも、俺はあきらめきれない。
「一パーセントでも可能性があるなら、俺はその可能性にすべてをかけたい!」
「どうしてそこまでして……」
「約束したから……。また会おうって」
俺がそういうと、彼女ははっとした表情になり、それから、笑顔を見せた。笑った顔がやはり千里にそっくりだった。俺はいつの間にか泣いていた。彼女も、泣いていた。
いつか千里とともに見ていた空は、夕焼けで美しく染まっていた。
その後、俺は高月零と会うようになった。そして、零の所属する組織、IPUに参加できることになった。
それは、屋上で話をしてから三日後のこと。俺たちはその日再び屋上で会う約束をしていた。




