【巻之一・二五~二七―烏も田楽も、匙加減―】
二五:濡れのはじまり
「七歩と濡れる(しっぽり濡れる)」とはどういうことだ。釈迦が誕生の時、“阿難陀竜王”は湯を吐いて、“難陀竜王”は水を吐いた。釈迦は「この産湯にぬれながら、七歩進んで(天上天下唯我独尊と言った)」から、そういうのだ。『無量寿経』に「従右脇生現行七歩(いやいや、釈迦は母親の右脇から生まれたんや)」というが。しっぽり濡れても「七歩」だろ。
【一言】さて、皆の衆。ワシらの関心は、天下の安泰や。肝心なのは、“釈迦”が生まれることや。“秀忠公の義理の娘(完子)”が湯を吐いて、“秀忠公の娘(和子)”が、これから「清らかな政道」の水を吐く。大事なんは、そのことや。
天海ら:『ははあ。それで、“阿難陀竜王”なんか、登場させましたか』
秀忠:『どういうことだ』
天海ら:『湯を吐いたのは、本当は“跋難陀竜王”なんです。“阿・難陀竜王”と“難陀竜王”。父親違いの姉妹と言うことです』
二六:鵜の真似する烏
「鵜のまねする烏は大水をのむ(人真似すると、失敗をする)」とは、何でそう言う。
―水に入る、道をばしらで、山がらす、鵜のまねまなぶ、浪の上かな―
【一言】ここで、けじめはつけておこう。紀州の“山ガラス”は、愛すべき奴やが。あんまり無理は、させんとこ。今は、ややこしいことはぬき。天下は「きれいな水」に入らなあかん。“山ガラス”をあんまり困らせたら、江戸もややこしいことを始めるだけや。
上方衆:『そうやな。“紀伊公”には、長く上方で、あんじょうやって欲しい。越前の松平忠直公みたいに隠居を命じられては(一六二三年)、いかんお人や』
江戸っ子:『めでたいことに「大水」をさすのは無粋だもんな。江戸の町も発展したんだ。「江戸と駿府」はもういいだろう』
秀忠:『へー、策伝は“気がきくな”。そうだ。忠直は不合格だったが、頼宣は合格なんだ』
天海ら:『こういう時、上方では“おおきに”というのです』
二七:「田楽」のいわれ
どうして、「豆腐を串に刺して焙った食べ物」を、「田楽」というのだろう。しからば、「田楽」では、「下に白い袴を着けて、上には色ある着物をうちかけて。鷺足(竹馬)に乗って、踊る」。「その姿」に対して、「豆腐の白に、味噌を塗っている姿」。田楽で舞う様子と似ているので、「田楽」という。摂津の夢庵の歌にも言う。
―たか足(竹馬)を、踏みそこなへる、面目を、灰にまぶせる、冬の田楽―
【一言】いらん「竹馬」に乗せて、“きりきり舞い”をさせては、“高転び”のもと。こけたら、冬の田んぼで“灰(敗)”にまみれるだけや。「大阪・冬の陣」の第二幕なんて、見たくもないやろ。紀州公は、「竹馬」に乗せたらあかん。「紀州のぬし」で、ええやんか。