【巻之一・二三~二四 ―紀州のへち馬―】
二三:なんのへちまの皮
「へちまの皮とも思わぬ」とは。紀州の山に、『大辺路』『小辺路』と言って、熊野詣に使う、峰高く岸けわしく、上り下りの続くつたい道があって。人馬の往来が容易でない難所がある。そのあたりで使う馬は、糠も藁も貰えず、まして大豆など申すに及ばないので、まことに骨ばかりでやせ細っている。だから、紀州の馬は、皮をはいでも、背に(鞍で擦れた)傷跡が出るばかりで。「何の役にもたたぬ物」を、「へち馬の皮とも思わぬ」と言うのである。
【一言】この際、“紀州”にも触れとこか。一六一九年、紀州にやってきた“あの鼻息の荒い・徳川頼宣(秀忠の弟・二十一歳)”のことや。上方は、「何の役にも立たんボンボン」と思っとる。秀頼公在世の頃は、子供ながら、兄義直と「二条城の会見」で大役果たし。なんと、とっくに亡くなった加藤清正の五女・八十姫を、正室に迎えおった、せやけど「栄養のいきわたらぬ“へち馬”」に過ぎん。へちまの皮とも思ってへん。紀伊一国の器や。
秀忠:『たいしたものだな』
天海ら:『はい、どうやら紀州の“下馬評”も固まったようです』
秀忠:『いや、側近を選びぬいて、紀州に送り込んでおいて良かったと言っておるのだ』
(上手く、老臣らと諮って。上方商人らを、無事垂らし込みおったな。“あいつ”は、鼻息の荒い振りをして、近付いてくる人間を選んでおる)
天海ら:『苦難の山路も、熊野詣なら(難治の紀州を治めるためなら)』
秀忠:『おいおい。ワシも、ここは“やせ我慢”して、「へち馬」を可愛がってやるか』
二四:うどんくらい
世間で「仕事の下手な者」を「饂飩喰らい」という。ところが、けしからぬ「うどんを好く者」がいる。買って食う者もいないのに。利口でない坊主に向かって、
「そなた、ワシの髪を剃ってくれ。もし、傷が付いてしまったらうどんを振る舞ってくれ。傷なく剃れたら、私がうどんを振る舞おう」と約束させて、頭を剃らせたところ。あと少しで、剃り終わるとするところで、刃が立ち、少し切ろうとしたので。耳を一つ切り落としてしまった。だが、利口でない坊主は、腹を立てないで(頭に傷を付けずに済んだと)喜んでしまった。この坊主は、珍しいうつけである。
【一言】「うどん」=“徳川頼宣”を好むのは、「見境のつかない、うつけ坊主」くらいや。そも、“頼宣公”は、政治(仕事)が下手や。
秀忠:『ほう。とか言いながら、「うどん」か。“上方”も策伝も、紀州が“好き”か』
天海ら:『おそれながら、「うどん」殿は、“町衆”に好かれているようですな』
秀忠:『“政治力はまだまだだが、今や、上方になくてはならぬ”か』
(ワシも実は、弟らが好きだ。息子・家光の藩弊に落ち付けようとしている。豊臣びいきの上方も、頼宣びいき。案外、好都合か。“上方とは本当に仲良くした方が良い”)