【巻之一・二〇~二二 ―「朝謡」は、肝心な時に謳う―】
二〇:法性寺は頰障子
山城の伏見に、法性寺の村里があった。ある人が漏らした「どうして、ここを法性寺なんて、寺の名で呼ぶんだ」。老いた男がそこに出くわした。
「そのことや。昔、この地に庄官がおった。そいつは、焼米をすいて食べ、終日噛んだがくたびれて、頬にふくんで寝入ってしまった。(そこに)鼠がやってきて、匂いをたよりに、庄官のほおを食い破り、口に大きな穴をあけてしまった。
朝になって、村人が訪ねてきた中に、外科(縫合)の達人がいた。風を引いてはようないと、まず障子をちぎって傷口にあてたので。“ほう・しょうじ”というのじゃ」
連歌師昌叱のもとへ、焼米を三袋贈ったところ。
―いち早き、こめらう(女孺)どもの、なす業を、奥歯に入れて、かみふくろかな―
また俳諧に。
―まはる度にぞ、こめを見せける
さしてなき、とがする臼に、縄つけて―
【一言】連歌師昌叱も詠んどるで。「おなご達」(おごう・完子・和子)の“手柄”を奧歯に入れて、よう噛んでふくめろと。あれこれの難儀続きで、ワシら男衆は、罪を重ねるばかりやったが。おなごどもが、“縄を付けて”くれた。“やや”ほど、有り難いもんはない。
二一:こぶ取爺の話
「偶然、めでたいことにあうこと」を「鬼にこぶをとられた」というのは何故か。
目の上に大きなこぶを付けた(在宅の)僧がいた。修業に出たが、山中で日が暮れて宿もない。古いお堂があったので、そこに泊まった。夜もふけて。人の足音や声がたくさんして、お堂に入ってきて酒宴をはじめた(それは天狗達だった)。僧は恐ろしく思いながら、仕方なく、落着きの無い顔をして、敷物を尻につけて、立って踊ってみせた。
明け方になり、天狗どもが帰ろうとする時に言った。
「御坊は、話せる僧侶で、良いつれじゃ。今夜も必ず来てくれよ」
「約束だけでは、嘘もつくやろ。質をとっていくぞ」
と目の上のこぶを取り、行ってしまった。僧は、(こぶがなくなり)もうけものの心地がして、故郷に帰った。それを見た人は感じ入り、親類達も歓喜すること、並大抵でなかった。
【一言】“やや”は上方と関東の「約束」の“質”。“思いも掛けぬ、めでたい宝”や。
二二:「朝謡」はうたわぬこと
「朝謡(朝に歌)は、うたわぬ事」とも、また「朝うたいは貧乏の相」ともいう。みんな悪い噂である。本当は、「“麻”を栽培する時は、“歌をうたうな”」と戒めている。その心は、「“麻”は節を嫌うから(「節」のない“麻”は、高級繊維となる)」。
【一言】“上方”は、“容易に約束せぬ”と世間はいう。違う。「ことに慎重」なんや。