【巻之一・六~八 ―暁の時、パックス・トクガワーナ―】
六:「随八百」のいわれ
「隋八百」とは、「何でもきままにすること」だが。なんでこういうのだろう。
ある家の聟が舅のもとに行った。慇懃に一礼がすんだ後。舅は言った。
「今までは“公界むき”。改まった行儀でやってきたが、今後は“隨”。気ままにやろう」
聞いた聟は肝をつぶし。(何を思ったか)京へ俄かに出掛け、「隨」という品はないかと、買い物に上洛してしまった。声も高く「“隨”はないか」と商家で言い出した。
たまたま、利口な者が行き交って、「亀の子」を、「よう“いきずい”(生きてる)、これや」と言って、八百文で売ってしまった。聟は喜んで、舅の家の座敷へ持って行って。
「“隨”をお持ちしました」と進み出た。それから「隨八百」を、「きままにすること(亀なんか買ってくる)」というようになった。おかしや(面白い)。
【一言】聟と舅。上洛。“舅”の秀忠が上洛した。「亀の子(おごうの娘)」を連れてきた。
―これまで、関東八州と上方は、とかく他人行儀だったが。これからは仲良くやろう―
まさに「おかしや」。本当に天下太平の世がやって来たのである。
もっとも、落語と違い、この上洛では、秀忠が「息子家光に征夷大将軍の位を下さった礼に来た」のである。上洛する秀忠・家光を“聟”と表現するのは、“元祖笑いの神様・安楽庵策伝”一流の“バランス感覚”である。一六二三年の秀忠・家光の上洛。それは、まさに『パックス・トクガワーナ』の始まりである。
世界史の奇跡“二百数十年の平和”は、“めでたい婚儀”によって確定した。
七:「かちん」の起源
女人が餅のことを「かちん」と呼ぶのは。褐色(“かちん”)の手拭で、髪を結っている女房が、いつも内裏へ餅を売りに参上するからだ。「餅売り」と呼ぶと、言葉の味が悪い。
「いつもの“かちん”がやって来た」と言うと、味が良い。
【一言】秀忠が売りにきたのは、「いつもの餅」。一つは、おごうの娘・「豊臣完子」。母・おごうと生き別れになって、伯母の淀殿のもとで育ち。関白に嫁いで、関東と上方のかすがいとなった。もう一つは、「秀忠とおごうの娘・和子」。一六二〇年帝に入内し、一六二三年帝の子を懐妊した。“元祖笑いの神様・安楽庵策伝”も大笑い。
八:「深更」と暁
餅のちょっと赤い(長い)のを「しんこう」という。赤い小豆が上についているのを、「あかつき」という縁で、そう言うのだ。
【一言】秀忠が売りにきた「いつもの餅」は。二人とも、「赤い小豆」がつく、“高貴な餅”となってしまった。一人は、関白の北政所(奥さん)。もう一人は、まもなく中宮になるだろう。関東と上方に、かけがいのない“縁”が生まれた。いよいよ平和な時代が到来する。日本では、これから、“暁”の(太陽が昇る)時代が始まるのだ!!!