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65話 紅い死神、三ツ目の蛇王

「ところでその坊やは何? てっきりあの騎士さんが来るのだと思っていたのだけれど」


(「誰?」じゃなく「何?」とは……人とも思ってないってか?)


 メドゥーサからは悪意は感じられない。

 無自覚に、極めて自然に俺をその辺の石ころ扱いしているのだ。


「こやつは妾の右腕兼弟子兼相棒じゃ」


 メドゥーサの漆黒の瞳が俺を捉える。

 それだけで、俺の身体はまるで蛇に睨まれた蛙のようにびくりと跳ねた。

 まるで死神かと錯覚するほどに濃厚な死の気配。それをメドゥーサの眼の奥に感じる。


(……怖い。怖い、怖い!)


 顎ががくがくと震える。足の震えも止まらず、額にはびっしょりと汗が浮き出る。


 怖い怖い怖い怖い。こんなことならいっそ、死んだ方が――


「アスカっ!」


 プルミエの声が、俺の思考を中断させた。


「……大丈夫かえ?」

「うん。ありがとう」


 どうやら俺は四大英雄というのを甘く見ていたようだ。

 考えてみればこの世界の頂点と言ってもいい存在である。生易しいものであるわけがなかった。


 メドゥーサは混乱から立ち直った俺の様子を冷めた目でみていた。


「まるで赤子ね。それも無垢でない。最悪の部類だと言ってもいいわ」

「アスカを甘く見ると、痛い目みるのはお主じゃぞ?」

「……ふぅん。プルミエって自分は強いのに人を見る目はないのね。この坊やには全然才能を感じないわ。おまけにおまけを重ねて中の下ってとこかしら」

「人を見る才能がないのはどちらかのぅ?」


 プルミエが殺気を身に纏う。今までプルミエから感じてきた殺気とは別次元の濃密さ。

 プルミエもまた、四大英雄の一人なのだ。


 豹変したプルミエを見たメドゥーサは、興奮を隠そうともせずに口に手を当てる。


「ふふふ、やっぱりプルミエって素敵! 素敵すぎて濡れてきちゃうわぁ!」

「お主の痴態になど妾は興味ないのじゃ。ワンゴフの国民を元に戻せ。約束は守るのよな?」

「ええ、勿論守るわよ。私はあなたとさえ戦えれば、他のことなんてどうでもいいもの。あの国の亜人たちに掛けた邪眼なら、プルミエを見た瞬間に解いてあるわ」


 それはおそらく本当のことだろう。いくら目の前のこいつだって、一国の亜人に魔法をかけたままプルミエと戦うようなことができるとは思えない。


「なら妾達はもうお主に用はない。帰らせてもらいたいのじゃが?」

「うふふ、わかってる癖に。私が目の前の極上な獲物を逃がすと思うのかしら?」


 メドゥーサは蛇のような舌でべろりと舌なめずりをして、掌の上に闇魔法を生み出す。

 それが放たれたのを合図に、プルミエとメドゥーサの戦闘は始まった。








(……なんだ、これ)


 俺は呆然と目の前で繰り広げられている戦闘を見守る。

 そこで行われている殺し合いは、俺の想像を遥かに超えていた。


 俺の血を吸って全盛期の力を取り戻したプルミエは、限られた洞窟内の空間を縦横無尽に飛び回った。

 対してメドゥーサは逐次適切な距離をとりながら、矢継ぎ早に繰り出されるプルミエの魔法を全て相殺している。


「があっ!」

「ああぁぁ……いいわぁプルミエ! もっとぉ! もっと頂戴っ!」


 プルミエが吼え、メドゥーサが嬌声を上げる。


 プルミエが地面から闇の手を生み出せば、メドゥーサが氷魔法でそれを凍らせる。

 メドゥーサが闇魔法の奔流をプルミエに放てば、プルミエは炎と闇の混合魔法でそれを燃やし尽くす。


 俺は別次元な二人の戦いをその場で見守る事しかできなかった。

 戦いは互角だった。少なくとも俺の目には互角に見えていた。

 だが、その秤はすぐにメドゥーサに傾くことになる。



「あらぁ? だんだん魔法に力が無くなってきたわ。魔力切れにしては早すぎると思うのだけれど?」


 メドゥーサが不思議そうにプルミエに問う。


「妾はまだまだやれるのじゃ……っ!」


 そう言うが、プルミエの動きは明らかに遅くなっていた。

 一手遅れ、二手遅れ。

 プルミエの身体にばかり傷が増えてゆく。

 それによって血の手も増えることになったが、それでもなお劣勢を盛り返すには至らない。


(そうか、もう時間が……!)


 プルミエの髪や眼から火花のような輝きが消えているのを見て、俺はやっと気が付く。

 俺の血を吸ってから、もう5分をとうに過ぎていた。


「くっ……妾は、まだ……」

「……プルミエ。あなた、弱くなったわね。がっかりだわ……」


 膝をついたプルミエにメドゥーサが闇魔法を放つ。


 俺は無我夢中でそこに割り込んだ。

 過去最高に気張った俺の皮膚の上を闇が這いずり回る。


(プルミエを守る! 今ここで守れなきゃ付いてきた意味がねえ!)


 闇の奔流を、俺の身体は耐えきった。

 少し皮膚が切れたが大きな怪我はない。


「アスカ! お主また無茶を――」

「プルミエ、俺の血をもう一度吸ってくれ!」


 俺は有無を言わさずそう告げる。

 対峙してみてわかった。俺じゃ天地がひっくり返ったとしてもメドゥーサには敵わない。俺が今できることは、プルミエに血液を吸わせることだけだ。


 プルミエは一瞬躊躇ったが、他にとれる方法もなく俺の腕に噛みつく。


「身を挺して女の子を守るなんて、見上げた坊やね。まるでおとぎ話の騎士とお姫様だわ。ちょっと違うのは、騎士の方がお姫様より格段に弱いってところかしら」

「……ならお前は邪悪な魔女だな」


「あら酷い」とメドゥーサは何とも思っていない顔で告げる。


「女の子に向かって面と向かって悪口をいう男は嫌われるわよ?」

「女の子って年じゃねーだろうが」


 100年前の大戦で活躍していたのだから、少なくとも100歳は超えているはずだ。


「乙女に年の話は禁句よ、坊や」


 形だけ怒った風を装いながら、メドゥーサが氷の魔法を俺に撃ち込んでくる。


(耐える! もう一度だ!)


 俺はプルミエを背に隠し、再び全身全霊で気張った。

 何発かが腹や顔に刺さる。血がブシュリと噴き出るが、痛みは不思議と少なかった。

 痛覚が麻痺しているのだろう。異常な事態だが、今の俺にとってはこの上なく好都合だ。


「一度ならず二度まで……。坊や、あなたもしかして――強いのかしら?」


 メドゥーサの顔がぱあっと明るくなる。


「強いのかしら、ねえ! ねえ、坊や!」


 メドゥーサの頬が紅潮する。あまりにも急な豹変に、俺は呆気にとられてメドゥーサを見た。


「強いのなら隠さなくていいのよ? 私が全部受け止めてあげるから、あなたの欲望を全て私にぶつけなさい」


 メドゥーサが自身の(もも)を擦り合わせながら、「ああんっ」と甘い声を上げる。


(……この異常者がっ)


 こいつは狂ってやがる。物事の物差しが根本から違うのだ。

 さらに色気を増したメドゥーサが、俺の目には一気に気味悪く映った。


(せめて一泡吹かせてやる!)


 そう決めた俺は火球を生成し、メドゥーサへと飛ばす。

 メドゥーサはそれを全く防御せず、その身で受け止めた。

 黒いドレスの裾がひらりと捲れる。


「なぁに、これ? まさかこれが全力なの? ……期待して損した。その防御力を考慮しても、あなたやっぱり中の下だわ」


 メドゥーサの顔が歓喜から失望へと変わり、その手に闇魔法を準備する。


(もう一回耐えられるか……? いや、耐える!)


 絶えず全身に力を入れているせいで、気力も消耗してきている。

 次が耐えられる保証はなかった。


「ぷはあっ」


 とその時、プルミエが俺の腕から口を離す。

 プルミエは俺の腕をぽんぽんと労わるように叩き、俺を守るように前に出た。


「妾とやるのが先じゃろ。のう、メドゥーサ?」


 指で俺の血を拭い、それを舐めるプルミエ。その髪と瞳はルビーのように輝き、漆黒の翼はまるで深淵のように深い闇の色を携えた。


「プルミエ、あなたの強さはもう見切ったわ」


 メドゥーサはその瞳でしっかりとプルミエを捉え、身体に濃厚な魔を纏う。


 ――四大英雄が再び雌雄を決しようとしていた。

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