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64話 メドゥーサ

 太陽が空の一番高くに上った頃。俺たちを乗せた竜車はついにワンゴフ国へとたどり着いた。


「ここがワンゴフ……!」


 俺は国を囲むように築かれている、石造りの城壁を見上げる。

 十五メートルを超えようかという高さの城壁は、出入り口である城門以外から侵入することは不可能に思えるほど頑強な威圧感を与えてくる。


「ふむ……。確かに生物の気配がしないのぅ」


 目を閉じて気配を探っていたプルミエが俺たちに報告した。

 ウェルシュはそれを肯定する。


「普段であれば城門には最低三人の兵士が常駐し、人々の賑やかな会話や喧噪が城壁の外にまで響いてくるのだが……」


 俺は耳を澄ますが、聞こえてきたのは乾いた風が吹きすさぶ音だけだ。

 空虚な音であり、その中に生命の胎動は全くと言っていいほど感じられない。

 ウェルシュは国の現状を憂うように顔を顰めた。


「それで妾たちはこれからどうすればいいんじゃ? 中へ入ればよいのか?」


 深く考えて自己嫌悪に至らせないためだろう。プルミエがウェルシュに尋ねる。


「メドゥーサには詳しく説明されたわけではないからな……。だが、入ってみればわかるのではないかと思う」


 ウェルシュは意識を内から外へと戻した。


(いよいよだ。この中でメドゥーサと戦うんだな)


「? どうした、アスカ?」

「……いや、何でもない」


 速くなり始めた鼓動を隠しつつ、俺はワンゴフへと立ち入った。






 ベルの言っていた通り、ワンゴフに動いている犬亜人は一人もいなかった。まるで時間が止まったように硬直している人ばかりだ。


「これは……」


 何といっていいのかもわからない。

 気づかないまま突然動けなくされた者、恐怖で顔が引き攣っている者、立ち向かおうと虚勢を張り上げている者。皆が皆、一様に動きを止めていた。


 魔法というのはここまで突拍子もないことが出来てしまうのか。

 目の前の現実離れした光景に脳が追いつかない。

 科学でも不可能な芸当に、俺は背筋に冷たいものが流れるのを感じる。


「……」


 ウェルシュは何も言わなかった。何一つ言葉を発さず。ただ国中の犬亜人が動かなくなった光景を黙って見ていた。

 俺たちに背中を向けたウェルシュの顔は確認できない。ウェルシュは栗色の髪も、黒い耳も、尾も、どこも微動せず、ただ彼らを眺めている。


「……前に来た時とは随分と街並みが変わったのぅ」


 プルミエはあえて人ではなく街の話題をウェルシュに振った。

 たしかにこの街はヒュマンとは違うところも多い。

 建築物が石造りであるし、加えて道がマス目のように理路整然と整備されているのだ。


「ああ……十二年前の抗争で建物は粗方おしゃかになったからな。同時期にほとんどを建て直すことになったおかげで、こんなにぴっちりとした並びになっている」

「材質が木じゃなくて石なのも何か理由があるんですか?」

「いや、単に調達の問題だ。ワンゴフの周囲には森がないからな。木材は容易には調達できない。代わりに粘土層の土壌は豊富にあるから、そちらを利用しているだけのことだ。個人的見解を言わせてもらうと、木より石の方が好みだ」


 なるほど。そりゃ木がなくちゃ木材は手に入れられないよな。

 そう納得する俺に、ウェルシュは軽く頭を下げた。


「すまんな。もう大丈夫だ、ありがとう」


 少しは気を紛らわせることが出来たみたいだ。

 もっとも、俺は即興でプルミエに乗っただけなのだが。


「歩く元気が戻ったのなら進むのじゃ。目指すは……王宮かの?」

「最後に戦った場所が王宮だ。そこにいる可能性が一番高いと思う」


 俺たちはウェルシュを先頭にしてワンゴフの中を進む。


「わかっておると思うが、気を緩めるなよ。敵は大戦時代の主役級じゃ。次の瞬間には自分の首がもげている――なんてことは、あやつにかかれば造作もないことじゃからな」


 プルミエの言葉に俺は喉を鳴らす。そしてすぐに全身に気を張り巡らせた。






 王宮を前にした俺たちは、その前で黒い人影が待ち構えているのに気がつく。

 二度にわたりウェルシュを襲撃してきた、あの黒い人影だ。


 そいつは俺たちの姿を確認すると、黙ってどこかへ進み始める。


「……どう見る、プルミエ」

「『付いて来い』。そういうことじゃろうな」


 その言葉にウェルシュも頷いた。

 俺たちは黒い人影を追っていく。


 人影は俺たちに一瞥もくれず一定のペースで歩き続けた。

 城門をくぐり、ワンゴフの外へと出ていく。

 そして少し離れた洞窟に俺たちを案内したところで、人影は役目を終えたようにその身体を消した。


「この中にいるな。隠しておるようじゃが、生物の気配を微かに感じる」


 プルミエが洞窟を睨みながら言った。


「ウェルシュさん、この洞窟は?」

「新米冒険者が良く来る洞窟だ。危険な魔物もいないし、中もそこまで広くない」


 ウェルシュさんは地面に絵をかいて洞窟内部の構造を俺たちに知らせる。

 それによると中は一本道で、十メートルほどいったところに半径10メートルほどの広間があるということだ。


 それを見たプルミエは口を開く。


「ウェルシュ、お主は外で待っておれ」

「な!? そ、そんなわけには――」

「最初はお主と共闘するつもりじゃった。じゃが、狭い洞窟では互いに気を使ってしまって逆効果じゃ。それなら一人で大規模魔法をぶっ放した方が強い」


 ウェルシュはプルミエの主張に反論しようとしたが、反論材料を見つけられなかったのか、俯く。


「……わかった。私の力不足だ、仕方ない。だがアスカ殿は?」

「俺なら大丈夫です」

「……いや、大丈夫ではないだろう。四大英雄同士の戦いだぞ?」


 ウェルシュは首を振って俺を止める。

 心配してくれるのは嬉しいが、俺は行かなくてはならないのだ。


「心配いらぬ。こやつの身体は妾より丈夫じゃからな」

「ぷ、プルミエ殿より?」

「そうじゃ。なんたって妾の右腕兼弟子兼相棒じゃからの!」


 プルミエが俺の背中をポンポンと叩く。叩かれたところが妙に熱く感じた。




「さて、ここで飲んでおいた方が良いな。……アスカ、妾に血を飲ませてくれんかえ」

「うん、わかった」


 俺は服をはだけて首筋をプルミエに向ける。

 プルミエはそこに躊躇なく噛みついた。


「はむっ……んっ……んくっ……」


 噛みついたプルミエは両手で俺の肩を支え、コクコクと俺の血液を体内に入れていく。


「はんっ……ぷはぁっ」

「もう大丈夫?」


 プルミエは唇に付いた血を桃色の舌で舐めとる。

 真紅の髪が光の粒子を纏ったかのように神秘的に煌めき始めた。


「ああ、大丈夫じゃ。行こう」


 身体の調子を確認したプルミエは、すぐさま洞窟へと足を向ける。


 俺の血を吸ったプルミエがフルスロットルで全盛期の力を保っていられる時間はおよそ5分。

 一秒が命とりである。


「アスカ殿!」


 続いて洞窟へ入ろうという俺をウェルシュが呼び止めた。


「我が国を頼む。……そしてプルミエ殿のことも」

「……はい。任せてください」


 俺はウェルシュに親指を立て、プルミエに続いて洞窟へと踏み入った。







 洞窟の中に入って一番最初に感じたのは「寒気」だ。

 得体のしれないものの中を進んでいる感覚。命を手の平で握られている感覚。

 寒いのにも関わらず、身体は気持ちの悪い汗を分泌し始める。


 一歩。また一歩。

 洞窟の奥へと進んでいく。


 開けた場所へと出た俺たちに、女の声が掛けられた。


「やぁっと来てくれたわね。待ちくたびれたわぁ」


 甘ったるい声だ。甘美の極みのような声の持ち主は、プルミエを真正面から見据えていた。


「……久方ぶりじゃな。メドゥーサ」

「会いたかったわ。愛しのプルミエ」


 黒い長髪(ながかみ)に、漆黒のドレス。

 見る者を残らず虜にさせる面妖な女が、プルミエに牙をむいていた。

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