一月二十五日 7 月下の殺人鬼
一月二十五日 二十三時十分
俺なりに懸命に荊原を探してみたのだけれど、どんな手品を使っているのやら、その影すら掴むことができなかった。まぁこの狂言はその姿を捉えられてはおしまいなのだから、何か、絶対に見つけられない手段を取っているのだろう。アイツ単独でそんなことができるとは思えないから――恐らくは彰も一枚噛んでいるだろう。この街で、皇帝にできないことなんてない。
時刻は十一時、もう約束の刻限が迫っていた。俺はこれ以上の捜索を諦め、荊原と犯人が対決に指定した場所へ向かう。
市の片隅にある、寂れた遊園地――へと。
このシーズン、遊園地の営業は午後十時を持って終了する。市内の不良には有名な話だが、この遊園地、バブル時代に調子に乗って建てられ、そのまま取り潰す金もないので仕方なく運営しているらしく、そんなところに回す金はないのだろう、警備がかなりおざなりだ。
つまり、侵入は容易なのだ。
そして実は一度、夏休みの短期でこの遊園地でバイトをしたことがあった俺は、知っていた。十一時を回れば、社員やスタッフも含め、園内には誰もいなくなる。サイト管理者――荊原は、そこらへんの事情を知らないから、余裕を持って十二時を指定したのだろう。ヤツを出し抜くために俺は、先周りをすることにした。監視カメラはどうせ全てダミーだ。俺は堂々と正門に設けられた柵を乗り越え、園内に侵入する。そういえば大まかな場所の指定はあったけれど、その中のどこに集合するかは明言されてなかったな。この遊園地、アトラクションはしょぼいけど中は広い。果たして会えるのだろうかと心配していると――
いた。
ミラーハウスと子供向けジェットコースターの間にある、ちょっとした広場。その真ん中に、人が立っている。蒼白い月光を浴びて、酷薄に佇むその姿は、普段の彼とは似ても似つかず、俺の脳は一瞬、判断を躊躇う。
しかし、彼は、
いや、やはり彼が――
「会長」
横顔にかかっていた月光が、こちらに振り向く会長を、今度は背中から照らす。それはまるで後光のように見え、普段の軽薄な印象とは正反対、神々しく神秘的な印象を、俺に与える。それは生徒会長と言うより、放課後殺人クラブの会長として、ふさわしい印象だった。
しかし。
そんな俺の印象とは対照的に、会長は俺の姿を認めると気安く微笑んで、やぁ、と声を掛けてきた。それはさも学校の廊下ででも通りすがったかのように、軽い。
「意外だったな……。君が来るとは予想していなかったよ。どうして?」
「どうしてだなんて、俺を探偵に指名したのは、会長じゃないですか」
「そうか、それは、そうだね」
会長は、ははっと笑う。いつものように。
「探偵が最後犯人の元にたどり着くのは、当然のことだよね。うんうん」
言いながら会長は満足げに、腕を組む。……分からない。
「どうしてと言うなら、それは、俺の方が聞きたい。どうして会長、貴方がこんなことを」
「…………」
「会長!」
目を閉じ俯いたまま、会長は黙っている。こんな会長の姿を見るのは初めてだ。
「……うーん、出鼻を挫かれてね。実は今、どういう感じで行こうか、迷ってる。僕は敵役にも実は悲しい事情が……なんてパターンが嫌いでさ。ゆうひちゃんが来たら、くっくっくっ……フハ、ふははははは! アーッハッハ! てな感じで三段笑い決めて、架空のマントを翻しながら、殺人の愉しさについて恍惚とした表情で語ろうとしていたのだけど。蒼司君が来ることは想定していなくてね。参った」
「……この期に及んで、ふざけないでください。いつもみたいに、普通でいいですから」
「普通、ね」
会長は少し考え込むような顔をして、俺から目線を逸らす。
「実をいうと僕には、どれが普通なのかよく分からない。演じることに慣れすぎてしまってね、この場面、この場所、この人、と全て決まっているなら問題はないのだけれど、不測の事態には弱いんだ。さて、君の前ではどういう仮面を被っていたろうかねぇ。どういう演技をすればいいのだろう」
会長は、真面目な顔で俺と相対する。それは、俺の前では殆どみせたことのない表情だった。
「……本当に久しぶりに、ぶっつけ本番で行くことにしたよ。いつもと少しキャラが違うかもしれないけど、許して欲しい。……さて、ご質問はなんだったか……ああ、そうそう、どうして僕がこんなことをしているか、だったっけ」
――難しい質問だよね、と会長は苦笑する。
「自分がどうしてこんなことをしているか、全てに理由を付けられる人なんているんだろうかね? これは僕の持論だけど、人間に自由なんてないと思うんだ。そうできたから、そうなってしまったからそう生きる。人の生はその連続でしかなくて、それは数列のように、最初の一歩を踏み出せば全てが決まってしまうものなんじゃないかな」
黙って聞くつもりだったが、つい口が動いてしまう。
「……そんな考えは、卑怯です」
「おや? 君からそんな言葉を聞くとは思っていなかったな。……まぁ確かに、そうだけどね」
せっかくの遊園地だ。歩きながら話そうか、と言って、会長は歩き出す。
「……そうだな、僕がなんでこんなことをしたか。その問いに逃げずに立ち向かってみるならば、その答えとしては『僕が死にたがり』だから、というのが最も適切だろうね。なぜ死にたがりが自分ではなく他人を殺すのか? 君は疑問に思うだろう。当然だね。僕達の間には、大きな誤解があるから。それは『放課後殺人クラブ』という組織についての、誤解なんだ」
「……どういう意味ですか?」
「『殺人』クラブ……それは確かにそうなのだけれど、僕たちは他人を殺しはしない。分かるかい? 僕達が殺すのは『僕達自身』なのさ。自殺志願者の集まりなんだよ、殺人クラブは」
なんだって……!? 会長は横目で、俺の表情を確認する。俺の反応は予想通りらしく、彼はニッと笑う。
「自殺……っていうのは、中々難しい物でね。拳銃なんかがあればいいんだけど、この日本では望むべくもないし、高所から飛び降りるのは尋常じゃない勇気がいるし、毒物の入手は困難。それに色々試してみても人体っていうのは意外に頑丈でさ、生き残ってしまうことも、多いんだよ。意思に関係なく本能で体が動いちゃったりすることもあるしね。障害が残って体が動かなくなってしまったのにまだ生きている……なんて状態になったら悲惨としか言いようがない。もうその時は、自殺すらできないからね」
理解できた。だから――
「だから、仲間内で殺し合おうと?」
「ご明察。他人に殺してもらうのが、一番確実なんだね。そうだ。これでこのクラブに関する謎が一つ解けたろう? 僕達がやっているのは殺人であっても同時に自殺なんだ。ちゃんと遺書は用意するし、普段の言動とか行動から、そうなっても不思議じゃないようにしてる。だから、警察は自殺と判断して、敢えて捜査しようとはしない――まぁ今回だけは、僕が警察に手回ししたんだけどね。あのままでは矢代環が捕まってしまうから」
「そんなことが……」
「そんなことが、できるのさ。僕の家はあの学園を創設した名家でね。親戚に県会議員、国会議員、官僚が、それこそ掃いて捨てるほどいる。まぁさすがに殺人事件を揉み消すことはできないから、司法取引だけどね。実は警察は中尾冬馬殺しの犯人が、矢代環だということは既に分かっているよ。僕――というより学園がお願いしたのは、矢代環が卒業して、学園と無関係になるまで逮捕を待ってくれ、ということだ。その程度のお願いなら、大した苦労はしない」
「そんなことをわざわざしたのは、なぜですか」
「おや? そんなこと君はもう既に知っているだろう? 偽者をこの手で殺すためさ」
淡々と、会長は言う。歩む速度も全く変わらない。
「僕達は僕達なりに、この集まりを気に入っているんだ。ここは、異常者が異常者なりに見つけた唯一の拠り所だから。愛着がある……って言えばいいのかな。まぁ君たち一般人に理解を求めるには酷な動機だけどね。僕にもよく分かるよ。ニ年前は、僕もそう思ってたから。ただ、一回でも、それが自殺の手助けと言えど、『大好きだった人を殺してしまう』と、死生観がおかしくなってしまうんだなぁ。なんの気なしに人が殺せるようになってしまう。この感覚は、君には一生分かって欲しくないな」
ニ年前までは俺と同じ感覚を持っていた、ということは、その時までは人を殺した経験がなかったということ。なら、二年前に起きた殺人、その時に手を汚したのは、
「荊原の姉さんを殺したのは、会長なんですか」
「そうさ。僕があさひ先輩を殺した。ゆうひちゃんの仇は他ならぬ僕、なんだよ」
会長は歩みを止めて、再び俺と向き合う。時刻は十一時五十分を回っていた。約束の時間まで、あと十分。
「随分、平然としているじゃないか。愛する彼女が仇にしている男を、君は今目の前にしているんだぜ? それなのにその反応は、少々薄情じゃないのかな?」
「違うでしょう」
二年前、荊原あさひが殺された事件は、放課後殺人クラブが三年おきに行う、定例の殺人だ。つまり、会長は荊原の仇なんかじゃない。
「荊原あさひは、殺人クラブの会員だった。そして、二年前の不審死は自殺だった」
「手を下したのは僕だ。法的に言ってもこれはれっきとした殺人だぜ?」
「それでも違う。違います! 貴方が仇として殺されていいだなんて、俺は思えない!」
やはり、止めなければならない。なんとしても荊原を。全ては、根底からズレていたんだ。
俺は、会長の腕を掴む。
「どういうつもりだい? 蒼司君?」
「逃げるんです!」
こと復讐に関する荊原の行動力は、尋常のそれじゃない。殺人クラブをおびき出した手際同様、ここにおいても常軌を逸した、必殺の策を練っているだろう。ここにいては、話し合うまもなく会長はむざむざ殺される。逃げなければ!
俺は一向に動こうとしない会長の手を引いて、強引に歩ませる。時刻はもう十一時五十八分。もう園内に荊原が入っている可能性は高い。ここは見つからないように、遮蔽物越しに裏口を目指さないと――
その時、
突如、ドガァン、と腰が砕けるような衝撃が、俺を襲った。視界が勝手に上を向く。受身も何もできず、俺はアスファルトの地面に倒れたのだ。全身が痺れたように動かず、感覚もない。あまりに突然の事態に、思考が追いつかなかった。俺は今、何をされた? 一体何が起きたんだ? まだ見つかってなんて、いないはずなのに――。
その答えは、次の瞬間自ずと出た。




