第三十七幕:宴の始まり
袁術達の居る天幕の中には左右に群雄達が座り、盆には料理と酒盃などが置かれていた。
しかし、上座には年齢がマチマチの男子が直立して空いた席を護るようにしている。
「座られては、どうですか?」
陣の主人である袁術が意を決して言えば、老将という言葉が似合う白髭を伸ばした者がジロリ、と袁術を睨む。
「貴様に指図される覚えなどない。姫様の・・・・・胸を握った小僧」
「あ、あれは、不可抗力というか、その誤解で・・・・・・・・・・」
袁術は何度目か忘れたが、同じ台詞を言った。
「どちらにせよ事実は変わらん。姫様の手前・・・・見逃したが、わしは赦さんぞ」
「まぁ、そう怒っても仕方ないでしょう」
老将の隣に立つ男---老将より僅かに年上と思われ、片眼に眼帯をした者が割って入る。
「では、聞くが・・・・・ハンニバル殿。貴殿は、妻子を何処の誰ぞ分からぬ輩に胸を掴まれたら、どうする?」
ハンニバル、と言われた男はニヤリと笑った。
「決まっています。その腕を切り落とした上で荒野に捨て、狼などに喰わせます」
「わしもだ。だから、この場で・・・・・・・・・・・・」
「あら、私の臣下に何をしようとしているのかしら?爺」
天幕の中に可憐であるが、断固とした意志を宿した声が響き渡る。
一同が一斉に天幕の入り布に視線を送った。
入り布を開けて中に入って来たのは・・・・・・一人の娘だった。
その娘は銀と紫の髪色を持ち、幾重にも重ね着した服を纏い入って来る。
年齢は二十になった位であるが、凛とした顔は実年齢以上の雰囲気を醸し出しており、見る者も圧倒されていた。
傍らには黒い狼が一匹おり、護る様に従っている。
「これは姫様・・・・・・嗚呼、いつ見ても御美しい」
老将は娘の前まで行くと片膝をついて何とも孝行爺のような眼をする。
「相変わらず世辞が上手いわね。でも、勝手に袁術を処罰するのは駄目よ」
「ですが、姫様・・・・・・・・・」
「私の命令に従わないの?」
「・・・いいえ」
老将が頭を垂れる。
「なら、袁術を始めとした者達に先輩として助言こそすれ・・・・・私情を挟んだ真似は一切しないで」
「・・・御意」
と頷いたが背中では・・・・・・・・・・・・
『おのれ!小僧が!!』
そう叫んでいた・・・・・ように見えたのは気のせいではないだろう。
「来なさい、フェンリル」
娘が黒狼の名を呼べば、狼は娘に従う形で左右に座る群雄達の間を歩いて行く。
それから直ぐに二人の侍女らしき娘が天幕に入り、娘の後を追い掛けたが・・・・・・その更に後ろからは壮年の男が二人居た。
袁紹の子飼い武将---文醜と顔良だ。
「夜姫様、あの者は・・・・・・・・」
袁術が素早く二人を見て上座に席を下した娘---夜姫に問い掛ける。
「彼等も急きょ宴に参加するわ。でも、酒も食事も要らないらしいわ。ただ、私と舞いたいだけよ」
「何と・・・・この小僧二人が・・・・・・・・」
老将は片膝を起こして顔良と文醜を見た。
「それなりに場数は踏んでいるが・・・・・・まぁ、良いだろう」
しかし、口調とは裏腹に双眸は小馬鹿にしていた。
「せいぜい姫様の舞に付いて行けず、へこたれんようにするのだな」
文醜と顔良は顔を見合わせたが、老将の言葉の意味は理解できなかった。
「貴方達、座りなさい」
『御意』
夜姫の言葉に老将を始めとした者達は、言われた通り腰を下した。
「貴方達も座りなさい。何も食べず、飲まなくても・・・・・ね」
言われるままに文醜と顔良は言われた通り腰を下し、それを見てから夜姫は自分で杯に酒を注ごうとするが老将は止めた。
「姫様、ここは若造であり新入りである文秀に」
「嗚呼、そうね。文秀・・・・・私の杯に酒を注いで」
「は、ハッ」
文秀は急いで前に出ると、夜姫から銚子を受け取った。
「では、近衛兵文秀。我が盃に酒を注いだ後は、我が銚子で酒を注ぐ。それを飲み干して、我に忠誠を誓う言葉を述べよ」
「御意に。我が姫」
言われるままに文秀は頷いて銚子を傾けて、夜姫の持つ盃に酒を注いだ。
それを夜姫はクイッ、と一気飲みしてから文秀に盃を渡す。
「さぁ、文秀。飲みなさい」
と夜姫は銚子を傾けて文秀の盃に酒を注ぐ。
注がれた酒を文秀は一気に飲み干して、夜姫に頭を垂れて誓いの言葉を述べた。
「我・・・・文秀は眼前の人物---織星夜姫に絶対の忠誠を誓い、この心身は・・・・・魂も貴女様の物です。貴女様に害なす者は全て我が槍---グングニルの餌食にしてみせましょう」
「その儀・・・・・しかと受け取りました。では、文秀。今宵より汝を正式に我が近衛兵の一員に任じます。項羽、良いわね?」
「御意。ですが、この者の前世---クー・フーリンの愛槍グングニルはありません。どうなさいますか?」
夜姫はスゥ、と立ち上がった。
「ヨルムンガルド、出しなさい」
夜姫が言うと、一匹の蛇---ヨルムンガルドが這って来た。
「貴方の力で文秀に合う槍を出して。後は私が何とかするわ」
他の者達は何をする、と興味を抱いて文醜と顔良も同じだった。
ヨルムンガルドは何かを出そうとしているのか、鎌首を擡げて・・・・・・大きく弓反りにすると吐き出した。
ところが唾液などは付着しておらず、綺麗だった。
口から出て来たのは・・・・・・・・・槍だった。
「ありがとう。ついでに後で私の武具とかも出して」
と夜姫は頼むが、ヨルムンガルドは縦眼で答える。
『既に出しております。我が姫君』
カーカー
二羽の鴉が何処からか現れて、静かに鳴いて夜姫は驚いた顔をする。
「まぁまぁ、ありがとう。本当に気が利くわね。偉いわ。後で御褒美あげるわ」
夜姫はヨルムンガルドと二羽の鴉---フギン(思考)とムニン(記憶)の頭を撫でながら言い、槍を掴み上げる。
「文秀、手を出しなさい」
「ハッ」
言われるままに文秀は手を掲げるが、眼は槍を見ていた。
『何の変哲もない槍、だな・・・・・しかも、木に穂先を取り付けただけか』
この手の槍は雑兵や地方の者が自衛として持つ感じである。
これでも一端の武を誇っているから、こんな物をと文秀は思った。
「文秀、そう拗ねないで」
夜姫が優しい声で言うと、文秀はハッとする。
「え、あ、いえっ。別に私は・・・・・・・・・」
「嘘おっしゃい。こんな雑兵とかが持つ槍を、と思ったでしょ」
「ま、まさか・・・・・・・・」
否定しようと笑おうとしたが、余りにも図星だった為に内心では汗が絶えず流れていた。
「大丈夫よ。貴方に相応しい槍を今から私が手製で完成させるから」
と、夜姫は笑い槍を両手で持って眼を閉じた。
「我が命に従い・・・・この眼前の男に合う槍になれ」
短いが重い口調で命令を下すと槍が光に包まれて・・・・・・・・・・・・・
「こ、これは・・・・・・・・・・」
文秀を始めとした者達は夜姫の手に余る程の長さになった槍を見て眼を奪われる。
3mはある柄に、これまた30cm以上はあるだろう鋭い平三角形の穂先が填め込まれていた。
いわゆる30cm以上の穂先を持つ槍---“大身槍”である。
名前の通り非常に長い槍身だが、それを使いこなせなければ「無用の長物」と称されてしまう。
しかし、夜姫は敢えて大身槍にしたような顔を浮かべた。
「貴方の前世は槍使い。その前世を持つ身なら・・・・・槍の王者を使いこなしてみなさい」
他にも後で用意する、と夜姫は言い文秀に大身槍を差し出す。
「この文秀・・・必ずや夜姫様の御身を護らんが為に、この大身槍を使いこなしてみせましょう」
文秀は大身槍を受け取り頭を下げた。
「良い心掛けね。さぁ、宴をしましょうか」
そう言って夜姫は杯を持ち上げたのである。