第三十一幕:連合軍の陣に
今すぐ天の姫こと織星夜姫を救おうと、軍勢を進めようとしたが・・・・・その必要は無さそうだ。
「あれは・・・・・・夜姫様!!」
誰かが向かって来る者---真ん中の娘を見て、名を叫んだ。
ウォォォォォォォォォン!!
ここで狼の遠吠えが連合軍の陣内に木霊する。
遠吠えをする狼は月夜の下で、その漆黒の毛を惜しげも無く晒して威厳を見せるフェンリルだった。
夜姫が散歩中に見つけた狼であり、夜姫にしか懐かず人語を話せる狼である。
その狼が遠吠えをしている・・・・・・・・・・
『待てよ・・・・今にして思えば、新月が変化したのもフェンリルが鳴いてから、だったな』
閻象は先ほどまで新月だった事を思い出して、フェンリルの力かと疑問を抱く。
しかし、フェンリルは遠吠えを続けており、まるで夜姫たちを誘導するように鳴き続けた。
「連合軍の陣まで後少しよ!!」
夜姫が斧と槍が一緒になった長柄武器---ハルバートを振い、襲い掛かる愚民を薙ぎ倒しながら付いて来る者達に言った。
あれは、誰だろうか?
誰もが夜姫の後を付いて来る者達に訝しげな視線を送らずにはいられない。
いられないが・・・・・・やる事はある筈だ。
「皆の者!姫様を追う者達を射て!!」
閻象は部下達に叫んだ。
それは護るべき民達を殺す、という意味である。
連合軍が兵を挙げたのは董卓を打倒す為だが、劉備のように漢王朝を復興させて民達を助けたい、という純粋な考えを持つ者も居た。
そんな民達を射る。
明らかに反しているが、閻象は迷わず決断した。
『この身は夜姫様の為だけに捧げる、と誓ったからな』
あの誓いに嘘は無い。
それは袁術達も同じであるが、如何せん彼等は将だ。
将とは全軍の頭であり、出来るならば“汚れ仕事”はやらない方が良い。
家臣の責は将の責である。
しかしながら・・・・・抜け道は幾らでもあるし、この手の仕事は家臣がやるべき事だ。
だからこそ、閻象は袁術に変わり汚れ仕事---即ち民を攻撃した。
『連合軍のくせに民である我等を射るか?!』
民の一人が悲鳴を上げながら、罵倒を浴びせてくる。
「黙れ黙れ!我らの主人は夜姫様なり!その姫様を殺そうとする輩など民に在らず!!」
閻象は腹から声を出して、民達に対して怒鳴り返す。
「閻象!このような輩は民じゃないわ!!」
夜姫がハルバートを馬上から振い、民達を少なくとも五人ほど薙ぎ払った。
「民とは即ち国の礎。でも、こいつ等は己が生を嘆いているだけ。遠慮なく射なさい!全責任は私が受け持つわ!!」
はいや、と馬の腹を蹴り夜姫は速度を上げて陣に近付いて来る。
「聞いたか?!姫様が我らの責は受けてくれる!しかし!我らは姫様の臣下なり!皆の者、姫様を護るのだ!!」
閻象は剣を腰から引き抜いて、兵達に矢を番える準備をさせる。
「狙うは民の皮を被った敵!護るべきは夜姫様なり!!」
ヒュンヒュンヒュン!!
幾十、幾百、幾千の矢が宙を飛んで夜姫たちを襲う民達に降り注ぐ。
「うぎゃ!!」
「ぐぎゃ!!」
「おごっ!!」
雨霰の如く降る矢に民達は成す術も無く射殺された。
「ええい!おのれ!おのれ!おのれぇぇぇぇぇぇ!民達の為、漢王朝の為に戦わんとした連合軍が民に弓引くとは何事なりか!!」
剣を握って馬にさえ乗った男---民達の指揮官が閻象に対して罵声を浴びせる。
「黙れ!この愚か者が!!」
閻象は矢を射かけさせながら、その男に怒鳴り返す。
その一方で夜姫たちは閻象の助力もあり、何とか連合軍の陣内に・・・・・・到着した。
「ええい!おのれ!偽者め!!」
男は連合軍の陣に入った夜姫たちを忌々しそうに睨み罵詈雑言を言い捲る。
「偽者とは違うわよ。お馬鹿さん」
夜姫の綺麗だが、冷たい声が矢に交わり男に、愚民達に届いて行く。
「何が馬鹿か?!」
飛んできた矢を男は剣で払い落して、部下となっている愚民達を下がらせながら聞いた。
「私が治める都は天に在らず。だから、偽者じゃないの。そして・・・・・自分を民達、と称する者に民と言う言葉など似合わないわ」
ハルバートを天高く夜姫は放り投げる。
華奢な腕なのにハルバートは高く放り投げられて、回転しながら夜姫の頭上に落ちて行くが夜姫は動かない。
「知っていて?お馬鹿さん・・・・・私はね、義理人情には厚いし他人に対しても慈しむ心は持っている積りよ。もっとも、それは本当の民達にだけ」
「我らは違うと申すのか?!いや、仮にも高貴な者ならば、弱者である我等を救済するのが責務ではないのか?!」
そうだそうだ、と男の言葉に下がった民達は賛同の声を出して陣内に攻め込まんとした。
しかし、そうはさせないと袁術達が兵を前に出す。
「責務、でしょうね・・・・・上に立つ者の。でも、貴方達は違うわ。そして・・・・・・・・・・・」
天高く放られたハルバートが夜姫の頭上近くに迫って、夜姫が手を伸ばす。
ガシッと何かを夜姫は掴む。
それはハルバートではなく・・・・・・大きな弓であった。
「その弓矢は・・・・・・・・」
閻象は以前に見た時と同じ弓矢と言おうとしたが、夜姫が先に口を開いた。
「貴方は私の家族を殺そうとして、臣下にしようとした者まで殺そうとしている。そればかりか私の愚妹に唆されている」
無知蒙昧とは、そならのような者にあるのだろう・・・・・・・・・・・・
「生憎と私は・・・・・・そんな奴等の為に前まで戦って来たの。だから、宣言して上げる」
キリキリ、と音を立て弦が引かれる。
「私の臣下と家族に手を出す者は・・・・・親だろうと赦さない。そして貴様等は、私の手で殺して上げる」
ヒュンッ!!
兵達が引いた弓矢より更に鋭い音を立て、矢は直線状に飛んで行き男に迫る。
「小癪な!!」
男は剣で薙ぎ払おうとしたが・・・・・・・・・・逆に矢に弾き飛ばされて・・・・・・・・・・・・
「うがっ!!」
矢を左肩に受けて、馬上から背後に押される形で吹き飛ばされた。
「悪いけど・・・・・私の矢は百人くらいは一本で射殺せる威力があるのよ。お馬鹿さん」
クスッ、と夜姫は冷酷に笑い愚民達に告げた。
「今すぐ決めなさい。逃げるか、それとも私に殺されるか?」
『殺してやる!!』
と愚民達は夜姫の選択肢を拒否する。
「そう・・・・・・ならば、三日後に殺して上げる。その首と四体を八つ裂きにして腐り果てるまで晒すから覚悟しなさい」
「それは貴様の方だ!!」
愚民達を押し退けて、左肩に矢を受けた状態で男が前に出て言い返した。
「覚えておけ!必ず、必ず!貴様を殺してやる!これは天命だ!!」
「・・・・・本当に馬鹿ね。天命なんて、人間に下る訳ないでしょ」
と夜姫は・・・・・・去り始める愚民達に告げるが、誰も耳を貸そうとしなかった。
それは敵対している、という事ではなく・・・・・・一種の意地か、狂気とも言える感覚だろう。
「覚えておけ!必ず三日後に貴様を殺してやる!!」
矢を左肩に受けた状態で男は叫び、愚民達の中に消えて行った。
「・・・・・・・・・」
夜姫は無言で矢を左手に持った状態で、静かに閻象の方に振り返る。
「閻象、先ほどの決断は見事だったわね」
戦において迅速な決断が何よりも望まれる。
その決断が吉と出るか凶と出るかは、その時の戦いで異なるが・・・・・どんな戦場でも迅速な決断は求められる。
「貴方は、その決断を下した。そして見事に功を奏したわね」
「・・・姫様の為ですから。お帰りなさいませ。我らが姫君」
閻象が静かに膝をついて夜姫を迎える。
すると他の兵達も・・・・・・・・・・・・・
『お帰りなさいませ。姫君』
兵達も夜姫を心から温かい声を出して迎えた。
それに対して夜姫も・・・・・・・・・・・・
「ただいま」
と何でもない言葉だが、それでも心から温かい声で返答した。