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翌日学校へ行くと昨日の事件がすでに噂で広まっており、事の詳細を知ろうと女どもが怒涛の如く押し寄せてきた。予想していたとはいえ、いざ直面すると心の芯から辟易する。俺は真っ先に訊いてきたA子、B子、C子の三人にものすごく適当にでっち上げた内容をしゃべり、それを広めてくれるように頼んだ。三人は喜んでそれを引き受けた。主人公補正の力だとは頭で理解していても、つい最近までは歯牙にもかけていなかった人間のことにこれだけ興味を持ち、その人間の言うことをホイホイ聞く様子はどう見てもアホだった。それも何となく腹の立つアホだった。
しかしともあれ、それのおかげで俺のところまで訊きに来る女は大幅に減ったし、それでも来る奴はすべてA子たちの方へたらい回しにできたから随分楽にはなった。しつこく訊いてくる奴がいれば、また理不尽な演説を繰り広げてもよかったが、結局そんな奴は現れずに六時間目のロングホームルームを迎えた。
「それでは今日のロングホームルームを使って、文化祭の出し物を決めたいと思います。文化祭実行委員の人、お願いします」担任の有野先生はそれだけ言って、教室の隅に置かれたパイプ椅子に腰をかけた。
文化祭…そういえば、もうそんな時期か。いかん、いかん、忘れていた。
俺はぼんやりしていた意識をしっかり覚醒させた。
普通に考えれば俺みたいな友達の一人もいない本格的ぼっち(まあ、今は話しかけてくる女が無数にいるが)には、学校の行事など無縁の最たるものである。だがしかし、俺にとって学校行事は通常の何倍もの活力を必要とするのだ。それは何故かというと、こうした学校行事ほど決まり切った空気や雰囲気、そして見えない壁が張り巡らされるイベントは他にないからである。それはつまり俺にとって一年で最大の戦場であるということだ。ここで本気を出さなくていつ本気を出すというのだろうか。
力を合わせて目一杯頑張ろうという方針にしても、とにかく楽しくやろうという方針にしても、面倒だから適当に済ませようという方針にしても、青春を謳歌する気満々の空気は完膚なきまでにこれをぶっ壊し、嫌がる奴らは片っ端から重労働するようにしなくてはならない。誰の思い通りにもならないという俺の思い通りの文化祭をこそ目指さねばならない。
とにかく徹底的に木っ端微塵に粉々に四分五裂に空気をぶち壊す。破壊する。八つ裂きにする。このクラスのは必ず。そしてできれば他のクラスのも。覚悟しろ、この空気醸成機どもがっ。
俺が気合を入れていると、前には文化祭実行委員の女1と女2が出てきていた。女1、女2というのは、何も名前を覚えていないわけではない。女川一香→女一→女1というのと、恩名二恵→おんな二→女2というだけの話である。いずれも俺の人生においてはモブキャラ中のモブキャラでそのあだ名がちょうどいいくらいだ。ただ、女2の方は高一の時にクラスが一緒だったので俺がどれだけ学校行事を荒らすのか予想できているようで、すでに表情が暗い。たとえ、俺に好意を持っているにしても、教室が荒れるのは不安らしい。荒れることが分かっていながら実行委員をやっているのは、恐らく女1との交友関係から仕方なく、というところだろう。なんと自分の無い奴だ。そうやって自分の意思を大事にしないからそういう嫌な目に遭うのだ。せいぜい安易に友人に合わせようとする自分の軟弱な思考を呪うがいい。
「はいはーい。それでは文化祭の出し物について、何か意見のある人、じゃんじゃん言っちゃってー」女1はいかにも楽しげにクラスへ向けて声をかけた。
「はーい。メイド喫茶」こういう場合、真っ先に発言する山内裕也が、そのキャラクター通り立ち上がって真っ先に発言した。「ウチは文系クラスで女子多いし、男はいてもしょうがないっしょ」
山内の少しおどけたような発言でクラス内に笑いが起こり、女子の間には「えー、メイド服着るの?」「いいかも」「ちょっと恥ずかしくない?」「そう?私着てみたいけど」など、きゃいきゃいした話声が飛び交う。
誰もがやり辛い先陣を切って、なおかつクラスの雰囲気を和らげ、後の発言をしやすいようにした山内は本当にさわやかでいい奴だと思う。
でもね。
この安定した空気はあかんよね。これぞ見えない壁だよね。これを破壊するために俺は生きているんだよね。だから見逃せないよね。
俺は立ち上がった。
「いやいや無理だろ、メイド喫茶とか。メイド喫茶ってのは、はっきり言ってかわいい女の子がいてこそだろ。それをこのクラスでやるのか?周りをちゃんと見てみろよ。何なんですか、このクラスの女子のレベルは。何なんですか、この顔面偏差値の低さは。こんなんでメイド喫茶とかやっても、メイド喫茶(笑)にしかならんでしょ。ただでさえ文化祭の喫茶店なんて、高い金でゴミみたいなもの食わせるのに、給仕するのがメイド服を着た類人猿たちだったら訴訟待ったなしじゃねーか」言いながら俺は、これはついに女どもに嫌われることができたかもしれんと思った。それくらい徹頭徹尾罵詈雑言だった。自分で言っておきながら、あり得ないくらい嫌な奴だった。
教室は完全に沈黙していた。
「お、おい。八代、お前なんてこと…」有野先生は男なのでまともな反応を示し俺を叱責しようとしているが、あまりにあり得ない発言に言葉がなかなか出てこないようだった。
「はあ?お前が人のこと言えんのかよ。ていうか八代、お前何なんだよ。そうやってクラスの協調乱して楽しいわけ?あんまり舐めてんと、その低い偏差値の顔面」
「やめろ!」箕畑が大声を上げて、山内の言葉を遮った。「八代くんのことを悪く言うのはやめろ」
「は?いや箕畑、だって、今八代はお前らのことを思いっきりバカにしたんだぞ?」
「八代くんは事実を言ったまでだよ。私たち女子だってそれは納得してる」
箕畑が教室を見回すと、女子は全員「うんうん」と頷いた。
俺はもうこれで何度目か分からないが、改めて主人公補正の強力さを思い知り、絶望した。山内の方は完全に混乱していた。
「女でもないのに勝手に八代くんに喧嘩売って、協調を乱してるのは山内くんのほうだろ」
箕畑の声に「そうそう」と女子たちが同調する。
山内の混乱した表情は一瞬で憤怒の形相になった。それはそうだろう、これほどの不条理はなかなかない。だって、誰がどう聞いたって喧嘩を売ったのは俺のほうである。傍から見ていると、どうしても面白さは拭えないものの、さすがに山内が少し可哀そうになってきた。しかし可哀そうに思った直後、素晴らしい考えが閃いた。ここで山内にキレてもらえば早くもこのクラスの文化祭を滅茶苦茶にできるではないか。思えば今まで一人孤独に闘ってきたが、利用するような形とはいえ、こうして他人と二人でやればもっともっと見えない壁に大ダメージを与えることも不可能じゃない。どうして今まで思いつかなかったのだろうか。
「だってよ。ほら、協調乱さないように黙って座ってろよ」
俺の一言で山内の目が俺を睨んだまま据わった。握られた拳がぶるぶる震えている。もうこれ以上一触しなくても即発しそうな空気になった。
さあ、来いよ。来たら無条件で俺の顔面にパンチを入れさせてやるからさ。絶対ガードはしない。一発くれてやる。スカッとするぜ。保証する。さあさあ、俺と一緒にこの文化祭の空気をぶっ壊そうぜ。殴りまくりの殴打祭りとしゃれこもうぜ。
俺は期待を込めた眼差しで山内を見ていたが、山内はやがて俺から目を逸らし、全力で自分を抑え込むように席に座った。
俺は失望した。
何だよ、お前の怒りはそんなものか。世間体を気にして、社会の空気に気を遣って、今の環境の存続に気を配って、抑えられてしまうものなのか。なんだよ、それ。そんなに空気を壊すのが怖いのか。そんなに衆目が怖いのか。そんなに浮くのが怖いのかよ!
何故か挑発した俺の方が泣きたい気分になった。
「あー、八代、お前な」有野先生が不意に立ち上がった。「そのだな、女子がいいと言ってるからって、さっきのはあれだぞ…」
俺の暴言だけでさえ十分に困惑物なのに、その暴言を受けた当の女子たちが俺を擁護するのを目の当りにして、先生はもう何が何だか訳が分からなくなっている様子だった。それでも立ち上がってしゃべり始めたのは、現状が教師として看過できるものではなかったからであろう。取りあえず治まったにもかかわらず、指導しようとする姿勢には正に教師の鏡。心から尊敬する。そして俺の奇行による苦労はお察しする。でも、お察しするけど、やめる訳にはいかないからね。申し訳ない。
「すいません、先生。今のことは終わったんです」
「そうです。八代くんは何も悪くありません」
「先生が八代くんにお説教するのは納得できません」
「文化祭の話を進めないといけないので」
「先生は座ってて」
「そうそう」
「解決したし」
「八代くん、何も悪いことしてないじゃん」
矢継ぎ早に一致団結した女子たちが俺を擁護するので、有野先生はますます混乱している。どうやらまたまたチャンスが来てしまったらしい。おほほ。
「おい、女子ども!教育指導をしようとしている先生に向かって『座ってて』とは何様のつもりだよ」俺は声を張り上げた。「そうやってお前たちみたいに、一つ年上の先輩には敬語使うくせに先生は敬わない、みたいな行動取っている連中はマジでどうかと思うわ。先生っていうのはな、無策な教育政策のしわ寄せを教育の最前線でもろに受け、公務員批判晒され、モンスターペアレンツからは理不尽なことを言われ、それでも俺たちみたいなクソガキの教育指導を誠心誠意やってくれてるんだよ。そりゃね、仕事だからと言ったら、もちろんそうかもしれないよ?だけどね、ほとんど報酬も出ないのに時間を割いて部活動の面倒を見てくれる先生がいるじゃない。放課後に進路の相談をしたらちゃんと聞いてくれる先生がいるじゃない。仕事だからってんならそういった諸々のオプションは全部無いからね?自分の受け持ちの教科を教えてそれで終わり。就業時間外は生徒と一切話さなくていいんだから。けど、そんな先生いますか?いないでしょ?そうやって誠意を持って指導してくれる先生を敬わなくていいんですか?何も絶対服従しろとか言ってるわけじゃないよ。でもさ、先生たちの誠意に対してあまりにもそれを蔑ろにし過ぎでしょ、と俺は言いたいわけ。そういった一見当たり前みたいになっているけど本当はすごくありがたいことに対する感謝の気持ちを持つ。それは人間として当然のことではないんですか?それをば忘れて、あなたたちはその時々の気持ちでその時々の振舞いをする。そんなことでいいんですか?いいわけないでしょ。どうなの?」俺は教室に向けて力強く言い放った。誰か一人でいいから『お前が言うな』と突っ込んでくれることを願いながら。
「私、間違ってた」
「だよね」
「うん、八代くんの言う通りだ」
「ホント、何やってたんだろ、私たち」
「ね、そういう先生の好意にも気づかないで」
「ガキじゃん」
「まったくだよ」
「すいませんでした、先生」
口々に謝罪の言葉を述べる女子生徒たちは、先生の混乱をより一層深めただけであった。俺は再び絶望した。
ダメだ。この女どもは擁護した奴から即座に理不尽な説教をされているのに、それに微塵も理不尽を感じていない。ああ、恐るべき恋の力。
「いや、まあ、それはいいんだが…」
「ダメです、先生。こいつらを一発ずつ殴ってやってください」
俺がそう言うと、言下に女子たちが「お願いします」「やってください」と声を揃える。自分でやってて言うのも難だが、もう何だか気味が悪い。
「そ、そんなことはできん」
「いやいや先生、そんなことを言ってはいけませんよ。昨今の学校教育現場ではどんどん教師の権限が奪われ、何かすればすぐに停職だの懲戒だのということになるのは分かります。確かに世知辛い世の中です。何せ、生徒の方でもそういった先生の窮状を分かっているから、嵩にかかって図に乗る輩が増える。どうせ先生はきつく注意はできない、いざとなったら上に訴えて退職に追い込んでやろう、そんな考えをもったクズどもが発生する。最近では小学校にすらそんな考えを持ってるゴミ児童がいると聞きます。本当に政府は、社会は、何をやっているのか。そうやって先生から権限を奪ってゴミを量産していたら、この国の未来はどうなってしまうのか。お先真っ暗にも程がある。だから、先生には頑張ってほしいんです。確かに今の世の中、正しい指導をしようとすればリスクばかりがかかってくる。だけど、それに屈しているだけではダメなんです。そんなことではクソガキどもはますます調子に乗るばかりです。今や、本当にろくでもない生徒を虫の息になるまで殴れる教師こそ、教師の鏡なんです。さあ、女子たちを思い切り殴ってください。グーでいいです。女だから顔は避けるとかもいらないです。大体教育の場は男女平等でしょう。さあ、やっちゃってください」
「先生」
「さあ」
俺の言葉の後に女子が先生を促す。
「もういいと言っているだろう!そもそもすでに自分のやったことを反省して謝罪までしている者に、さらに暴力で罰を加えるというのは教育とは言わん。バカなことを言ってないで、早く進めなさい」先生はそのままイスに座った。
さすがに主人公補正の力にかかっていないだけあって、先生の対応は至極まともであった。しかしまともであっただけに、女子どもの行動を普通に気味悪がり、肝心の無茶苦茶言ってる俺への教育指導は忘れているようだった。
「それもそうですね。このままじゃ時間ばかりかかる。話し合いを進めようぜ」俺はさっさと話を打ちきって、文化祭実行委員を促した。
男子の方から『誰のせいだよ』という視線を感じたが、女子たちは何事もなかったかのように納得し、女1が「それじゃ、他に意見ある人」と呼びかける。
それにしても、今年は主人公補正で女子が全員俺の味方に付いているから、何だか例年にないほどカオスな空気になっている。本来なら、俺が空気を乱しまくっても、その内誰からも相手にされなくなって終了なのだが…
「お化け屋敷とかは?」
「あ、いいかも」
「私、人を驚かすのとか好きなんだよねぇ」
「あはは、何か性格悪いよ、それ」
「グロいメイクとかするの面白そう」
「だよね」
手を挙げて言ったのは、意外にも藤本大樹であった。まさかあれだけのことがありながら、まだ男で意見を言う奴がいるとは思わなかった。よほどメンタルが強いのか、単純にバカなのか分からないが、とにかくクラスの結束が崩れていきそうなタイミングで発言をし、雰囲気を元のように戻した藤本は本当にクラスの救世主だと思う。
でもその雰囲気も壊すんだけどね。それが俺の目的だからね。
「まあ、確かにこのクラスの連中はノーメイクでも顔がゾンビみたいな奴ばっかりだから準備楽かもしれないね。けどさ、お化け屋敷なんかやってカップルがイチャイチャするきっかけを作ってやるなんてあまりにもバカらしくないか?」まあ今現在、世界中の女子のほとんどは俺に夢中なのだが。「一生懸命衣装作って、舞台を拵えて、ただ目の前でカップルがイチャつくとか俺は絶対に嫌だね」
もはや完全に勝手な言いがかりであったが、女子たちはいつも通りすんなりと納得し、お化け屋敷の案は消えた。
俺はその後も迷路、もぐらたたき、ゴルフ、ボーリング、輪投げ、射的、ストラックアウト、フリースロー、カジノ、金魚すくい、ヨーヨー釣り、海賊船カフェ、竜宮城カフェ、戦国カフェ、宇宙カフェ、文学カフェ、ツンデレカフェ、ヤンデレカフェ、漫画喫茶、執事喫茶、コスプレ喫茶、メルヘン喫茶、猫喫茶、犬喫茶、シューティングバー、ダーツバー、ビリヤードバー、卓球バー、ゲイバー、レズバー、マジックショー、理科実験ショー、写真展示、書道展示、学校の歴史に関する展示、戦争に関する展示、大航海時代に関する展示、アカペラライブ、ボカロライブ、茶道体験、昔の遊び体験、ミサンガ作り体験、ビーズアクセサリー作り体験、プラバン作り体験、手作りしおりの販売、古本の販売、古着の販売、同人誌の販売、映画の上映会、アニメの上映会、クイズ大会、ビンゴ大会、手相占い、誕生日占い、心理テスト、性格診断、適職診断などなど、あらゆる意見を上がる度に叩き潰した。
「いい加減にしろ、八代。お前、そんなに反対するだったら何か意見言ってみろよ」山内がついに我慢の限界だというように怒鳴った。
「あれ、ここは議論をする場所のはずだろう?議論っていうのは賛成派や反対派がそれぞれ意見を戦わせることだよね?それなのに反対するんだったら自分で意見を出せ、とかもっともらしいことを言って反対意見をねじ伏せるんですか?俺はね、その言葉は本当によく聞くけど、絶対おかしいと思う。でもね、そのもっともらしい言葉がすんなり通っちゃうんだよね、日本だと。それはそもそも日本が学校教育において、生徒に議論のやり方を教えたり実際に練習をさせたりしないことが背景としてあると思うんだよね。だから、日本人はいつまでたってもプレゼンが下手で議論ができない。だから、いい大人が会社で会議をしても時間の無駄にしかならない。生産的に議論することができない。これでは絶対ワールドスタンダードに追いつけないだろ。そんなことでいいのか?いいわけない。山内だってそういう教育を受けてこなかったから仕方ない面はあるけど、そうやって議論を否定するような言動を取るのはどうかと思うよ。まずは自分が議論やプレゼンといった教育を受けてこなかったことを自覚しようぜ。それをしないでそんな『反対するなら、意見を言え』みたいなことを言ってたら、いつまでたっても日本人は世界で渡り合える人材にはなれないんだよ。そこんとこオッケー?」
「ふざけんな。お前のあんなイチャモンみたいな反対意見が議論なわけねーだろ」
「だったら、反対意見に対してその反対意見を出してみろよ。それでクラスの多数が納得すれば、その意見が通るだろ。それが議論だしな」まあ、クラスの男女比が1:2である以上、山内に勝ち目はないが。「でもまあ、ちょうど意見もあるし、言っておくと、俺は演劇なんかいいんじゃないと思うけど」
俺の意見に対して文句をつけようと山内が口を開きかけた途端、女子がワッと騒ぎ出し、山内がそれ以上何を言う間もなく多数決が取られて、出し物は演劇に決まった。直後に終業の鐘が鳴り、内容は後日また決めるということになって、先生が帰宅の許可を出すと山内は鼻息荒く教室を出て行った。
見えない壁への攻撃はまずまずの成果である。俺は大いに満足しつつ、教室を後にした。
陰険部の部室へ行こうとして職員用男子トイレのある一階まで下りて来ると、階段下には三年と思しき三人組が待ち構えていた。そう、まさに待ち構えるようにして立っていた。
「お前が八代か」
案の定、俺が階段を下り切った瞬間に、通路を塞ぐように広がりながら声をかけてくる。気配からして、まあ、いい予感はしない。しかしこういうケースは得てして見えない壁へ攻撃するチャンスである。
「そうですけど」
「率直に聞きたいことがあるんだが、お前、仁美に何をした?」真ん中の男が訊いてくる。
「仁美?誰ですか、それ」
「ああ、そうか。それじゃあ由紀には?」今度は右側の男が口を開いた。
「由紀?その人も知りませんが?」
「それじゃあ、まさか真美のことも知らねぇって言うのか?そんなことはねぇよな?」左側の男がさらに質問してくる。
「いや、知りませんよ」
「しらばっくれんじゃねぇよ」真ん中の男が怒鳴った。「俺と仁美はなぁ、すごく上手くいってたんだよ。別れるはずはなかったんだ。なのに、いきなり別れ話を持ちかけて来たから問い質してみれば、『好きな人ができたの、同じ大原の二年生で八代くんって言うんだ』とかぬかしやがって。お前、一体何をしたんだ?何か脅迫でもしたんだろう?絶対そうだ、そうに違いねぇ。じゃなきゃ、あんなことになるはずはなかったんだ」男はしゃべりながら段々と鼻の詰まったような声になり、目も潤んでいった。
なるほど。ここにいる三人とも俺の主人公補正の力によって彼女を失った奴らか。何と不憫な方々だろう。同情する。同情はするけど、そんなありふれた雰囲気にはしない。させない。
「許せねぇ。俺たちはお前を許せねぇ。だから俺たちは停学を覚悟で、お前に制裁を加えることに決めた」
さきほどの悲壮感はどこへやら、いつの間にか三人は腕まくりをしたり、関節を鳴らしたりしている。
やっぱ気持ちだけでも同情するのは止めておこう。
「いやいや何ですか、それ。自分が振られたのを人のせいにしてるだけじゃないですか。仁美さんにしても由紀さんにしても真美さんにしても俺はまったく面識ないからね。だから、うーん、やっぱり一目惚れってことじゃないかなぁ。うん、君たち三人が営々と育んできた愛は俺の魅力の前に一瞬にして消え去ったってことじゃないですかねぇ。ははは、そんなこともあるんですね。まあ、それを認めたくない気持ちは分かりますが、認めないだけにとどまらず、無関係の人間に手を上げて憂さを晴らそうとするなんて。うくく、そんなんだから袖にされるんだよ、ブサメン諸君。これを機に学んだらどうかね。そんなことではいつまでたっても、うわっと」
怒りの鉄拳が飛んできたので俺は飛びのいて避けた。
「ぶっ殺す」
「ははは、やってみな」
俺はくるりと振り返って階段を駆け上がった。しかし挑発をしてみたものの、最初の距離が近かったため今にも服を掴まれそうである。二階に上がった俺は慌てて正面にある女子トイレに駆け込んだ。
「ぐぬっ、マジか、あいつ…」
「くそっ、なんていう変態だ」
さすがに背後の三人は入口で立ち止まった。
奥へ進むとちょうど四、五人の女子が連れションに来ていたらしく、個室の外のスペースでぺちゃくちゃと話していた。が、俺が入っていくと悲鳴が上がった。
「な、何、何?」
「ここ女子トイレなんだけど」
「変態」
「まあ、落ち着け。俺だ、俺。八代正。お前らが大好きな八代だよ。だから、そんなに慌てることないだろう?むしろ嬉しいくらいなんじゃないの。お前らが大好きな俺が女子トイレに入って来てくれたんだから。お前らときたら本当に俺のこと好きだからな。まあ、今回はサービスで来てやったよ」はっきり言って自分でも何を言っているのか分からない。しかし、とにかくこいつら協力を取り付けなければ。早くしないと、あの三人組が常識と復讐心の間の葛藤を乗り越えて女子トイレへ突撃してこないとも限らん。
「なんだぁ、八代くんじゃん」
「でも、来るなら来るって言ってくれないと」
「いきなりじゃ」
「でも、凄いラッキーじゃない?」
「そだね」
予想はしていたが、本当にあんな滅茶苦茶な理屈で説得できるとは。
「まあ、そこでサービスの対価っていうのかな、あ、それじゃあサービスじゃないじゃんって突っ込みは無しね。まあ、協力して欲しいことがあるんだわ」
「なに?なに?」
「それしたら、八代くんの私たちへの好感度上がるの?」
「上がる、上がる。まあ、まだ全然付き合うとかいうレベルにはならないけど、確かに上がるよ」
女子たちは嬉しそうに顔を見合わせてから「協力するよ」と言った。
「ありがとう。何をやってほしいかと言うと、今、女子トイレのすぐ外に変態男三人組がいるんだが、そいつらの足止めをしてほしい。何だか訳の分からない難癖付けてきて追われてるんだよね、俺。だから、君たちが全員でワッと出て行って、三人を押し倒してくれたら、その隙に俺が逃げれる。たった、これだけだ。やってくれるかな?」
「オッケー」
「任せて」
「要するに時間を稼げばいいんだよね」
「軽い、軽い」
「いけるよー」
「よし、頼む」そう言って女子トイレの入口の方へ戻ると、三人組がまだ入り口で入るか入るまいかの口論をしているのが聞こえてきた。「今だ、行け」
走ってタックルでもかますのかと思いきや、女子たちは普通にしゃべりながら入口の角を曲がっていった。
「でさー、あれ、何やってるんですか?」
「ここ女子トイレですよ」
「ああ、いやこれは…」
「ええぇ、もしかして覗き?」
「うわ、変態」
「違う!そうではない」
「じゃあ、何なんですか?」
「ホント、何なんですか?答えて下さいよ、ねぇ」
曲がり角から見ていると、女子たちは詰問しながら三人組を階段の方の壁際までずいずいと押し込んでいった。よし、うまくいった。
俺は飛び出した。
「あ、八代がいたぞ」
「話を逸らさないでください」
すぐに気付かれたが、女子たちが押しとどめている。俺は二年の教室が並ぶ廊下を走り、体育館の方へ向かった。隣の棟の二階にある体育館への渡り廊下前まで来た時、背後から叫び声が聞こえてきた。
「待ちやがれ、八代」
誰が待つものか。女子たちが首尾よくやってくれたおかげで随分と間が開いている。俺は体育館へ飛び込んだ。
「きゃあ」
「うおっ」
急に飛び込んだせいで横から来ていた女子にぶつかりそうになった。
「すまん」
「あ、いえ」
相手の恰好からするに、どうやらバスケ部のようだ。これはラッキーである。辺りを見回すと、すぐそばに箕畑がいた。
「箕畑」
「や、八代くん。どうしたんだ?」呼びかけられた箕畑は緊張気味に答えた。
「すまないけど、ちょっと協力してくれないか。今俺は男の三人組に追われてるんだ」と言った瞬間、「いたぞ、あそこだ」という声とともに渡り廊下の向こう側に三人組が現れた。
「あの人たち?」
「そうだ。あいつらを足止めしてくれ。どんな手段を取っても構わない」責任は取らないけど。
「分かった。やってみる」
「頼む。強い女を見せてくれ」
「うん。任せて」
実に適当にかけた発破なのに、箕畑の目には一瞬でやる気がみなぎった。俺が体育館の反対側の扉へ向けて走り出すと、箕畑は部員を呼び集めて体育館の出入り口を固める。
「ちょ、お前ら、そこを通せ」
「ディーフェンス、ディーフェンス」
「どけったら」
「ディーフェンス、ディーフェンス」
ははは。さすが箕畑の率いる女子バスケ部だ。あのディフェンス力なら全国も夢じゃない。頑張りたまえ。
俺は反対側の出入り口から体育館を飛び出し、外通路の階段から一階へと下りて、駐輪場に駆け込んだ。
よし、陰険部の部室に繋がる通路の出入り口付近には人がいない。
俺は駐輪場の隅まで行き、地面に設置された入口を開けて中へ入った。