Level Ⅱ - ⅳ 昭和の古書店のアナグラム、煤汚れたあとがきをめくる指
『毒入り伽哩』別versionの全コード(現物データ)を、一世紀の時を超えた昭和初期の神保町の古書店の奥で、白髪の老蜘蛛(モリアーティ教授の魂)が苦々しく読解している。
そして、その『別version』の最終話。百年前のホームズ(泰六)が仕込んでおいた、教授の受肉を完全に自動消去(強制終了)する『最凶のアナグラム(文字の防壁)』が隠されていた」
この「別version(毒入りカレー版)の全システムを、昭和初期のモリアーティ視点の超メタ的な『最終回』によって完全閉鎖する」という解決算法です。
この「昭和の古書店のアナグラム」は
『毒入り伽哩』別version 小室泰六(SHERLOCK)の帰還
【百年の暗号、古書街の読者と蜘蛛の強制終了】
【刻】
明治二十七年から一気に三十余年が流れた、
「昭和初期(昭和四年・一九二九年頃)」。
御茶ノ水のあの切り立った地獄谷に、かつて明治には未実装であった美しきコンクリートの「聖橋」が、関東大震災の復興インフラとしてついに完全実装(建設)されたあとの世界 であった。
【作品舞台】
昭和初期の神田神保町の古書街の片隅で、ひっそりと営まれている名もなき古本屋の奥。
昭和初期(昭和四年・一九二九年)の神保町。
路面電車の鉄の騒音と、そこかしこの食堂から立ち上る香ばしい西洋伽哩の匂いが、春の重い霞のなかに立ち込めていた。
その古書街の片隅にある、うす暗い古本屋の奥座敷。
車椅子の白髪の老主人は、街に漂うカレーの匂いを、忌々しそうに白眼を剥いて睨みつけていた 。
その匂いは、かつて明治二十七年三月、自分が敷設した『鶴頂紅』の汚染インフラをことごとく水際で完全相殺してみせた、あの宿敵の防壁の残響に他ならなかったからである 。
老主人の肉体に宿っていた知性の真名――それこそが、あの十一月にお茶の水橋の濁流へと墜落し、名実ともに死亡(消去)したはずの、宿敵モリアーティ教授の魂であった。
「……フム。小室泰六、そして和田進一よ」
老蜘蛛は、皺くちゃの指先で、お上の検閲をかいくぐって神保町にアーカイブ(保管)されていた、一冊の煤汚れた翻案小説をめくっていた。
それこそが、和田進一の筆によって活版印刷され、世へ放流された読み物であった。
「お前たちは明治のあの夜、新橋の電信信号を奪い返し、日本橋の氷室の毒をカレーの成分で中和して、私に勝ったつもりでいるようだね 。
だが、お前たちが遺したこの活躍本のログ(記録)こそが、一世紀の時を経て、この昭和の世に私の脳内メモリをリブート(起動)させるための完璧なバックドアとなるのだよ。
…どれ、この結末をスキャン(読解)してやろう」
老蜘蛛はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、本の最後の頁をめくった 。
そこにあったのは、物語の結末ではなく、著者・和田進一が書き残した、ただの短い「あとがき(編纂ログ)」であった。
「……何だ、これは。ただの文字の不具合か?」
老蜘蛛の眼が、あとがきに印刷された、奇妙に歪んだ平仮名と漢字の羅列に釘付けになった。
そこには、一見するとただの時候の挨拶に見える、しかし不自然なほどに「文字の端数」が乱れた奇妙な文章が常駐していた。
『あめのよ、しんきょうの、はしを、わたる、くもは、きえゆく(雨の夜、新橋の、橋を、渡る、蜘蛛は、消えゆく)』
老蜘蛛の脳内プロセッサ(思考)が、その文字列を認識した瞬間、老人の身体がガタガタと烈しく痙攣を起こし始めた。
「――あ、あに案……! アナグラム(文字の並べ替え)かッ!!」
老蜘蛛は、血の引いた顔で絶叫した。
そのあとがきの文字列を、一定の規律(算法)に基づいて並べ替えると、そこから浮かび上がったのは、和田進一の拙い文体などでは断じてない、百年前のあの冷酷極まる名探偵・小室泰六の、本物の知性の署名(暗号コード)であった。
【 逆真名暗号:MO RI AR TI SH UT DOWN(モリアーティ、強制終了)】
「ば、馬鹿な……! シャーロック、お前は明治二十七年のあの時点で、私が一世紀後の昭和の神保町でこの本を開くことまでを完全に逆算し、この『あとがき』の中に、私の魂のルート権限を内側から自動消去するための、最凶のセキュリティパッチを仕込んでいたというのかッ……!!」
ガチャン、と車椅子が烈しくひっくり返り、煤汚れた活躍本が床の泥水へと落ちた。
老主人の白眼からは完全にモリアーティの知性のログが掻き消え、ただの呆けた老人の肉体(空のサーバー)へと初期化された。百年前の名探偵の仕掛けた暗号の罠の前に、盲目の蜘蛛の残響は、昭和の未来において完全に手出し(物理消去)され、永久にシャットダウンされたのである。
新しき近代の象徴である聖橋の向こうから、冷たい春の風が吹き抜けていった。
春のまだ冷たさの残る風は、春霞さえも吹き飛ばしてしまったのであった。
『毒入り伽哩別version』メタ・アナグラム、ビルド完了。




