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『毒入り伽哩(カレー)』別version - 神田川落下からの、小室泰六(SHERLOCK)の帰還  作者: 東曌


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Level Ⅱ - ⅰ 漁師町から帰還 改訂版

前半をお読みになりたい方は、こちらをお読みください。

明治の世、SHERLOCK 東京神田で探偵はじめました『東京神田のシャーロック』

https://ncode.syosetu.com/n5309mv/


■ 主要人物(探偵とその周辺)

 小室泰六こむろ たいろく / 魂の正体:シャーロック・ホームズ

出自と現状:瑞西すいすのライヘンバッハの滝壺へと墜落した際、時空のねじれによって精神のデータが消失ロスト。同じ刻、神田駿河台の裏路地で刺殺された無名の私立探偵・小室泰六の空になった肉体に、その最高峰の論理思考システムが強制上書き(受肉)された。


 英国政府の最高特権(実兄マイクロフト)という後ろ盾を完全に失い、孤立無援の独立端末スタンドアロンとして明治の東京に放り出された。泥とドブ板の悪臭、失職士族の義憤という東洋の「雑音ノイズ」に囲まれながらも、衣服の擦れや泥の付着から一瞬で嘘を見抜く圧倒的な観察眼(デコード能力)は健在。感情や倫理に一切同期しない「冷徹な知性のマシーン」として立ち回る。



 和田進一わだ しんいち / 役割:記録者(ワトソン役)

出自と現状:神田の法律学校に通う、貧乏な書生。小室泰六の洋館の二階(貸室)に同居し、身の回りの世話や探偵の助手を務める。


 泰六の受肉(精神の変革)の最初の目撃者であり、最も身近な理解者。お上の密偵や財閥の放つ刺客の恐怖に怯え、時に人間の情念(お由への哀れみなど)に惑わされながらも、泰六の命じる冷徹な算法(指示)に忠実に従う。泰六の活躍を『血染の壁』という名の「異国の翻案小説(嘘の盾)」に暗号化し、神田の印刷所から世へ放流する役目を担う。



 司法省の検事正しほうしょうのけんじせい / 役割:正義の執行官(逮捕する側)

出自と現状:明治政府の内部において、正当な法執行を司る中枢の官僚。

 

 お上の藩閥政府と新興財閥が結託して私腹を肥やす「国家への背任行為」を察知し、士族の不満(暴動のバグ)を未然に防ぐために動く、この物語における「正義の組織」。泰六の弾き出す圧倒的な解析結果(証拠の在処)を受け取る受信端末であり、公的な「逮捕(システムの執行)」を行う権限を持つ。


◾️古書律店 「あぢち堂」店主


「阿字地あじち 覚庵かくあんジェームス・モリアーティ教授」

意味と因果:文字の根源を示す「阿字」の地(神保町)に座す、覚醒した庵の主。

 *別名「神目 信かみめのぶ」

意味と因果:光を失った「盲」の身でありながら、東京中のすべての音とホームズの言葉を「信号パケット」として受信する、お上の警察すら戸惑うような名。


第一話: 漁師町から帰還


明治二十七年三月の、まだ寒さの残る深夜。


神田駿河台の洋館の二階は、丁寧に糊付けされ、細く巻かれた一本の紙巻き煙草(シガレット)の乾いた煙と、白く濁るアブサン(緑酒)の強烈な薬草臭に支配されていた。


お茶の水橋の欄干を越え、あの深さ十丈の真っ黒な人工地獄谷の深淵へと宿敵モリアーティ教授と共に墜落してから、実に数ヶ月の刻(タイムライン)が流れていた。


「――小室さん!! 一体今まで、どこで何をしてたんですかッ!!」


静寂を切り裂いて声を荒らげ、涙と義憤の混じった拳で机を叩いたのは、助手である貧乏書生、和田進一(わだしんいち)であった 。


彼の眼には、数ヶ月もの間、泰六の死を信じ込まされ、一人で駿河台の長屋を守りながら『血染の壁』の原稿を涙ながらに書き続けていた孤独な絶望が、剥き出しのパケットとなって溢れ返っていた。


それなのに、当の泰六は何食わぬ顔で部屋の椅子の奥に座り、指先に挟んだ紙巻き煙草を冷淡に燻らせているのである。


「進一、パニックは思考の邪魔にしかならないよ」


泰六は煙を細く吐き出し、アブサンの硝子杯を傾けた 。


「太平洋の荒波や渦巻く潮目を相手にする外洋の水泳能力(最高峰の水路走査)を持つ、宿主である、小室(シャーロック)にとって、神田川の濁流などただの生ぬるい。


奴らの残党の目が張り付いた都内を避け、数ヶ月間、房総の漁師の叔父の家で大人しく網を引いて、実戦格闘の足腰(相撲)を鍛え直していただけだ 。


あぢち堂の建物が取り壊され、更地になって奴らが油断して動き出す、この決定的なタイムライン(刻)を闇の底で粛々と待っていたのだよ」


「漁師町にいただ、と……!?」 進一の顔が怒りで真っ赤に染まる。

「貴方が外洋の魚と戯れていたこの数ヶ月の間、私がどれほどの地獄を這い回っていたか、何も知らないくせに!」


進一は泰六を睨みつけ、自らがこの空白の数ヶ月の間に執行した、完璧なる潜入工作の計画と経緯を激しく叩きつけた。


進一の語る、事件のあらましはこうだった。


「あぢち堂の跡地が更地になった途端、夜な夜な怪しげな黒煙を上げる『謎の男のラーメン屋台』が現れ、大衆へ遅効性の秘毒を盛り始めた。

だから私は、神田の古着屋で買ったボロ服で酔っ払いの浮浪者に変装し、眠り薬を仕込んだ酒瓶を抱えて、奴の屋台へ単独でアクセス(潜入)したんですよ!」


泰六の眉が、初めて驚きに僅かに跳ね上がった。


「奴に酒を煽らせてシステムを一時停止(強制睡眠)させた隙に、私は奴自身の胃袋へ、奴が作った『毒入り伽哩(カレー)』を強引に流し込んでやりました。


カレーに含まれる黄色の香辛料(ウコンや丁字)の成分が、奴の身体に残留していた遅効性の秘毒『鶴頂紅(かくちょうこう)』の毒素を胃袋の中で100%安全に中和・相殺する最高の解毒パッチだと、貴方の書置きからデコード(解析)していたからです!


そのあと、お上の軍医から極秘裏に仕入れておいた、着付け薬代用品として『スキリージ(Skyrizi)』を嗅がせて、頭を強制起動(覚醒)させて、スープのなかに何の毒を仕込んでいたかを、すべて力ずくで白状(デコード)させてやったんですよ!!」


泰六は短くなった紙巻き煙草を灰皿へと冷淡に押し付けると、ゆっくりと立ち上がり、進一の肩へとその細い手を置いた 。


「……お見事だ、進一。私が漁師町にいた数ヶ月の間に、ただの記録者(ワトソン)を完全に超越(アップデート)し、立派な『探偵(私の真の助手)』へと変革されていたわけだ」


泰六の口元には、氷のような、しかし最高に信頼の笑みが浮かんだ。


東洋の夜の底で、帰還した探偵と覚醒した助手の、真の反撃(デバッグ)の算法が、今ここに完璧に再起動(リブート)したのであった。




第二話 : 『鶴頂紅』の毒


泰六は、進一が敵の脳内メモリから剥ぎ取ってきたその『鶴頂紅』の成分データ、そして男が吐いた陰謀の全貌を、紙巻き煙草の煙の向こうで冷徹に走査(スキャン)した。


「お見事だよ、進一。奴らが神保町の更地で毒を『少しずつ』混ぜていた真の動機が、これで完全にデコードできた」


泰六の口元に、氷のように冷たい、しかし最高に信頼の笑みが浮かんだ。


「奴らは、本番の水道汚染に向けて、お上の給水インフラにおける毒の薄まり方(希釈率)と、人間の肉体が発症するまでの時間規律(タイムライン)を、書生たちの肉体を使って実験(テスト実行)していたのだよ 。


狙いは稚拙な無差別テロではない。

明日、数ヶ月後に控えた大戦(日清戦争)を前に、のちの同盟(日英同盟)への布石となる極秘外交交渉のため、英国政府の最重要特使が『神田錦町の公館』に密かに滞在する。

清国のエージェントどもの真の狙いは、公館の真下を走るお上の給水インフラ『神田上水の木樋(地下水道網)』の分岐点へ鶴頂紅を混入し、英国特使をピンポイントで毒殺(物理消去)することだ 。


日本の警備下で英国の重臣が死ねば外交は破綻し、我が国は国際社会で完全な孤立無援(スタンドアロン)と化す。清国の仕掛けた、最凶の外交ハッキングシステムだよ」


「な……! では、どうやって防ぐのですか!?」


進一が息を呑む。

「だが、残党どもは計算の端数(ノイズ)を見落としている」


泰六は短くなった紙巻き煙草を灰皿へと冷淡に押し付け、立ち上がった。


「この鶴頂紅はごく微量であれば検知できんが、神保町のあの『西洋伽哩』の香辛料の成分だけが、その機能を完全に無効化する。……検事正を呼びなさい。お上の警察の法規の網を裏から起動するぞ」


会議の当日。神田錦町の公館。

張り詰めた空気のなか、英国特使と青井総理ら閣僚の机へ、地下の木樋から汲み上げられた水でおろされた紅茶(お茶)が配られていく。


公館の天井裏や路地裏から、英国特使が倒れて日英の外交回線がクラッシュするタイムラインを今か今かとニヤニヤしながら待っていた清国の工作員たち 。


しかし、何事もなかったかのように平然と紅茶を飲み干し、冷酷な眼光でこちらを睨みつける英国特使たちの姿に、工作員はシステムの不具合(エラー)を察知して愕然とした。

泰六の指示によって起動した検事正が、事前に特使とすべての閣僚へ「カレー」を隠密裏に配給し、彼らの胃袋のセキュリティ防壁を100%完璧に固めていたからである 。


「動くな! お上の正義の規律に基づき、国際条約の破壊を謀った売国奴どもを公式に逮捕する!!」


形勢逆転の瞬間に、検事正率いる抜刀隊が公館および地下の水道溝へ電撃突入。清国の工作員たちをその場で一網打尽に拘束した 。


宿敵の遺産を利用した最凶の外交ハッキングシステムは、神保町のカレーのインフラによって水際で完全に防御されたのである 。


再び、静まり返った神田駿河台の洋館の二階。

泰六は、新しい紙巻き煙草に火を点けた 。


「奴らは歴史の闇の毒(鶴頂紅)を使い、国と国の結びつきを引き剥がそうとしたが、それを防いだのは神保町に敷設され始めた最新のカレーのインフラだった、進一。今回のチェスも、私たちの勝ちだ」


この、明治二十七年三月の国家の命運を分けた水道汚染事件の全容もまた、お上の都合によって公式の正史からは完全に消去される 。


そして後日、和田進一の筆によって、ただの『翻案小説』という嘘の盾(カモフラージュ)をまとって、大衆へと放流されていくが、神田の夜風のなかに、あの香ばしい伽哩の残り香が、漂う様であった。

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