88.流れ出した力は、もう止まらない。
――通せ。
弦を引き切る、その直前。
時間が、歪んだ。
音が消える。
熱も、痛みも、遠のく。
代わりに――
自分の内側だけが、異様なほど鮮明になった。
(……なんや、これ。)
腕の中を、何かが走る。
違う。
腕だけじゃない。
胸の奥。
腹。
背中。
足の裏まで。
今まで感じたことのない“流れ”が、身体の芯を貫いていた。
(……通っとる。)
その感覚に、大弥は思わず息を呑む。
魔力があることは、知っていた。
使えないことも、知っていた。
三日間。
ただ、それだけの時間。
なのに――
(……こんな変わるか、普通。)
今までの自分の魔力は、どこかで止まっていた。
流れきらない。
途中で淀む。
出そうとしても、引っかかる。
まるで、細い管に無理やり流し込んでいるような。
そんな感覚だった。
だから。
弓に逃げた。
魔力に頼らずに済むから。
体格に依存しないから。
それが“正解”だと思っていた。
(……違ったんか。)
今、分かる。
流れていなかったんじゃない。
流せていなかった。
(……詰まっとった。)
胸の奥。
もっと深いところ。
そこに、ずっと“溜まっていた”。
押し込まれたまま。
出口を失ったまま。
(……あの時。)
胸を撃ち抜かれた。
何もできなかった。
反応すらできなかった。
あの瞬間。
(……終わったと思った。)
正直に。
半分は、そう思った。
見捨てられたと。
使えんから、切られたんやと。
盾に固執して。
弓を捨てて。
中途半端な実力で。
「盾でいく」なんて言い切った。
そのくせ。
魔法もまともに使えん。
(……そりゃ、切るやろ。)
自嘲が浮かぶ。
だから。
あの一撃は、“教育”だと思っていた。
丸腰やと。
ダンジョンで何が起きるか分からんのに。
選択肢を捨てるなと。
そういう、分かりやすい罰やと。
(……でも。)
今。
違うと分かる。
(……止められとった。)
魔力は、あった。
消えてなかった。
ただ――
閉じられていた。
強制的に。
流れを、断たれていた。
(……溜めとったんか。)
胸の奥で、何かが脈打つ。
ドクン、と。
心臓とは違う場所が、強く打つ。
凪の魔力が、そこへ流れ込んだ瞬間。
“栓”が外れた。
一気に。
堰を切ったように。
(……はは。)
笑いが漏れる。
(なんやこれ。)
流れる。
流れる。
止まらん。
今までの比じゃない。
太い。
速い。
重い。
魔力が、身体の中を“走る”。
(……これが、ちゃんと使うっちことか。)
知らんかった。
ずっと。
自分は“使えてる”と思っていた。
でも違う。
ただ、出していただけ。
流していなかった。
(……気付いとったんか、あの人。)
喉の奥が、ひりつく。
ゴリラ先生。
リラちゃん先生。
あの人は――
何も言わなかった。
理由も。
説明も。
一切。
(……見えとったんやろな。)
あの目で。
全部。
詰まりも。
流れも。
歪みも。
(……やけん、壊したんか。)
一度。
全部。
止めるために。
強制的に。
(……荒いわ、ほんと。)
笑いそうになる。
笑えんけど。
(……でも。)
胸の奥が、熱くなる。
(……これ、俺のためやろ。)
悔しさと。
理解と。
納得と。
全部が混ざる。
(……勝手に決めんなや。)
言葉にならん文句が浮かぶ。
でも同時に。
(……ありがとな。)
小さく、飲み込む。
届くわけもないのに。
(……遠すぎるやろ。)
あの人のやってることは。
自分の理解の、何歩も先にある。
自分が見えていないものを。
全部見た上で。
何も言わずに。
勝手に仕込んでくる。
(……ええ女やな、ほんと。)
喉の奥で、笑う。
悔しいのに。
腹立つのに。
(……惚れるわ、そんなん。)
どうしようもなく。
そう思ってしまう。
その全部を。
噛み締めたまま。
大弥は、弓を引いた。
魔力が、乗る。
凪の風。
外から流れ込む力。
それだけじゃない。
内側からも。
溢れる。
(……流せ。)
止めるな。
整えるな。
抑えるな。
(……そのまま行け。)
今までと違う。
制御する感覚じゃない。
通す。
任せる。
身体の中を走る魔力に。
そのまま。
従う。
矢が、震える。
青白く。
濃く。
重く。
水が圧縮される。
一点へ。
ただ、貫くためだけに。
(……これやろ。)
盾の隙間。
この距離。
この角度。
(……最初から、ここまで来いってことやろ。)
穴の空いた盾。
意味の分からん構造。
でも。
今なら分かる。
(……近づいて、撃てってことや。)
守るだけじゃない。
踏み込め。
入り込め。
ゼロ距離で、叩き込め。
(……分かりにくすぎやろ。)
心の中で悪態をつきながら。
それでも。
(……最高やわ。)
口元が、歪む。
弓を、引き切る。
身体の中の全部を。
流し込む。
外からも。
内からも。
全部。
(……これで。)
灼熱大猿の拳が、落ちてくる。
盾が、軋む。
壊れる音。
それでも。
関係ない。
(……通せ。)
その一言だけで。
全部が揃う。
弦が鳴る。
――放つ。




