86.非合理の灯火は変えない。
ドォンッ!!
津波黒凪に迫る、己を殴り潰そうとする拳は、目の前に現れた盾が受け止めた。
ーー衝撃。
元々倒れていた凪の身体は、軽く飛び、杖が辛うじて取れた。
咆哮を受けて、身体が火照り、うまく動かなかったのに、どういう訳か少し動かすことができるようになる。
朝日大弥が灼熱大猿と凪の間に、体を捩じ込み庇ってくれているからなのだろうと凪は理解する。
上半身を無理矢理に起こすが足にはまだ力が入りそうにない。
盾からは金属が歪むような音が鳴り止まず、その攻撃を受け止めたなどという生易しいものではなかった。
(もう、押し潰されるちゃう!ど、どうすれば!)
ギチギチとなるのは果たして本当に盾なのだろうか?
戦況の空気も灼熱大猿のがよく、大弥と灼熱大猿の攻撃は盾どころか、大弥の腕や頬の肉を焼き、骨や身、いや、存在ごと焼き潰す圧がある。
「――っ、ぅ!!」
押されるごとに、大弥の膝が沈み、床が砕ける。
砕けた床の石が割れ、足元から蜘蛛の巣状にひびが走る。
どう見ても無理のはずなのに、でも、どうしてだろうか――――大弥は倒れない。
いや、倒れられないっと無理をしている。
このまま一歩でも退けば、その先にいる凪が潰れると誰が見ても分かる。
後ろから見る大弥の背中は、大弥が凪を絶対に守ると思ってくれているのが、容易に凪は想像がつく。
熱で喉が焼け、悲鳴なんてあげられなかったが、それでも凪が灼熱大猿を怖がっていたのを理解して、凪の視界を完全に覆うように、大弥は立っていた。
赤熱した掌と盾が噛み合い、火花と蒸気が絶え間なく弾けている。
火葬場の嫌な匂いと肉の焼けるような音がする。
盾の表面が焼けている。
大弥の前髪が焦げ、汗が蒸発する。
絶対痛くて、苦しくて、きついはずなのに。
それでも。
それでも、その背中は、一切揺れなかった。
凪は呆然する。
だって己を庇う彼は、一番、意味が分からない理解不明な行動をする男で、一番、非合理でな男で、一番、馬鹿だと思っていた男だった。
「……モンド…なん、で………なんで、たす、たの?」
掠れた声が漏れる。
大弥は振り返らない。
盾越しに押し返されながら、歯を食いしばる。
通常なら砕けていてもおかしくない盾が、異様な粘りで耐えている
「オニキ、ス、聞けっ、ちゃ!」
その声だけが、妙に真っ直ぐ届いた。
「俺に、ありったけの、攻撃、強化魔法かけ、ね!」
凪は目を見開く。
「な、に……!?」
「矢の貫通力、強化! あと俺、にも強化や!」
「!?、!」
「そん、な、ことしたら、倒せなかっ、た時、私たち、殺され。」
「分かっとる!」
即答だった。
灼熱大猿の掌が、さらに沈み込む。
ギギギ、と盾が悲鳴を上げる。
中央がわずかに歪む。
腕に、限界が来ているのが分かる。
それでも。
大弥は叫ぶ。
「今の、まん、まじゃ、このまま、やられる。」
「なら、一か八かの、大勝負にでて、時間を、稼がんといけんちゃ!」
大弥は灼熱大猿に押されながらも、必死に言葉を繋ぐ。
「オニキス、は大、丈夫!俺が、大技使えば、ラピスか、ハニーっビーが、隙を見て、ちゃんと避難させてくれるからな!」
「そんなこと、したら、モンドが!」
「俺は、リスポーン、されるかっ、どうかわからないけど、死んじまうかも、しれんけど、何も、出来ずに、死ぬより!大きな、成果を!成長を、止めたくねぇ!!」
不合理で、凪には一切理解できない、叫びだ。
「オニっキス、俺、嫌いだろ?考え方が、全然違っ、馬鹿ばっか、やってる俺、信用っ、ないのは分かっとるちゃ。」
「でも、これしかねえんよ!頼む、俺に、力、貸してくれ!!」
一瞬だけ、呼吸を吸う。
その次の言葉だけは、静かだった。
「俺が、この猿、ちゃんと、止めちゃるけん。」
いつもの凪であれば、こんな不合理な提案、無視していたであろう。
だが、この時、なぜか大弥の止めるという、それだけ、それだけの会話で凪の杖を持つ手にしっかりと力が入った。
時間稼ぎじゃなくて、作戦でもない。
合理的ではないけれど、なぜか信頼、してしまう。
「お前は、なんも、怖がらんで、生きるため、だけに、動いてくれんね?」
「それだけで、いいけん。」
「もし、俺が死んでも、問題なか。」
軽く言う。
だが、その軽さに嘘はない。
「やけん、信じろ。」
凪は、真剣に大弥を見つめる。
「で、でも――どうやって、倒すの?」
「盾を使ってるのに、弓矢だって、弾けない、でしょう?」
「無理やと思うよな。」
大弥が、にやりと笑う。
こんな状況で。
押し潰されそうなのに。
どうしようもなく、いつもの笑い方だった。
「普通の盾なら無理や。」
ギギギ、と軋む音の中で。
大弥は、盾の持ち手をずらす。
(……最初見た時、なんやこれって思ったわ。)
中央が開く。
盾なのに。
守るもんに穴が開いとる。
(こんな盾、どう見ても。)
(欠陥品でしかない。)
それでも。
(――でも、あの人が渡してきたもんや。)
『それ、アンタにあげるわ。私にはもう必要ないし、活かせないから。』
(説明も何もなかった。でも、工夫工夫と俺にいつも、語るリラちゃんがくれた物。)
(ただ変形する盾。異様に丈夫。真ん中に穴開く。そんだけの、盾な訳ない!)
(この盾に、意味があるとするならば、盾と弓を融合して使うことが出来るならば!俺は、まだ…。)
2日前の魔法弓で魔法核ごと、ゴリラ先生に撃ち抜かれたあの時。
そう、あの時。
正直、半分は思った。
(……ああ、見捨てられたんやなって。)
力も足りんで、体も小さい。
いつもいつも、付きまとう、使えんクソガキだと、そう思われたと。
そういうこと、そういうことじゃなければ、こんなことされんやろって。
(でも。)
そのまま、探索者辞めろとは、言われんで、1人でお留守番にはならんかった。
魔法は使えなくとも、動けた。
戦えた。
(……なら、ええやろ。)
口元が、わずかに歪む。
(意味とか、理由とか、この際、もう、どうでもええ。)
(俺は、俺で、やりたいことを決める。)
視線を、盾の隙間へ落とす。
(――これ、近づけってことやろ。)
(守るだけやない。)
(ぶち込めってことや。)
確信ではない。
でも。
そう思った。
それで、十分だった。
「でも、この盾ならできる。」
中央の紋様が、ずれる。
盾が、割れるように開く。
「え……?」
「俺だって、最初に投げ渡された時は、なんも、分からんやった!」
その声は、妙に明るかった。
「でもな!」
灼熱大猿の掌が、さらに大弥を押し込む。
盾が悲鳴を上げる。
腕が震える。
それでも。
声は折れない。
「これは――。」
「ゼロ距離射撃、高出力の弓を敵に撃ち抜くための盾や!」
凪は息を呑む。
本当に、意味が分からない。
全部、理解できない。
これを大弥に渡したゴリラ先生の意図も、受け取って意図を必死に読み取り実行しようとする大弥も。
でも。
それでも。
「頼む!」
「俺に賭けてくれ、凪!!」
その一言だけは、命の恩人の懇願に似たような、期待に満ちた声だけは。
理解できた。
熱と轟音の中で。
凪は、その背中を見つめる。
意味が分からないし、正直関わりたくないが、その背中は、誰よりも、真っ直ぐだった。
そこで初めて。
凪の中の、感情が、息をするように産声を上げる。
(わたしだけ、何も出来ないなんて、絶対に、嫌よ!)
大弥の内に燃える情熱の火は、凪の心に火種を叩きつけた。




