ハンターへの依頼
通勤時間帯、冴島雅人は警視庁の香山からの情報を得て、ある企業の調査を進めていた。
勤務中に少し抜け出てもらい、ある人物から話を聞くことにしていた。
「俺、こういうの初めてだけどヤバくないよね? 俺から情報出たってことバレないよね」
不安になる相手を、冴島は抑えるようなジェスチャーをしてから言った。
「大丈夫だ。バレることはない」
「だってさ、今日、警察がきたんだぜ。きっと小さな問題じゃないだろ?」
「……警察」
「ずっと休んでいる奴を訪ねて『刑事』だって男が二人きた」
冴島は咄嗟に香山の名前を出した。
「よく覚えてないけど、そうだった気がする」
香山が言っていた件で、捜査が進行しているのだ。
「休んでいる理由は聞いてないのか?」
「具体的な病名とかはわからないけど、西田ちゃんが言うには体調不良だって。なんでも自分が出張帰りにそいつを部屋に呼んだ時に、笹川さんが来たせいで体をおかしくしたって。あいつ、乱行パーティでもしてたんじゃないの?」
男が言うには西田ちゃんと言うのは西田佳代、笹川さんというのは笹川智子というのだそうだ。
「体調が悪くなったのは、派遣の女の子二人相手に、自分の欲望を爆発させた罰だよ」
お前、嫉妬しているのか、と思ったが、言葉にはしなかった。
「……」
冴島は金の入った封筒を相手に差し出した。
封筒を受け取ると男は軽く手を上げて言う。
「悪いね。俺もあんまり仕事サボれないんで」
男は視線を外すと、何事もなかったように去っていく。
すると、冴島のスマホが振動する。
着信相手の名を見て、とっさに周囲を見回す。
いや、バレているはずがない。
冴島は一呼吸おくと、電話にでた。
『また振り込んでおいた。依頼はメールで送った。受けてくれ』
「まだ入金も内容も確認してない。受けれるかは……」
言いかけたところに割り込んでくる。
『受けないのなら、お前の情報を吸血鬼側にばら撒く』
「脅迫かよ」
スマホの向こうで笑いが聞こえる。
『国家権力など意に介さない連中だ、追われ始めたらあるのは死のみだ』
「こんな仕事をしている俺が、死を恐れていると思うのか」
『……』
沈黙の意味を考えて、冴島は心の奥底で笑った。
「まだその仕事を受けないとは言ってない。吸血鬼が減るならなんでもするさ」
だが、お前の謎も暴かないといけない。そんな気がしている。
『……急げ。こっちも時間がない』
何かイヤな間があった。
通話が切れると、冴島は慌ててメールを確認した。
喫煙できる場所を探して、タバコに火をつける。
都心の地下に住む吸血鬼。
どうやら、その吸血鬼は地下でクリムゾン・ヴェインという名のバーを経営しているらしい。
以前、同じ依頼人が『殺レ』と指示してきた相手とは違う。
何故、この吸血鬼を『急いで』殺せと言うのか。
わざわざ俺を使ってこの吸血鬼を殺させる理由が分かれば、この依頼人の正体に近づける気がする。
依頼人が何者で、何の目的のために吸血鬼殺しを依頼するのか。
それを知ることが、自分の身を守るためにもなる。
咥えたままのタバコの灰が落ちた。
「こいつ、あの血の収集者だ」
血の収集者を殺せと言う、この依頼人は……
冴島は以前ネットに投じた、この血の収集リストに関する依頼に食いついた奴がいないか確認した。
『取引しましょう』
十数件の取引相手が候補に入っていた。
彼は費用と詳細内容の見せ方から、二人ほどに絞り込んだ。
一件目の相手に金を入れたが、出してきたリストはクズゴミだった。
もう一人の方は、入金から手が込んでいて信頼ができそうだった。
ファイルがもらえる頃には、彼は十本目のタバコに火をつけていた。
『入金確認できました。ファイルを置きますので引き取り願います』
冴島はタバコを咥えたまま、スマホを操作してファイルを落とす。
興奮気味に煙を吐き出しながら血の収集リストを確認する。
「あった……」
加えて、ついさっき男から聞いた名も入っている。
どう考えても怪しい。これがことの始まりに思える。
後はこの血のリストを巡って何が行われていたのか、はっきりさせれば良いのだ。
タバコを据え置きの灰皿に押し付けて消し、冴島は事務所へ戻った。
銀の銛を入れたゴルフバッグを二つ背負おうとして、ふと考える。
日中、地下に潜む吸血鬼を襲うのだ。
夜間、活発に動く吸血鬼を遠距離から狙うのではない。
二つ持って歩くのは愚策に思えた。
中身を整理し、一つにまとめるとそれを背負って外に出た。
まだ日は高い。
踏み込む際、そこに複数の吸血鬼がいるか、いないかの判断を間違えなければ、日中で動きずらい為、他の吸血鬼の助けが入ることもないだろう。
こちらが主導権を握れれば、血のリストについて、詳細な情報を得ることができるかもしれない。
冴島はそんなことを目論み、目的のバーがある地区へ移動した。
駅から外に出て、問題のバーがあるビルに近づく。
変な視線を感じる。
今は日中。これは吸血鬼のモノではない…… はずだ。だが、何故か吸血鬼特有の『血の気配』がある。
まさか、俺が指示通りに殺しに行くか見張らせている、あるいは別のダンピールにも指示を入れているのかもしれない。
この国で別のダンピール、吸血鬼ハンターの存在は聞いているが、会った事はない。
ダンピール同士の感じ方を知らない。もし近くにきたら、こんな風に感じるのかもしれない。
冴島は過剰に恐れることをやめ、バーのビルへ接近した。
端に片付けられた看板を見つけた。そこにはクリムゾン・ヴェインと書かれている。
「ここだな」
階段入りには簡単にチェーンが掛けてあるだけだ。
彼はそこに立って階下を覗き込む。
この血の気配は…… 一人の時に感じるものだ。
雨の日に出会った時や、動物園での争い、それ以前の経験上から、彼は吸血鬼が単独の時と複数いる時の違いを覚えていた。
ここにくるまでに感じていた周囲からの視線はない。
冴島はチェーンを飛び越え、そのままの勢いで階段の踊り場に飛び降りた。
体重に似合わない、静かな着地。
強くしなやかな筋肉がなせる技だ。
冴島の位置からはバーの扉が見える。
血の気配に変化はない。
ポケットに入れていた小さな刃物を扉の隙間に入れる。
彼の力と体重が、その刃物にかかると、扉のデッドボルト、ラッチボルトが真っ二つになってしまった。
ロックしている機構が壊れ、あっさりと開くバーへの扉。
追い詰めた。冴島はそう思った。
彼は店の入り口付近にゴルフバッグを置き、中から一本、銛を取り出した。




