「好奇心が猫だけを殺す」(10)
「どうでもいいけどさ、鍵、くれない?」
おちょくる、というよりは心底興味がないといった風にハニカムウォーカーがフランチェスカを促した。装飾の多い、召使服のスカートが軽く揺れる。
「どうでもよくはない」
「気持ちは分かるよ、でもわたしなんて龍敵認定されてるんだぜ。本当なんだとしたら由々しき事態だ。でも、そこにあんまり意味はない。それより鍵だよ。ねえ」
「意味がないこともないだろう」
「わたしたちに出来る選択肢は少ない。そこの彼にこれ以上尋問するのは無意味だし」
地下牢獄の鍵は、捻った知恵の輪のような形をしている。物理的な錠前ではない。魔力の込められたものだ。
戦斧から取り上げたそれを、堅牢なる城門の籠手の掌で弄びながらフランチェスカは軽く頷いた。意味がきちんと伝わったかどうか確認するように暗殺者は肩をすくめた。
「龍敵に指定されてるにせよ、本当はされてないにせよ、わたしはここから出たいし、ここから出ることがあらゆる場合の最適解だ。敵認定されてるんなら急いで逃げなきゃいけないし、されてないなら君はわたしが出るのを阻む理由もない。そうだろ。そして君だって同じだ。赤襟が関わっていようといまいと、追加の指示が来てない以上、新しい命令が出るまでわたしを警護するしかない。彼らが嘘をついているならそれだけの話だし、誰かが赤襟を騙ってわたしを殺そうとしているなら、尚更君はわたしを護らなきゃならない」
「ううむ」
「不満かい」
「不本意ではある」
「わたしもだよ。わたしは、また君と一緒に過ごせるのを嬉しく思ってはいるが、今回も、最後の最後で君がわたしの敵に回るかもしれないと思いながら過ごすことになる訳だ」
泣き人形事件のことを軽く揶揄してハニカムウォーカーは微笑んだが、形式上のものだ。フランチェスカは笑い返さないし、彼女の微笑みもそれ以上の意味を持たない。
過去のその時には、お互いに別の立場があった。確かに斬り合いはしたが、どちらも生きている。それにフランチェスカを「また敵に回る」と表現したが、その時、先に斬りかかったのはハニカムウォーカーの方だ。
「ともあれ鍵だ。渡してほしい」
もし本当に、赤襟の当主が警護を命じる一方でハニカムウォーカーの暗殺を差し向けていたとしたら、可能性はふたつだ。
ひとつは、いよいよという場面でフランチェスカに対して、それまでの指示を破棄してハニカムウォーカー討伐の指示が下るということ。
そしてもうひとつの可能性は、赤襟の首領、フェザーグラップ・アンデレックはフランチェスカごとハニカムウォーカーを始末するつもりということだ。
「ありえない、と思っておきたいな」
フランチェスカは自嘲のように笑う。そして下を向いたまま鍵を放ろうとして、寸前で止めた。空中で掴み直す、ぱしん、というスナップ音。
「よく考えてみたら必要ないだろう、鍵は」
もう開いてるはずだ、と扉を指す。悪戯っぽく笑って、ハニカムウォーカーは舌を出した。
「バレたか」
「バレたか、じゃあない。どういうつもりだ」
「もうひとり、ここから連れていきたいひとがいてね」
あまりに自分たちを置いて進められる会話に耐えきれなくなったのか、それとも別のことを危惧したのか、戦斧のロイヤルガードが割り込む。
「おれは、おれたちは」
「ああ、そうか、君たち、まだいたのか」
くるりと目を回してハニカムウォーカーがしゃがみ込み、戦斧と目線を合わせた。フランチェスカからは背中向きになって、その表情が見えない。明るい、快活な声だけが聞こえる。
「おめでとう、君の命乞いは上手くいった。君を殺す必要はなくなったし、相棒くんの鼻と耳も取り上げるのはやめておいてあげよう。ンフ、君たちを生かしておく理由ができたんだ。おめでとう。嘘だとしても、吐いてみるものだね」
さっきまで喚いていた戦斧が、しん、と黙った。助命嘆願が聞き入れられたというのに、明らかな恐怖の表情を浮かべている。
「なんだい、失礼な顔をして」
ぐるぐるぐる、とメイド姿の暗殺者は顔をこするようにして立ち上がる。振り向いた顔は、さっきまでと変わらない、少し眠そうで、何を考えているのか分かりにくい、つるんとした表情だ。
「いいかい、君たちを生きて残した、ということ自体がわたしたちからのメッセージだ。これから伝えることを、よく覚えて宮廷の人たちに伝えるんだ。わたしたちは龍と敵対したつもりもないし、昨日、わたしがリィンお嬢様をぶちのめしたのだってお互い納得ずくの話だ。向こうがわたしを許してくれるかどうかは別だけど、わたしは彼女から毒をしこたま喰らわされたことを許すよ。わたしは不問にする。訴えない。弱いものいじめをするのは大人気ないからね」
ハニカムウォーカーは歌うような調子で小太刀を投げる。大楯の持ち物だった小太刀は、綺麗な直線で本来の持ち主のそばの床に突き刺さった。
「これも返す」
息を呑む音だけはしたが、戦斧はもう声をたてなかった。
「わたしたちは、王である龍と敵対するのを良しとしない。君たちが仮に赤襟や王の名前を騙る嘘つきだったとしても、ロイヤルガードの格好をしている以上、殺さずに君たちを解放する。わたしたちはその意味を理解している。君たちも理解してくれると嬉しい。本当は君たちをぶっ殺してから出かけた方が色々と後腐れはないはずなんだけど、わたしたちは無法者ではないからね。それから、君の指を斬り落としたのはわたしじゃない。そっちのこわい謎の女だ。手当てをしてあげたのがハニカムウォーカー。わたしは誰も傷つけていない、善良な市民だよ」
覚えたかい、と語りかけると返事を待たずにハニカムウォーカーはそのまま拳を振った。戦斧の顎の先端に当たる。ぱきん、と乾いた音がしてそのままロイヤルガードは崩れ落ちた。
「さあ、行こうか」
「勝手に話を進めないでもらえないか」
「他に選択肢があるの?」
フランチェスカはしばらく黙り、首を振った。そうだろ、とでも言いたげに暗殺者は頷き、手を伸ばす。
「ねえ、鍵ちょうだいよ」
「駄目だ」
「なんで」
「誰かを連れ出すつもりだと言ったろ」
「言った。予定が変わったんだ。ここには置いておけない」
「させるか」
返事しながらフランチェスカが眉間を押さえる。
「龍の法ではないが、人の法によって、必要があって収容されているものたちだ。それが誰であっても勝手に出す訳にはいかない」
「危ないんだよ、見たし体験もしたろ、こいつらみたいのが彼のところまで来たら困る」
「駄目だと言った」
ハニカムウォーカーは腕組みをしてしばらく考えていたようだったが、不満そうに黙ったまま房の外に出た。
地下牢の廊下は石造で、やはり窓がない。
彼女のいた房は一番奥からふたつ目。廊下から見える扉の数はそれほど多くない。どちらの突き当たりにも扉はなく、どの扉も同じように閉められ、全く同じ形をしている。鉄格子ではない、丈夫そうな扉。音を吸う扉ではあったが、全く完全に通さないというわけでもない。
ハニカムウォーカーを追って房を出たフランチェスカは、隣の扉に寄り添う彼女を見た。
「ここは牢獄ではなくて、本人の意思があれば出られる仕組みなんだよね。なんて名前だっけ」
「暫定隔離安全処置房」
「ンフフフ、そうそう。わたしはその名前、一生覚えられない気がする」
龍の国の牢獄は、建前上、そして機能上も「牢獄」ではない。カフスと呼ばれる拘束具を受け入れれば独房の扉は開錠される。収容されるものはカフスを受け入れて拘束されたまま収容され、独房の中でカフスを外し、肉体の自由を取り戻すとともに房の中に閉じ込められる。
基本的にはその仕組みは公開されていて、秘密でもなんでもない。彼女の目的である人物も、房の中でカフスを装着すれば扉は開くはずだった。扉が開きさえすれば、手引きするものさえ居れば、連れて行くことができる。
小さく笑いながら床を眺めていたハニカムウォーカーは観察するようにしばらく悩んでいたが、ここかな、と呟いて扉のひとつに寄った。扉を、そっと慈しむように撫でる手つき。
「お坊ちゃま、迎えに参りましたよ」
しばらく待つが返事はない。彼女はまだ知らないことだったが、グラスホーン・パトリックノーマンマクヘネシーは、もうこの地下牢獄にはいない。ノックの音。
「ちょっと、返事は?グラスホーン?ここじゃないのかな?」
廊下に残響する声。グラスホーンの名前を聞いてフランチェスカの一つの目が、く、と細まった。
彼女にとってそれは、収容されたその日のうちに脱獄をしてのけた無法者の文官エルフの名前でしかない。




