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ハニカムウォーカー、また夜を往く  作者: 高橋 白蔵主
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「悪」(3)

半歩、ムル喰いからシジマを庇うようにフランチェスカが横ににじる。シジマは男と、フランチェスカはムル喰いと相対する形になった。


「ムル喰いに、人を食わせたのか?」


男はぎょっとしたように口をつぐみ、やはり奥の部屋に目を遣った。一体奥の部屋には何があるのか。


「貴様、教養というものがないのか?猛獣に人の味を教えてはならないと郷里で習わなかったのか?人は弱く、獣にとっては狩りやすい。人の味を覚えた獣はもう自然に返せないんだぞ」

「し、知らねえよ!それにこれは、俺じゃねえ」

「知っておけ!」

「うるせえよ!いきなり入ってきて、あんたたち一体なんなんだよ!」


もっともな悲鳴ではあったが、男から、人を食わせたことへの否定はない。これで男が完全な善意の存在でないことは明らかになった。おそらく、人を食わせたというのも真実なのだろう。

フランチェスカには邪悪というものの定義はよく分からなかったが、不逞という概念は分かる。大衆の不益というラインも理解しているし常識的に許される範囲も弁えている。


目の前の部屋は、地下とはいえ街中である。そこにおいて猛獣を飼育し、人肉の味も教えている。状況証拠的には完全に不逞の輩、治安を乱す準備であると言われたら、反論はできない。


「かわいそうな気もするが、幾ら地下迷宮とはいえ、人の味を覚えた獣なれば、野放しにはできん」


この国の地下は深く、広い。前時代の遺跡として、広大な地下迷宮が地面の下には広がっている。歴史ある都市には付き物の地下迷宮だが、龍の国においては迷宮冒険に潜る者たちの物語はもう終わっていた。

地下水道は怪物たちの繁殖できる環境ではない。宝物は獲り尽くされた。そこは今ではただの、湿っぽい通路である。しかし、広い。家賃が払えずに仕方なく住みつく者、追われたもの、人目を避ける必要のある者たちがぽつり、ぽつりと隠れ棲む場所となっているが、それを取り締まらないのは、好き勝手するのを龍が許しているということではない。


「すまんが、もう斬るぞ」


呟くなりフランチェスカが剣を下げながらムル喰いの間合いに踏み込んだ。それは獣の、ほとんど反射反応なのかもしれない。構えた一対の前脚が女騎士の頭めがけて伸び、フランチェスカは獣に背を向けながら下げた剣を再度、振り上げた。

まるで獣を背負うように剣の軌跡は弧を描き、そして、女騎士は剣を持ったまま、さらに半回転する。

水平軌道に剣は煌めき、振り抜いた姿勢で、ぴたりと剣士が動きを止めた。


二本の前脚は皮一枚を残して断たれてだらりと下がり、足の付け根は剣の軌跡どおり、横一文字にぱっくりと開いていた。ムル喰いに声帯はない。声にならない湿った悲鳴をあげて、獣は地に伏し、傷口から大量の血を吹きながらもがいた。真っ白な体毛がみるみる赤く染まる。ムル喰いの身体は毛のある巨大な蜘蛛に近いが、頭部にあたるものがない。口は腹の底側にある。ムル喰いの捕食は、相手を動けなくしてから8本の脚で押さえ、腹をつけて齧るというものだ。


「初めて斬ったが、ムル喰いはどこを斬れば死ぬのか分からん。シジマ、知っているか?」


フランチェスカが肩越しに問いかけると、巡礼者は一瞬言葉に詰まったようだった。


「し、知りませんが、話ではムル喰いの脳は身体の芯にあるとか」

「ならば両断すればよいか」

「バケモノ!立て!てめえ、何やられてんだ、立てよ!」

「やめろ、敗者を侮辱するな。やむなく傷付けたが、必要以上に苦しめるのは本意ではない」


言いながらフランチェスカはまた踏み込み、今度はムル喰いの正中を断った。剣は獣の胴の半ばまで埋まり、騎士は胴に脚をかけて剣を引き抜く。残りの脚がフランチェスカを捉えようともがくが、もはや届かない。周囲の家具をなぎ倒し、派手な音を立てるが、騎士には届かない。


「貴様、心は動かんのか。貴様らが人肉で餌付けをしたせいでこの獣は死なねばならなくなったのだ。これは貴様らが招いた死だ。顔を背けるな。きちんと見ておけ」


更に三度、フランチェスカが剣を振り下ろすとムル喰いは動かなくなった。ブーツの膝から下は、返り血で真っ赤である。壁にも、床にも血が飛び散っている。男だけでなくシジマもまた、言葉を失くしているようであった。


「これが、“邪悪なもの”の正体か?」


剣に残った血を振って払いながらフランチェスカが問うと、シジマはようやく我に返ったようであった。ぶんぶんと首を振り、部屋の奥を不安そうに見る。


「いえ、その獣は、人を喰らうておりましたが、邪悪なものの気配は、まだ」

「私は今ひとつわからんのだが、その、邪悪の気配というのはどうやって感じるのだ?そういえば、このムル喰いが人を喰ったかどうかも、どこで判断したのか気になる」


シジマは首を振る。


「こればかりは、なんとなく感じるとしか表現できません。人の痛みや苦しみの、残響のようなものが感じられるとしか」

「ふうん。ラーフラと同じような能力か。分からんが、不思議な力のあるものだな」


呟いてフランチェスカは残った男に体を向ける。


「さて、この奥には何が隠してあるのか、聞かせてもらおうか」


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