18
天気は晴れ。お出かけ日和の休日に、ほとんどの生徒は学院の敷地を出て王都の散策や買い物に忙しいようで、私は空っぽの廊下を抜けて、敷地内の人気の少ない庭で護身術の基本動作をひととおり復習し、だれもいない大広間で朝食を食べていた。
スープが熱すぎて、反射的に半分吐き出してしまって、今の失態をだれかに見られたんじゃないかと慌てて顔をあげると、なぜか目の前に、この国の第三王子の婚約者である公爵家の娘、セレナ・ヴァンヘールがその友人3名ほどをつれて私の目の前に立っていた。
「おはようございます」
「おはようございます、セレナ様」
私はセレナの挨拶に答えながら、その姿に見惚れていた。
銀色の美しい髪が朝の光を浴びて月の下の砂丘のように神秘的に見える。角度の低い太陽がくっきりと顔に影をつくり、光が当たっている片方の瞳が強調されて輝き、まるで人間ではないよう。
イケメンはたくさんいるし、可愛い女子生徒もたくさんいるけれど、彼女ほど美しい人はこの世界でも稀だ。
原作の彼女は確かに美人だったけれど、ソフィアの視点から見るセレナは、ソフィアにつっかかって嫌味を言ってきたり、陰口を広めたり、ソフィアのことを馬鹿にしたような発言をしてくる役だったのであまり良い印象はない。特にキースを相手に選んだときには、セレナがソフィアの評判を地に落とし、最終的にはソフィアの人生は悲惨な最後となる。
私は原作のソフィアと違ってキースの隣で食事をしたこともなければ、授業以外で2人きりで話したこともない。セレナに睨まれるようなことは何もしていないから嫌われる理由もない。と、同時にセレナから私に話しかけるような用事もないはずで、いったい何の用があって目の前に立っているのか疑問だった。とりあえず相手の出方を見るしかない。
「こちらの席は座っても構いませんか?」
「はい」
他にも席はたくさん空いているし、セレナの友人を合わせて4人にぴったりのテーブルもあるのに、彼女たちはわざわざ私の前に並ぶ。まるで就職の面接のようである。セレナたちが座ると、給仕の人が4人分の紅茶を用意してくれた。もう食事は済んだ後なのかもしれない。
「貴女は休日なのに学院に残っていらっしゃるのね」
「はい」
「いったい何をして過ごすのかしら?」
セレナの意図が読めず、どう答えてよいか分からなかった。嘘をついても仕方がないので正直に答えることにする。
「ええと、魔術の練習をしたり」
「したり?他にはどんなことを?」
セレナの微笑みは美しい。私の1日はたいてい訓練と勉強にあてられるので、他の生徒が聞いて楽しいことなんて何もないけれど、聞かれたのでさらに詳しく説明した。もし私がキースと一緒に過ごすなんてことがあるか疑っているとしたら、逆に1日一緒に過ごしてもらって、私がセレナの婚約者と接触することなんて、授業さえなければ全くないことを証明できる。
「……この後は空き教室で複合魔術の練習をしようと思っていて、その後は歴史学のレポートを少し進めます。お昼を食べたら午後は温室で薬学のハーブの雑草抜きを手伝って、そのまま隣の実験室で薬を作る練習をして、夕飯を食べて、スンドビュベリ先生に治癒術の件で質問があるのでお話を聞いて、図書館に寄って治癒術の本を借りて、部屋に戻って本を読みます」
「まあ……それって、おもしろいの?」
セレナは美しい顔を崩して、奇妙な生物を見るような目で私を見ている。
「あなたは入学式のときもキース様と争うくらい成績がよかったのよね。それなのに、お休みの日も勉強ばかりしているの?なぜなの?なにか楽しいことはしないの?あなた、クラスにご友人もいないんでしょう?変わってるのね」
うんうん、とセレナの隣に座っている生徒たちが頷く。随分ずけずけ好きなことを言ってくる。何もしてないのに、これは喧嘩を売られているのか?と思うけれど、セレナにそんなつもりはないようだ。単純な好奇心が顔つきに表れている。
「休みの日に遊びにいかずに勉強する生徒は、私のほかにもいますよ。図書館は結構混んでます」
「そんなこと私も知っているけれど、あなたは勉強する必要がないじゃない」
「そんなことありません。努力をしないと成績はすぐ落ちます。私は魔力も少なくて、知識と技術と慣れで補うしかないんです」
「そんなことじゃなくって!」
セレナは突然立ち上がった。
「お嫁に行くのに成績なんてどうでもいいでしょう。もっと見た目を磨いたり、社交の場に出たり、夫の好みに合うように振舞うほうが大事なんじゃなくて?私、あなたとお話してると気がおかしくなりそうよ」
私はセレナが自分と同じ言葉をしゃべっているのか自信がなくなってきた。先ほどから全く言っていることが意味不明で、頭がおかしくなりそうなのは私のほうだ。セレナは呆然としている私に呆れるようにため息をついた。
「あなたはね、アルノルド伯爵家にとても失礼なことをしてるのよ。あなたのやってることって、伯爵家にはあなたを満足に生活させる財力がないって言ってるみたいじゃない。ゲオルグ様のことも、伯爵家のことも信頼してないってことを、この学院中に知らしめてるのよ?私、あなたみたいに自分勝手な方って許せないわ。いったいどういう教育を受けてきたのかしら。貴族として恥ずかしくないの?平民に産まれたほうがよかったんじゃないかしら!」
セレナは自分自身が出した大声に驚くように口元をおさえた。少しバツの悪そうな顔をしたが、謝るつもりはないようで、黙っている。
「そういう考えもありますね」
私はセレナの考えを肯定も否定もしない返しをした。結局セレナがどうしたいのか分からないから何を言ってよいか思いつかない。多分、セレナ自身が貴族社会のルールや規則にがんじがらめになっていて、それから外れている私が許せないのではないかと思う。
「えっと、もしよかったら、セレナ様も私と一緒に練習しませんか?」
「いやよ。なぜ私がそんなことをしなければならないの」
予想がはずれて少し悲しい気持ちになる。セレナも本当は魔術の練習や勉強を自由にやりたいのかと思ったのに違うみたいだ。
「あ、あなた、そんなに私と一緒に練習がしたいの?」
「え?」
「分かったわ。私からあなたに話しかけたから、今日くらいは付き合ってあげても良いわ」
「ありがとうございます……?」
突然セレナの気がかわった。隣に座っているセレナの友人たちも怪訝な顔をしてセレナを見ている。本物の貴族のお嬢様の気まぐれは私にはよく理解できないけれど、とりあえず敵対して嫌がらせをされるよりは、一度話をして、私は別になにもおもしろいこともおかしいこともしていないということを分かってもらうほうが安全だから、悪い結果ではない。
「では、移動しましょうか」
私はヘレナとその友人のシーナ、エルザ、フィルナを連れて、先生にお願いしておいた空き教室へと向かった。本日1番に足を踏み入れた教室は一度も換気をしていないせいでかなり空気が悪い。窓を開けて風通しをよくして、風の魔術でテーブルと椅子を移動させ、4人が十分にスペースをとれるような空間を準備する。私は少し不安そうに立っている女子生徒4人を見渡した。1人も同じクラスの生徒がいないから、この4人はクラスⅡにいるのだろう。クラスによってどのくらい授業の進みが違うのか知らないので、まずは進捗を確認することとする。
「複合魔術は授業で習いましたか?」
「聞いたことはあるような気がするけど」
「先週先生がやってみせてくれたわね」
「本当に?」
「難しすぎてよく分からなかったわ」
返答を聞くと全く覚えていないようだった。これは複合する前に単純な魔術の操作を練習したほうがよいかもしれない。
「魔術というのは、基本の5つの種類に分かれていますよね?」
どこから復習すればよいのか分からないので、一番単純な要素から話すと、4人は馬鹿にするなとでもいうように頷いた。
「複合魔術というのは、その5つの要素を組み合わせることでより複雑な魔術を可能とすることです。基本の5要素はお互いに反発したり補助したりするので、1つの種類に拮抗する力をあててコントロールしたり、増幅させるといった使い方になりますよね。ここまではよく聞く話なので、これから練習したのはもう少し特殊な要素、つまり光……」
ふああ、と短いあくびが聞こえた。
私は自分の手のひらにあつまっていた光のパーティクルを消す。大変退屈そうなお嬢様たちとこのまま一緒にいてもまともな練習はできなさそうだった。別にこのまま、おもしろくないと思われて解散になっても構わないのだけど、この場に来たからにはなにか持って帰ってもらわなくてはという意地が生まれてくる。
「説明するより見せたほうがよさそうなので、フィルナ様、こちらに座ってくださりますか」
あくびをしていたから彼女を選んだわけではなくて、オレンジ色の細い髪がからまってボサボサになっていたからだ。
「髪をほどきます」
風の魔術で髪を結んでいるひもをとくと、ぼわ、とオレンジの髪が広がった。フィルナが短い悲鳴をあげる。
「で、今から行うのが複合魔術です。水、それから光の要素を組み合わせます」
私は逃げようとするフィルナの肩をおさえ、説明しながら水の魔術でフィルナの髪をつつみこみ、キューティクルにそってすべらせ、うっすらと膜をはった。それにからませるように光の魔術で細かいパーティクルをまとわりつかせて、ふんわりと肩におりた髪をハーフアップに結びなおす。
「こんな感じで同時に異なる種類の魔力を組み合わせるんです。全く同時に別の要素を使うというところがキモになっていて、単純に1つの魔力を使うよりも集中力が必要になるから練習を……」
「まあ!フィルナ、すごいわ。とっても綺麗じゃない。ねえだれか鏡は持ってないの?」
「ソフィア様、私もやってほしいわ。ねえ、これって毎朝やっても良いの?」
「私鏡を持ってくるわ」
「鏡なら水の魔術で作れます」
きゃっきゃっとはしゃぐ彼女たちに、水をとどまらせただけの簡易的な鏡を渡すと、さらに興奮したように盛り上がった。この程度のことなら入学前に家庭教師に教えてもらうはずなのに、だれも知らないのだろうか。
「ねえ、もっと他にも教えてくださいな。あなたすごいのね」
セレナにぎゅう、と手を握られる。キラキラと輝く彼女たちの顔はまぶしくて、私は勢いに押されるように頷いた。
思いつくままにセレナたちの関心に合いそうな魔術の使い方を見せて、少しだけ説明もして、あっという間にお昼の時間になる。私は機嫌の良いセレナに手を引かれて大広間に移動して、一緒に座り、カラフルなサラダとスープ、名前も知らない白身魚を口に運びながら、なぜこんなことになったのかぼんやりと考えていた。
この学院に入ってからゲオルグ以外で私の隣に座ったことがあるのはキースくらいで、こんな風に同じ学年の女子生徒に囲まれることは始めてた。しかも前世のときから仕事ばかりしていて女子会も長らくしていなくて、学院に入る前も予習に必死だったことやいじめにあったせいで友達もいなくて、私は目の前で矢継ぎ早に展開されるふわふわした会話についていくことができない。
「魔術って退屈なものだと思っていたけれど、こんなに気軽に使っていいのね」
「先生たちの話って難しすぎじゃないかしら」
「そうねえ。でもこんなに毎日魔力を使ったら疲れちゃうわ。私もう今日は動けない」
「ソフィアはどうして、こんなに色々な使い方を思いついたの?」
突然話を振られて、魚が気管支に入った。げほげほと何度かむせていると、シーナが水をくれたので一気に飲み干した。
「1人で思いついたわけではなくて、家庭教師の先生とか、両親に話したり、幼馴染に話して、色々アイディアが出てきて、試してみてっていう感じです」
「ねえ、幼馴染って、ゲオルグ様のこと?」
「幼い頃から仲が良かったんでしょう。実はすごく気になっていたのよ。ゲオルグ様が先にソフィアに一目ぼれしたって本当?」
「うらやましいわ」
思わぬ方向に話が進んだ。セレナ以外の3人がぐいっと体を乗り出してくる。セレナも興味がないわけではないみたいで、目はじっと私に向いている。
「幼馴染というのは従兄弟のことです。ゲオルグ様は……どうでしょう。元々事故が原因といいますか、親の意思で婚約に至りましたから、私のことをどう思っているかは分かりません。とても親切にしてくださいますし、私は尊敬していますが」
親というか世間というか。卒業したら婚約も解消になるだろうことは、今口にすると面倒になりそうだから黙っておく。4人ともぽかんとした顔で私を見ている。まあ、そうなの、あらあら、と思い思いの感想を口にしている。
これ以上恋バナに花を咲かそうとされても困る。お互いの身の安全のためにも私はゲオルグは恋をするわけにはいかない。ただ、ゲオルグには幸せになってほしいなとは思っているから、先ほどうらやましいと言っていたシーナはお相手にどうだろう、とふと思いついた。伯爵家の次女ということで、身分的にはぴったり。セレナのように圧倒的な美女ではないものの可愛いし、元々のソフィアの雰囲気に近い優しく朗らかな雰囲気でゲオルグの好みに合いそうだった。原作のソフィアに対して行ったことをシーナに行われたら困るけれど、今のゲオルグは家のプレッシャーと上手に付き合っているみたいだし、ソフィアの前でしか素を出せないといった無理をしている様子とか、精神が不安定になってふさぎこんでいるところも見たことがない。
シーナとゲオルグが両思いになったら、私は前世の影響で抱いている被害妄想から開放されて、原作の展開をなぞっているのではないかとゲオルグの一挙一動を警戒することもなくなる。素直に祝福し、ゲオルグもシーナも幸せになれる。とりあえず知り合いになってもらってお互いの印象が悪くなければ背中を押してみるというのもありだろう。
「ソフィアはもっと積極的になったほうが喜んでくださると思うの」
「え?」
「そうよね」
「婚約なんて親の都合が普通じゃないの。婚約してから恋になればいいのよ。もっと自信を持ったほうがいいわ」
私がゲオルグとシーナの結婚式(この世界の結婚式に出席したことはないので前世の記憶を引っ張り出して)について想像して、かなりお似合いでは?という結論に達している間に4人は全く別の話題で盛り上がっているみたいだった。
「私だって、キース様との婚約は親が決めたことですけれど、とても幸せよ」
その発言にセレナ以外の3人がうっとりとため息をついた。そのままセレナがキースの話をはじめる。キースが原作でソフィアに惚れる前、婚約者のセレナにどんな対応をしていたのかよく知らないけれど、少なくともセレナはキースにベタぼれのようだった。
キースってどんなところが魅力だったっけ?と原作を思い出そうとするけれど、現在のとにかく人を睨みつけて意味が分からない疑いの目を向けてくるところしか記憶にない。
「セレナ様、噂をすればキース様よ」
「え、本当?!」
先ほどまで花を散らして年頃の女子らしくはしゃいでいたセレナの顔が急に引き締まる。訓練された自然な動作で優雅に立ち上がって、キースが入ってきたほうへと体を向けた。
「キース様」
「セレナ、なぜソフィア・ボルソンと一緒にいるんだ?」
突然名前を呼ばれて、私までしゃんとしなければいけない気持ちになり背筋を正した。
「聞いてくださいませ、キース様。ソフィアが」
「いいかげんにしてくれないか!」
セレナが嬉々とした表情で説明しようと口を開いた瞬間、キースの怒鳴り声が食堂に響いた。昼食を取っていたほかの生徒たちがいっせいにキース、セレナ、そして私たちに注目する。
「キース様、どうされましたの?」
キースは周りの生徒の反応を見渡していらだたしげにした。キースに睨まれた生徒たちは、この場に私たちはいないかのように思い思いの方向を見て会話を続けるけれど、私たちの会話に耳を澄ませている。
セレナが様子のおかしいキースの顔色を伺うように覗き込み、手を伸ばすと、その手はぴしゃりと払い落とされた。
「私の交友関係に口を出すのをいいかげんにしろと言っているんだ。この学院で私がだれと話すか、何に時間を使うか、私の自由だ。ソフィア、この女が言ったことは真に受けなくて良いから、行こう」
わけのわからないままキースに腕を引かれそうになり。とっさに体の向きを回転させて手を振り払った。キースは驚いた顔で私のことを見ている。
「セレナ様とは一緒に複合魔術の練習をして、楽しく会話をしていただけです。突然いらっしゃって邪魔しないでくださいますか。まだ話の途中なんですけど」
この間のゲオルグのことといい、キースは人の話をしっかり聞かないで早とちりする癖があるみたいだ。こんな子どもっぽい性格で人の上に立てるのか心配になってしまう。第三王子といっても王族なのだから公務があるだろうけど、この態度で来られたらだれも協力して仕事をしようなんて思わない。
「セレナと、何だって?」
「ですから、複合魔術の練習をしていました」
「嘘をつくな。脅されているのか」
「なぜ私が嘘をつく必要がありますか。婚約者のセレナ様のことを、人を脅すような方だと思っているんですか?いくらなんでも失礼です」
「……わかった、質問を変えよう。なにか受け取ったのか?」
原作で、セレナとその友人たちにソフィアが囲まれて、貴族社会のあり方についてねちねちと嫌味を言われていたとき、ソフィアの手を握って連れ出してくれたのはキースだった。ちょうどこんな感じで、大広間に生徒が集まっていて、みな公爵家の一人娘であるセレナには逆らえないし面倒ごとに巻き込まれたくないしで無視して、ソフィアが心細く思っていたところを、毅然とした態度で助けてくれるキース。1つの見せ場だったし、BGMも変わってすごくロマンチックなシーンで、キースの背中をソフィア目線で追いかけながらエンディングに入るアニメ回はとても好評だった。ただあのときは、ソフィアはいじめられていたのだ。
つい先日保健室で根拠のない誹謗中傷をやめろと言ったばかりなのに、何も学習していない。私自身も侮辱されたし、キースのことが大好きで、あれだけ楽しそうにしていたセレナの表情を曇らせて、自分が一番正しいみたいな顔をして立っている。
怒りの感情がぐるぐると体の中を渦巻いている。右手をぎゅっと握ると、こぶしに魔力が集まってくるのを感じた。




