魔術少女(打撃)
僕がこの先生き残るには見なかった事にして引き返すのが一番なのかもしれない。ただ、逃げてきた経路の中で分岐がないからさっきの男を抜く必要がある。怒り心頭で攻撃性が跳ね上がった成人男性とまた対峙しなければならないのだ。さっきは運よく逃げ出せたけど、次はないような気もする。
行き止まりな以上は、後ろが駄目なら前という訳にもいかない。目の前のマッチョの尻を蹴り飛ばしたところで驚かせるだけだろう。でもブロンドの少女と協力すれば、うまく切り抜けられるかな。
ええい、儘よ。
「ったりゃああああああ!」
脳内会議と僕が走っている事を合わせた結果、こっちを振り向きかけたマッチョの背中に勢いの乗った飛び蹴りのようなものを当てる事になった。自棄になって叫んだけど、その気合いに見合うほどの威力はない。まず体格が体格だ。
マッチョがブロンドの少女に覆いかぶさるように前のめりに倒れる。こっちを向く途中だったから壁とキスをせずにすんだようだ。
「早く立って!」
「……え?」
側頭部を強かに打ち付けたマッチョの下敷きに少女がなっているが、早く抜け出して欲しいものだ。迫ってきた男がいきなり倒れ込んできたら混乱するだろうけど。マッチョも手で壁にぶつかった部分を擦りながら、もう片方の手で身体を支えて立ち上がろうとする。やはり僕の打撃は軽い。
少女がまた下敷きになるのを承知で、脇腹を蹴り込んで男の体勢をまた崩す。いくらか抜け出しやすくなったか、少女が男の下から出てきた。まだ怯えが残っているようで、顔は強張っていて身体の動きは硬い。
少女の背は僕よりも頭ひとつ分ぐらい高い。それでも僕の後ろに隠れるように逃げてきた。僕よりも男との力の差を感じているのだろうと思うと、自分より大きい少女の行為は責められない。僕も自動人形のエミになっていなければ、少女として非力さを思う事もなかったのだけれど……。
「あの野郎、何してやがんだ」
マッチョが壁に身を預けながら今度こそ立ち上がる。当然だけれど、マッチョの背は僕よりもブロンドの少女よりも全然高い。僕は背中を蹴ったつもりでいたけれど、実際には腰だったようでマッチョは頭と腰を擦っている。圧倒的な体格差にも関わらず急襲が成功したのは腰にうまく当たったからのようだ。
「ガキが二人に増えたところでどうって事はねえ、か?」
腰の痛みはそれ程でもないようで、男は腰から手を離すと腕を回して調子を確かめ始める。さっきの男みたいに近寄ってはこない。何かを警戒する様子だった。
「おい、フリフリ。お前、さっきのクソをどうした?」
「どうもしてないです。逃げてきただけで……」
あんまりな呼び方である。人の事を言えたものではないけど。
「あまり大人をからかうもんじゃねえ。ただのちんちくりんが逃げられる訳ねえだろうが」
ただのちんちくりんが偶然逃げ出すこともあると思います。例えばマッチョが今まさにしている侮りで、やたらと近くに来たら手が喉に入ったりします。――などとは口が裂けても言えない。
「ああ、なるほど。魔術の心得があるわけか」
マッチョは僕の手元を見て得心が言った様子で頷いた。そう言えばスクロールを握りっぱなしだと気付く。自分の握り締めた手を開いてみれば、くしゃくしゃになった黄ばんだスクロールが手元にある。端の方は大丈夫だけれど、握られていた真ん中は紐が緩いぐらいには潰れていた。
確かに僕は魔術の心得があるけれど、ルッツに危なっかしいと評される程度でしかない。くしゃくしゃになったこのスクロールだって高等魔術らしいし、僕なんかが扱える物では到底ないだろう。でも、そうか。僕は魔術を扱えるのだ。改めてその事実に気付かされた。
「全く、最近のガキは怖いなぁ? 怖いからこんなもんまで出ちまうよ」
マッチョが懐からナイフを取り出す。その刀身には魔術回路が刻まれており、ただのナイフではなさそうだった。ブロンドの少女相手にはただの子供だと思っていたからわざわざ凶器を持ち出さなかったけど、僕が魔術を扱うと察して魔道具を取り出したのだ。
「傷つけたら責任は取ってやるから安心しなッ!」
マッチョが下品な言葉を吐きながら一気に距離を詰めてくる。後ろの少女は僕の両肩に手を置いて、僕の身体をがっちり拘束していた。僕の背中に頭を付けてマッチョから身を隠しているらしい。マッチョと少女がグルとは思えないけどこのブロンドは最悪だ。最低だ。洋画でなくてもブロンドの女に近付いてはいけないと心に刻まなくてはならない。
しかし、この状態が僕にとって都合のいいものであるのもまた事実だった。どうせ僕にはそれほど害にならないとは分かっているが薄目にする。代価は【灼刃】のスクロール、魔術回路は僕自身、生み出すのは光の球。全てを注ぎ込むつもりで魔術を発動させる。
スクロールが突如として弾けるように霧のようになって消える。否、スクロールが魔術に使用される魔力へと変わって視覚とは別の感覚で認識されるようになっただけだ。その霧状の魔力は収束する事無く瞬時に僕の望んだように閃光を放った。




