ここは僕に任せて先に行け
ルッツが言うには、本来【光球】と称される魔術は暗い所を照らす汎用性の高い日常的な魔術だそうだ。例えば街燈や部屋の明かりには【光球】の魔術回路の刻まれたメダルやプレートが使われ、人々の生活から闇を取り払った。また探索者や冒険者と呼ばれる人にとっても、光の差さない洞窟や遺跡を安全に進むための無くてはならない魔術であるようだ。穏やかな光源として【光球】はこの世界の人に受け入れられている。
しかし、そんな魔術であったとしても過剰な魔力を用いて発動させたら危険なものに変わるのだ。今、僕が使った魔術がまさに【光球】であって【光球】でない魔術だった。
「Ahhhhh!」
すぐに光量に慣れた僕の視界には、ナイフを腰に溜めて構えていたマッチョが蹲ったのが見えた。光に目を焼かれたのだろう。マッチョは目を守るようにナイフを持っていない手を翳したが、既に光を見てしまったのなら視界が戻るのは時間が掛かるだろう。
「…………うう、目がぁ」
スクロールを代価とした【光球】は光のみならず熱さえももたらした。マッチョを見逃さないように薄目を開けていた僕は眼球にじりじりとした感じを覚える。周囲には埃を燃やした時の焦げ臭さが漂う。僕の身体に見た目の変化はない。ただ、服の前面が熱を持っているのは感じる。マッチョにしても軽い日焼けのような赤さがあるがそれだけだ。
ルッツは僕に魔術を扱わせる時に、長時間に渡って少しずつ魔力を消費するような練習をさせていたけど理由が分かった。【火灯】という魔術を暴発させた日には大変な事になる。きっと火柱が立ち上る事だろう。
「ねえ、今の、なに……」
「ただの【光球】だよ。目が眩んで動けないはずだから逃げよう」
「うん、逃げるっ」
悪意もなく僕を拘束していた少女は逃げ出すのがとても早かった。怯えで強張っていたのは何だったのか。脱兎の如くという言葉を体現するように、まるで跳ねるかのように僕を離して走り去る。置いてかれてはたまらないし、道を引き返したところでもう一人いるのだ。僕に何が出来るという訳でもないけど、まだ名前も知らない少女の背中を追いかける。
脇目も振らずに逃げ出した少女は、時間にして十秒も経たずに足取りが遅くなり歩き始める。行き止まりに着くまでにも走っていただろうし、それほど体力もあるわけではないだろう。疲れとは無縁の僕が彼女に並ぶのはそれほど難しくはなかった。
「ねえ、君って……魔術師なの?」
少女は息を乱しながらも足を止めずに僕に問い掛けてくる。
「魔術師って言うのがどんな人を指すのかは分からないけど、魔術は少しぐらいなら使えるよ」
「すごいのね。あたしなんて魔道具じゃないと使えないもの。あ、でも魔法は使えるのよ」
「へえ、そっちの方がすごいんじゃないのかな」
僕の中では理論が不明だけど体系が出来上がっているのが魔術であり、体系も何もあったものではないのが魔法であると理解している。魔法の模倣が魔術であると、ルッツも言っていた。魔法は魔術の祖とも言えるはずだ。
「どんな魔法か聞いていい?」
「うん! 願い事が叶う魔法よ!」
是非とも世界平和を願ってほしいものだ。
「どんな事でも叶うの?」
「ううん、この前はニンジンを食べたくないって願ったのにお母さんに食べさせられた」
「それは願い事じゃなくて我侭じゃないかな……」
「あなたもお母さんみたいな事言うのね。大人みたい」
一応、これでも中身は高校生だからこの子よりは長生きしてる訳だ。ブロンドの少女は見た感じは小学生の高学年のように見えるが、発育がいいだけで実際にはもっと幼いのかもしれない。そう考えると、この子が僕から受ける印象が大人びているというものでも仕方がないだろう。
「あ、忘れてた。ありがとうございました」
「……うん、どう致しまして」
お礼の言える子は嫌いじゃない。この子はいいブロンドだ。
「あたしね、アンネローゼ・エンゲルスって言うの。アンネでいいわ」
「僕はエミ・キスケ」
「よろしくね、エミ!」
「うん、こちらこそアンネ」
いったい何をよろしくするのか分からないけど、僕はブロンドの少女改めアンネと握手を交わした。僕の方は外出を控えるように言われているし、コホレアから少々離れた小高い丘にヴィルダーロッター家があるので付き合いはそう濃いものにはならないだろう。
「じゃあ、まずはさっきみたいに魔術でバーンってやっちゃってよ!」
「……なるほど、つまり、そういう事か」
僕とアンネが歩く先には、ぎこちなく歩く男の姿があった。手を優しく股間に添えて、労わるような歩みだ。その手も打ち身で赤くなって痛々しい。更に頬を腫らしているので、自業自得とは言えとても気の毒だ。
男は僕がアンネより先んじて近付くと、腰を引いたまま構える。先ほどのような侮りはないが、同時に男は覇気も失ってしまっていた。男は僕に対して怒りではなく恐れを抱いたらしい。しかし僕らが対峙しているのは裏道なので、人が二人も並べば塞がってしまうような幅だ。男は壁としてはしっかりと役割を果たしている。
「アンネ、たぶん君だけなら通してくれるよ」
「えっ、嫌よ。捕まっちゃう……」
「捕まえようとしたら僕が助けるから」
僕の言葉に男の股がきゅっと締まる。男の内股は見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
「アンネ、早く」
僕が急かすとアンネは僕の横を抜け、そして男の横を抜けて走り去っていく。途中で振り返ったけど、僕が首を横に振るとすぐに駆けて行った。
後に残ったのは戦意を喪失しているけど僕の前に立つ男。魔術の代価になりそうなものはもうない。まさか服やウィッグを代価にするわけにもいかないだろう。朝食は既に吐いた。
しかし代価になりそうな物はないけれど魔力ならばある。魔力は自動人形である僕が動くエネルギーみたいなものだ。電池が無くなるみたいに魔力切れにはならない事を信じよう。




