咎人1
人狼。
古くから人々は俺達一族をそう呼び、森の守り神として崇めてきた。
俺達は狼の姿をしているが、狼ではない。
人の姿に変化することもできるが、勿論、人間ではない。
だが、獣としても人間としても生きる事ができる特性故に、俺達には一族に伝わる任務があった。
それは、人間界と森の調和を守る事。
人間は俺達を恐れ敬う内は、森の中で無闇に動物を殺したりしない。
彼らだって生きる為には、多少の殺傷は必要だ。
必要最低限の狩猟を森の中でする事には、俺達は手を出さない。
だが時折、神をも恐れぬ野蛮な人間が出没する。
つまり神聖なる森の中で、明らかに食用以上の殺戮をしていく者。
そういう野蛮行為をしていく人間を人狼一族は咎人と呼ぶ。
咎人が現われる度に、森の守り神の名に於いて、その者を処断しなければならない。
それも見せしめになるような、なるべく残虐な方法で。
人狼一族の中じゃまだ若い部類の俺は、いつもそういう役割を負わされていた。
最初に咎人を処断したのは、俺がまだやっと人間の姿に変化する事ができるようになった頃だ。
「咎人が出た。今日はお前が処断しに行け」
俺がまだ犬っころみたいに兄弟とふざけ合ってた時、人狼一族の長老が俺に言った。
何年生きてるかもう誰もしらない長老は、真っ白な毛並みの痩せた老狼だ。
涙が溜まった魚みたいな目を瞬かせて、長老はヨロヨロと俺の元にやって来た。
「俺が?咎人を処断する?」
体だけは既に一人前以上の大きさだった俺だが、頭はまるっきり子供のままで、長老にそう言われた時も莫迦みたいに舌を出してハッハッと息をしながら首を傾げた。
「そうだ。人狼一族に課せられた大切な仕事だ。我々はこの役を一人前に全うして、初めて人狼として森の守り神として認められるのだ」
まだ子供だった俺は、一人前にも守り神にもなりたいとは全く思ってなかったが、先の短そうなヨボヨボな長老に掟だ!と脅されて仕方なく頷いた。
その時の事・・・、つまり初めて人間を殺した時の事はよく覚えている。
初めての処断に参加する俺を、経験値の高い年上の人狼が先導してくれた。
俺は先を走る年上狼の後姿を見失わないよう必死で走った。
人狼一族が暮らす原生林には、普通の人間は手を入れないし、足を踏み入れる事もしない。
人間が狩りをする領域は昔から暗黙の了解があるらしく、こちらの領域にまで侵入して来る者はいない筈だ。
人の手が入らない森は険し過ぎて、まず領域を超える事が困難だろう。
なのに、今回の咎人は人間の領域を完全に踏み越え、俺達の縄張りで雉を獲っていた。
ヤツに気がつかれないよう、俺達は大きなブナの木の後ろに素早く身を潜める。
初めて見た本物の人間の姿に、俺は思わず立ち竦み息を呑んだ。
人間にしてはかなりの大型の男だ。
日焼けした褐色の肌と張り切れんばかりの筋肉に覆われた体。
上半身は裸で腰に粗末なボロ布だけ巻いている。
鳥の巣みたいにボサボサとした金色の髪は肩まで垂らされ、同じように顔を覆う金色の髭と一体化して、どこから首が始まっているのかよく分からない。
だが、その足元に大きな麻袋が5つばかり転がされているのを見て、俺の単純な頭に血が昇った。
白かった筈の麻袋はドス黒い血が固まった色に変化している。
その中には、まだ殺されたばかりの何羽もの雉が、まるでごみのように纏めて突っ込まれていた。
その袋が5つ。
食用目的の最小限の狩猟とは到底見なされない。
「おい、見ての通り、あの男が今回の咎人だ。もう何度もここまでやって来ては無駄な殺生を続けている。お前は守り神の名の元、あの男を処断しろ。いいな?」
俺を先導してきた黒い毛並みの狼は、口を開けてペロリと鼻先を舐めた。
まるで、本当は自分がやりたかったのに、と言わんばかりだ。
俺だって本当は代わって欲しいくらいだったが、今回は自分の大人への儀式なので仕方ない。
俺は黙って頷いて、ブナの木の影から身を躍らすと、男の背中目掛けて飛び掛った。
大柄な人間とは言え、こっちは牛くらいの大きさの狼だ。
背中から不意打ちを食らわされた男は、顔面からぶっ倒れた。
そして、男がこっちを振り返る隙を与える間もなく、俺はその首を後ろから噛み砕く。
男の骨がバキバキッと砕ける音が俺の喉に響いて吐き気がした。
多分、男は自分が何をされたか分からないまま死んだだろう。
呻き声一つ上げないまま、男はぐったりとして動かなくなった。
「こんな殺し方じゃダメだ。もっと苦しめなきゃ何の見せしめにも処罰にもならん」
男が息を引き取ったのを見届けた黒い狼は、不満そうに鼻を鳴らした。
「要は殺せばいいんだろ?どうして苦しめる必要がある?」
「お前はまだ人間の本性を知らないんだ。こいつら、本当に痛い目に合わなきゃ全然懲りないんだよ。俺だったらバラバラに噛み千切ってから、見せしめに村までお返しするがな」
苛ついた仕草で体をブルンと一振りしてから、彼は俺を置いてさっさと走り去った。
俺はこの仕事はあまり好きじゃなかった。
だけど、何年か過ぎた頃には『咎人の処断』は俺の『役割』になってしまったのだ。




