軍人
「ね、安くするから。あたしの店、この露店の裏なんだよ」
その女は、金色の髪の毛を腰の辺りまで伸ばしていて、話す度にサラサラ流れ落ちる滝のように波打った。
不思議な事に、ルアナと同じ人種の女にしては、例の麻袋を被っていない。
真紅の薄い布で体を巻いて、胸元で大きく結わえている。
角のない白い肩の曲線が、滑らかに体に繋がっている。
そして、真紅の布で押さえ込まれた豊満な二つの膨らみ・・・。
怖いくらいに真っ白な顔は丸々と肉付きが良くて「食ったら上手そうだ」と俺の中の狼の血が野生の本能を呼び起こす。
こんなに脂の乗った動物は、森では食べたことがない。
唾液が口内に充満するのを感じながら、俺は女に聞き返した。
「安くするというのは金を取るのか?あんたは何売っている?」
「何をだって?野暮な事聞くんじゃないよ・・・ここで女が売ってるものなんて決まってるだろう?」
女は上目使いに俺を見上げて、腕に巻きついてくる。
むせ返るような百合の香りと、何やら粉っぽい匂いが鼻について、俺は思わずクシャミをした。
女は気にする事なく、その俺の腕の体毛を弄りながら、甘い声で猫のように鳴いた。
それがくすぐったいのと、背中に変な寒気を覚えて、ゾクっと肌が粟立つ。
「悪いけど、俺はこの国のモノではない。あんたがここで何を売っているのか良く分からない」
「どんだけウブなのさ。しようがないね。じゃ、手っ取り早く教えてやるよ。初回だから金1枚でいいわ。その代わり、また来るんだよ」
俺の体に枝垂れ掛かってきた女を、俺は必死で受け止めた。
見掛けに違わず、すごい重量感だ。
俺一人だったら、森の二日間くらいの食料に匹敵するだろう。
「金を持ってない場合はどうする?教えて貰えないのか?」
「はあ!?なんだい、あんた文無しかい!それならそうと先にお言いよ!無駄働きする所だったじゃないか!」
女は俺の言葉を聞くや否や、たった今までもたれて来ていた俺の胸をいきなり両手で突き飛ばした。
勢いで後ろによろめいた俺の背中が、ドン!と誰かにぶつかる。
慌てて振り向くと、俺の後ろには真っ青な軍服を着た兵隊の集団がダラダラと歩いていくところだった。
俺がぶつかったその軍人は、汚いものにでも触れたかのようにあからさまに顔をしかめた。
「おのれ!浮浪民の分際で無礼な・・・!」
ドスの利いたしゃがれ声でそう怒鳴ると、腰に下げた剣の柄に手を掛ける。
俺の後ろで、さっきの女が耳を劈くような悲鳴を上げ、軍人を囲んでいた男達からどよめきが起った。
野生の勘で殺気を感じ取った俺は、軍人の剣が鞘から離れたと同時にすばやく飛びのき、振り下ろされた剣の間合いから間一髪、逃れる。
軍人の剣先は弧を描いて宙を切った後、勢い余って地面に突き刺さった。
「貴様!避けたな!?」
「・・・?ああ、避けたけど?」
「浮浪民の分際で生意気な・・・!」
「フロウミンが何かはよく分からないが、俺はそれじゃない。ここには昨日、来たばかりだ」
「な、何だと!?屁理屈を抜かすか!?」
軍人は、不健康そうな下膨れの顔を真っ赤にして、目を血走らせている。
露店を眺めていた人間達が騒ぎを聞きつけてワラワラ集まってきた。
なんだか面倒な事になったな・・・。
人間の姿をしてても、基本精神は野生動物。
故に、目立つ事が大嫌いな俺は、周りの人だかりがどんどん大きくなるにつれて、落ち着きを失くしていった。
ここで俺が頼れる人間と言ったら、ルアナしかいないのだが・・・。
無意識に彼女の姿を探して、俺はキョロキョロと目だけを懸命に動かす。
その時、人だかりの一角が大きく波打ちざわめきが起った。
「アスラン!おい!お前、何やってんだ!?」
キンキン響く聞き覚えのある声がして、人の波を掻き分けるようにルアナが飛び出して来た。
剣の先を地面から引っこ抜こうと悪戦苦闘している軍人と、とりあえず身構えて臨戦態勢に入っている俺の真ん中に立つと、俺を守るようにバッと細い両腕を広げる。
その両腕を広げた後姿は、儚いのに力強い白鳥みたいに綺麗で、俺は緊迫した状況も忘れて一瞬、
見惚れてしまった。
だが、それは本当に一瞬だった。
次の瞬間、ルアナの拳がガツン!と音を立てて、俺の頭に直撃した。
「ばかやろう!何やってんだ!早く謝れ!」
俺の頭をグイっと地面に押し付けて座らせると、ルアナもガバっと跪いて頭を地面に擦り付けた。
俺を突き飛ばした張本人である女も、真っ青になってその場に座り込むと、同様に地に頭をつけひれ伏す。
意味が良く分からないまま、俺も二人の真似をして慌てて頭を地面につけた。
「フン!少しは話の分かるヤツがいるようだ。おい、この無礼な男は貴様の連れか?」
ようやく地面から引っこ抜いた剣を鞘に収めながら、軍人は鼻息荒くルアナに向かって言った。
「はい、申し訳ございません。生まれつき頭が弱い故、物事のしきたりが理解できない兄でございます。今回の無礼は何卒お許しくださいませ・・・!」
ルアナは地面に額を擦り付けながら、血を吐くような声でそう言った。
頭が弱いと言われた俺は、少しムカッときたが、怖い程のルアナの真剣さにたじろぎ、ただ、黙って地面に這い蹲る。
軍人は、ルアナの声を聞くと、ハッとしたように眉を上げた。
「お前は、処刑人のルアナか?」
「・・・はい」
「この男はお前の兄と言ったか?」
「はい。そうは言っても腹違いでございます。ご覧のように頭が弱い為、常は外を出歩かせないように閉じ込めておりましたものを、今日は脱走してしまいました」
ルアナの謙った態度に気分を良くした軍人は、取り巻きの男達に目配せして「散れ」と言うように顎をしゃくって見せた。
軍人の集団はそれを合図に先に歩みを進め、俺達の周りを囲んでいた野次馬どもも蜘蛛の子を散らすように一斉に引いていく。
「処刑人の貴様の顔に免じて今回は見逃してやる。頭の弱いその男をしっかり繋いでおけ!」
吐き捨てるようにそう言い残してから、軍人はクルリと背を向け、集団の後を追うように足早に去って行った。
後には、完全に脱力して地べたに座り込んでいる俺達3人が残された。