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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第40話:海外出張、規模がおかしい

いよいよ十字軍です( ˘ω˘ )

1147年、夏。

シテ島の王宮を出て、東へ向かう軍勢に合流した私は、目の前に広がる光景を見て、

しばらく口を閉じることができなかった。


「……何これ」


私の脳内にあった「十字軍の出立」のイメージは、せいぜい映画のワンシーン程度だった。


甲冑を磨き上げた騎士たちが赤い十字の旗を風になびかせ、数百人くらいで颯爽と馬を駆けていく。

勇壮な音楽でも流れていそうな、中世ファンタジーのオープニング映像。


現実は、まるで違った。


「人、人、人、馬、荷車、聖職者、従者、牛、豚、荷車、天幕、武具、食料……そしてまた人!?」


見渡す限り、人間と物資の海だった。


どこまでが一つの部隊で、どこからが別の一団なのかも分からない。土煙が空を覆い、

軍馬の嘶きと荷車の軋む音、家畜の鳴き声、聖職者たちの祈り、

商人や従者の怒鳴り声が混ざり合っている。


耳も目も情報量が多すぎる。


「これ軍隊じゃなくて、移動する町じゃん!!!!」


思わず叫んだ私に、聞き覚えのある陽気な声が飛んできた。


「公爵様! アキテーヌの諸侯も揃っておりますぞ!」


豪快な笑い声と共に馬を寄せてきたのは、見慣れた南の騎士だった。

その後ろには、アキテーヌの紋章を掲げた騎士や従者、荷を積んだ馬や車が延々と続いている。


私は思わず目を細めた。


「……ちょっと待って。これ、私のところからもこんなに来るの?」


「当然でしょう! 我らが女公自ら十字架を取り、聖地へ赴かれるのです。

アキテーヌの騎士が留守番などしていられますか!」


「いや、私、もうちょっとこう……慰安旅行くらいの規模感で考えてたんだけど!?」


「いあんりょこう? よく分かりませんが、南の騎士の意気地を存分に見せてやりましょうぞ!」


違う。そうじゃない。


私は、ずらりと続く人と馬と荷物を見回した。


このアキテーヌ勢だけでも、食料がいる。

馬の飼料もいる。

宿営地もいる。

装備の補充もいる。

怪我人が出れば薬も必要になる。


当然、金もかかる。


「……これ、少なくともこっちの遠征費は、うちの財布から出るんだよね」


一気に目眩がした。

前世で見た経費精算書の束が、脳裏に鮮明に蘇る。


「誰か予算表持ってきて……」


もちろん、この時代に私の欲しい形の予算表など存在しない。


そんな私の横へ、白馬に乗ったルイが静かに並んだ。

その顔を見て、私は思わず二度見した。


胸元には、十字軍へ参加する者であることを示す十字。

ヴィトリーの惨事以来、ずっと死人のようにやつれていた頬には血色が戻り、

目には久しぶりに強い光が宿っている。


「……なんでお前だけ、遠足前日の小学生みたいな顔してんの?」


「ついに出発ですね」


ルイは、妙に晴れやかな顔で答えた。


「主の御前で、私たちの信仰が試される時が来ました」


清々しい。

あまりにも清々しい。

つい最近まで食事すらまともに取らず、礼拝堂で死人のような顔をしていた男とは思えない。


国内で大不祥事をやらかした経営者が、ついに「自分を見つめ直す旅」へ出発する瞬間みたいな

無敵の前向きさである。


こっちは胃が痛い。

というか、さっきから普通に吐きそうだ。


「メンタルの落差で風邪ひきそうなんだけど……」


「何か?」


「なんでもない」


やがて角笛が鳴った。


ひとつ。

それに応えるように、別の場所からまたひとつ。


巨大な軍勢が、ゆっくりと動き始める。

馬の蹄が大地を叩き、荷車が軋み、人々の声が波のように連なっていく。

一つの軍隊というより、本当に町そのものが移動しているようだった。


私も馬を進める。

少しして、ふと後ろを振り返った。


見慣れ始めていたパリの町並みが、少しずつ遠ざかっていく。


数年前、初めて北へ連れてこられた時。

空は灰色で、寒くて、道は狭くて。

料理もワインも口に合わなくて。

姑には睨まれて。

こんな陰気な場所で暮らすなんて絶対に無理だと、本気で思った。


それなのに。

今は、その町が少しだけ恋しく見えた。


自分でも不思議だった。


「……帰ってくるんだよね、これ」


思わず、小さく呟く。

誰に聞かせるつもりもなかった。


けれど、隣を進んでいたルイは、その声を聞き取ったらしい。


こちらを向く。

一瞬だけ目が合った。

以前ならすぐに逸らしていたその視線を、今度は少しだけ長く留めたまま、ルイは穏やかに笑った。


「もちろんです」


声には迷いがなかった。


「主の加護のもと、必ず聖地への務めを果たし、共にこの地へ帰りましょう」


私はその言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。


「……そっか」


そう答えて、もう一度前を見る。


東へ続く道。

果てが見えないほど連なる人と馬。

そして、その先にあるという聖地。


この時の私は、まだ思っていた。


大変な旅にはなるだろう。

でも、

最後には、ちゃんとここへ帰ってくるのだと。

ルイと一緒に。


……その力強い約束を私は、まだ信じていた。



※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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