第181話:話し合いは済んだな?(※何も決まってない)
結局こうなるみたいな。
ルーアン、公爵宮殿の一室。
重い扉が勢いよく開いた。
「おお、二人とも揃っているな!」
入ってきたのは、ヘンリー二世だった。
その声に、テーブルを挟んで向かい合っていたジェフリーとジョンが、
ほとんど同時に肩を跳ねさせる。
少し前まで二人は、
「今日は平穏が欲しい」
「僕もです」
という、非常にささやかな合意に達したところだった。
それ以上のことは何も決まっていない。
本当に”何一つ”。
だがヘンリー二世は、そんな二人の顔を見るなり満足そうに頷いた。
「うむ。手紙は読んだな?」
「はい」
ジェフリーが答える。
「兄弟でよく話せとも書いておいたが」
ヘンリーは二人を見比べた。
「その様子なら、十分に話し合いは済んだようだな」
ジョンが目を見開いた。
すぐ隣のジェフリーを見る。
何か話しただろうか。
いや、話はした。
だが、内容はほぼ、
「父上の別案、嫌な予感しかしませんね」
「そうだね」
である。
ジェフリーは、少し間を置いてから答えた。
「……平穏が一番ですね、というところまでは」
「そうか!」
ヘンリーが明るく頷いた。
「将来の安定について意見が一致したか。結構!」
ジョンが小さく口を開いた。
閉じた。
そして、もう一度開いた。
「……兄上」
「うん」
「今、言葉の意味変わりませんでした?」
「変わったね」
ヘンリーは聞いていなかった。
すでに卓上へ大きな羊皮紙を広げている。
「さて」
その一言でジョンの胃が、きゅっと縮んだ。
来る……
別案が。
「リチャードについては、今すぐポワトゥーを動かす必要はない」
ヘンリーは地図へ指を置いた。
「本人があそこまで譲らんというなら、当面はそのまま治めさせればよい」
ジェフリーが少しだけ眉を上げる。
以前よりは、現実的な判断だった。
「問題はジョンだ」
ジョンがびくっとする。
「やっぱり僕!?」
「お前以外に誰がいる」
「いえ、そうなんですけど!」
ヘンリーは気にせず続けた。
「お前はまだ若い。だからこそ今のうちに、実際の統治を学ばせる必要がある」
ジョンは嫌な予感を隠さず、隣の兄を見る。
ジェフリーも、すでに何かを察している顔だった。
「そこで」
ヘンリーが三男を見る。
「ジェフリー」
「はい」
「しばらくジョンをお前のもとへ置け」
「…………」
ジェフリーの顔から表情が消えた。
「僕のもとへ?」
「ああ」
「ブルターニュに?」
「そうだ」
ジョンが慌てて口を挟む。
「父上、僕、何しに行くんですか!?」
「統治を学ぶ」
「誰から?」
「ジェフリーからだ」
「兄上に聞いてませんよね!?」
ヘンリーが怪訝そうな顔をした。
「今聞いている」
ジェフリーが静かに息を吐いた。
「父上」
「何だ」
「これは相談ですか?」
「もちろんだ」
「僕が嫌だと言ったら?」
「理由を聞く」
「それでも嫌だと言ったら?」
ヘンリーは少し考えた。
「説得する」
ジェフリーは目を閉じた。
ジョンが小声で呟く。
「……断れるやつじゃない」
「僕もそう思う」
ヘンリーが不機嫌そうに二人を見る。
「何をこそこそ話している」
「いえ」
ジェフリーは目を開けた。
「確認していただけです」
「何を」
「相談という言葉の意味を」
「何だそれは」
「こちらの話です」
ヘンリーはそれ以上追及しなかった。
地図の上へ視線を戻す。
「ブルターニュをジョンに与えると言っているわけではない」
その言葉に、ジョンが少しだけ安心する。
「本当ですか?」
「何をそんなに怯えている」
「前回の経験からです!」
「私はお前のためを思って」
「その言葉が一番怖いんです!」
ヘンリーの眉間に皺が寄る。
ジェフリーが咳払いした。
「父上。とりあえず続けてください」
「うむ」
ヘンリーは少し不満そうだったが、話を戻した。
「ジョンには、領地経営がどういうものか実際に見せる。
収入がどこから来るのか。諸侯とどう折り合うのか。争いをどう裁くのか」
「……なるほど」
ジェフリーが答える。
それ自体は、理屈としておかしくない。
むしろ何の経験もない末弟に、いきなり領地を持たせるよりはずっとましだ。
「お前なら、その辺りを教えられるだろう」
ヘンリーが言う。
ジェフリーは少しだけ黙った。
評価されている。
そのこと自体は分かる。
父親は、自分がブルターニュをちゃんと治めているからこそ、
ジョンを預けようとしている。
だから、単純に腹を立てる気にもなれない。
「……期間は?」
「まだ決めていない」
「役目は?」
「まずは見るところからでよい」
ジョンがほっと息を吐く。
「見るだけ……」
「もちろん、そのうち実際に何か任せる」
「やっぱりあるんじゃないですか!」
ヘンリーは当然のように答えた。
「何もさせずに学べるものか」
「段階を踏んでくださいよ!」
「だから段階を踏むと言っている」
「父上の段階、時々三段くらい飛ばすんですよ!」
ジェフリーが思わず口元を押さえた。
ヘンリーがそちらを見る。
「何だ」
「いえ」
「笑ったな」
「笑ってません」
ジョンが兄を見る。
「今笑いましたよね?」
「笑ってない」
「リチャード兄上と同じこと言ってる!」
「兄弟だからね」
一瞬だけ部屋の空気が緩んだ。
だが、ヘンリーはすぐに本題へ戻った。
「とにかく」
二人を見る。
「ジョンは一度ブルターニュへ行け。ジェフリー、お前は面倒を見ろ」
ジェフリーが問い返す。
「父上」
「何だ」
「まだ僕、了承したとは言ってませんけど」
「そうだったか?」
「そうです」
「では、どうだ」
ようやく本当に聞かれた。
ジェフリーは少し考える。
ジョンも、固唾を飲んで兄を見る。
「……条件があります」
「言ってみろ」
「ジョンをいきなり誰かの上に置かないこと」
「うむ」
「僕の家臣に勝手な命令を出させないこと」
「分かった」
「あと」
ジェフリーはジョンを見る。
「本人が嫌がったら、一度は理由を聞くこと」
ヘンリーが微妙な顔をした。
「必要か?」
ジョンが即座に叫ぶ。
「必要です!!」
ジェフリーが肩をすくめる。
「だそうです」
ヘンリーはしばらく息子二人を見た。
やがて
「……分かった」
ジョンが目を丸くした。
「本当に?」
「何だその顔は」
「いえ……」
一瞬、本当に話し合いが成立した気がした。
ほんの一瞬だけ。
「では決まりだな!」
ヘンリーが立ち上がる。
「手配を進める!」
ジョンが慌てた。
「待ってください! 僕まだ行くって」
「嫌なのか?」
「いや、その……」
”見るだけ”
いきなり領地を押しつけられるわけでもない。
ジェフリーの下なら、少なくとも兄は自分の話を聞いてくれる。
リチャードとの間に放り込まれるよりは、はるかに安全そうだった。
ジョンは迷った末に、小さく答えた。
「……行くのは、まあ」
「では決まりだ!」
ヘンリーは満足げに頷いた。
そして、来た時と同じように勢いよく部屋を出ていった。
扉が閉まり、あたりに静寂が戻る。
ジョンがぽつりと言った。
「……僕たち、今ちゃんと話し合いました?」
ジェフリーはしばらく扉を見つめていた。
「前回よりは」
「前回よりは……」
ジョンは椅子へ深く座り込んだ。
ジェフリーも、自分の手元に残った父の手紙を見る。
悪意はない。
こちらの条件も、今回は一応聞いた。
それでも、最初から父親の中には
「ジョンをブルターニュへ置く」という答えがあった。
「……兄上」
「何?」
「父上って」
ジョンが言葉を探す。
「僕たちに相談してるんですかね」
ジェフリーは少し考え、そして苦笑した。
「相談というより」
一度言葉を切る。
「自分の答えに、僕たちがどこまで頷けるか確認してるんじゃないかな」
ジョンは遠い目をした。
「……やっぱりチェス盤じゃないですか」
「前よりは、駒の意見も聞くようになったよ」
「それ、喜んでいいんですか?」
「さあ」
ジェフリーは肩をすくめた。
「でも」
ジョンを見る。
「今度こそ、本当に二人で相談しようか」
ジョンは力強く頷いた。
「はい」
さっきまではただ平穏が欲しいと言っていただけだった。
だが今度は違う。
父親から差し出された新しい配置案を前に
三男と末弟はようやく、自分たちの意思でどう動くかを考え始めることになった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




