第1話:明日の朝は来たけれど
さて。個人的にはとても好きな王妃様なのですが、うまく書けるといいな。
せめて毎日PV0にはならなければいいなぁ。。。_| ̄|○
熱は、たしか四十度近かった。
仕事を終えてヘロヘロになって帰宅し、震える手で体温計を脇に挟んだ。
表示された数字を見て、私は絶望した。
一人暮らしのアラサーOL、二十八歳。
インフルエンザ級の高熱は、ほぼ遭難事故である。
水を飲まなきゃ、とは思った。
でも、布団から出て冷蔵庫まで歩くどころか、這っていくのすらしんどかった。
――明日の朝になったら、病院へ行こう。
そう思って毛布を頭まで被り、目を閉じた。
そこまでは、はっきり覚えている。
そして
明日の朝は、どうやら無事に来たらしい。
ただし。
私の知っている朝ではなかった。
「……みじゅ……」
声が掠れた。
喉が砂漠みたいにカラカラだ。
身体は鉛でも詰め込まれたように重いし、頭もまだズキズキ痛む。
枕元を探ってスマホを――と思ったけれど、手はシーツの上を空しく滑った。
スマホどこ。
救急車、呼んだっけ。
いや、そもそも私、病院まで辿り着いたんだっけ。
うっすらと目を開ける。
知らない天井だった。
――いや。
正確には、これを天井と呼んでいいのかどうかすら怪しい。
やたら高い。
暗い。
黒ずんだ太い梁が、むき出しになっている。
そして何というか。
全体的に、薄汚れている。
ホテルではない。
病院でもない。
少なくとも、昨日まで私が暮らしていた家賃六万二千円のワンルームでは絶対にない。
「……ここ……?」
起き上がろうとして、私は自分の腕を見た。
白い。
細い。
それより何より。
「……ちっちゃ……」
手が、めちゃくちゃ小さい。
おまけに袖が長い。
いや、袖というか、これ、服どうなってる?
寝巻き?
ワンピース?
それともコスプレ?
「アリエノール様!」
突然、横から声が飛んできた。
「ひゃっ!」
私はびくっと肩を跳ねさせる。
見ると、知らない女の人がいた。
若い。
たぶん二十代半ばか、それより少し下くらい。
ただし、その格好はどう見ても現代人ではなかった。
足元まである地味な色の長い服。
頭には白い布。
しかも、私を見る顔が尋常ではないほどほっとしていて、目には涙まで浮かんでいる。
「よかった……! お目覚めになられたのですね!」
「……?」
「アリエノール様?」
誰。
私は思わず辺りを見回した。
他に誰かいるのかと思ったけれど、薄暗い部屋にいるのは私と彼女だけだ。
女の人は完全に私を見ている。
「……わたし?」
「はい?」
「あり……?」
うまく言えない。
舌が回らない。
なんだこれ。
「アリエノール様ですよ」
女の人は、困ったように笑った。
そして私は思った。
あ。
これ、あれだ。
ネット小説とかで最近よくあるやつ。
死んだ。
転生した。
貴族令嬢になった。
しかも名前の響きからして、たぶん外国。
なるほど。
Web小説仕込みの知識で、私は即座に理解した。
――たぶん、異世界転生だ。
『アリエノール』
誰だ?
その名前を、私はまったく知らなかった。
いや。
正確には、どこかで聞いたことがあるような、ないような。
アリエノール。
アリエノール。
……誰だっけ。
転生して貴族令嬢ときたら、乙女ゲームの悪役令嬢と相場が決まっている。
しかも、この身体の小ささ。
二歳か三歳くらいじゃないか?
いやでも、私、乙女ゲームなんてやったことないんだよな。
スマホでやっていたゲームも、せいぜいパズルとか暇つぶし系だ。
アリエノールなんて名前の悪役令嬢、どこかにいたっけ?
なんか、なーんか聞いた覚えがある気もする。
でも。
歴史は昔から壊滅的だった。
理系だからとか、そういうレベルではない。
高校時代、歴史分野のテストで叩き出した最高点は、たしか八点。
八点。
百点満点中である。
自慢じゃない。
むしろ黒歴史だ。
私は首を巡らせ、改めて部屋を見渡した。
乙女ゲームにしては。
こう。
背景、暗くない?
いや、中世ヨーロッパ風と言われれば、そんな気もしなくはない。
でも。
窓にはガラスが入っていない。
分厚い木の板戸が閉じられているせいで、今が朝なのか昼なのか、それすらよく分からない。
壁は石造りで、表面はゴツゴツ。
触らなくても冷たそうだ。
絨毯なんてもちろんない。
床には、乾いた草のようなものまで散らばっている。
しかも。
「……くしゃい」
思わず口から出た。
鼻をくすぐる、何とも言えない臭気。
埃っぽい。
少しカビ臭い。
どこかに獣脂みたいな匂いもある。
それを誤魔化そうとしているのか、枯れ草の匂いも混ざっている。
そして全部が混ざって、全然誤魔化せていない。
待って。
乙女ゲームのヒロインとか悪役令嬢って、もっとこう。
「ほのかに薫る薔薇の香り」とか。
「豪奢な天蓋付きベッド」とか。
そういうやつじゃないの?
これ。
どっちかっていうと、換気扇の壊れた実家の物置小屋なんだけど。
「アリエノール様、まだお熱が下がらないのですか……? ああ、神よ。
どうかこの幼子をお救いください……!」
私の怪訝な顔を見て、侍女――たぶん侍女だろう――が半泣きになり、胸の前で素早く十字を切った。
十字?
十字架?
教会?
じゃあ、宗教はキリスト教っぽい?
待て待て。
もし本当に異世界なら、そこまで地球と同じなのも変じゃないか?
私は少し考えたあと、試しに呟いた。
「しゅてーたす……」
「はい?」
侍女が固まる。
「すて……」
ダメだ。
そもそも二歳児の口でステータスが言えない。
「……ない」
「何がないのでございますか?」
「……なんでも、ない」
たぶんそう言ったつもりだった。
実際には、
「なんでも、にゃい」
くらいだった気もする。
侍女の顔がさらに心配そうになる。
まずい。
鑑定スキルもステータスオープンもなさそうだ。
というか。
改めて見ると、目の前の侍女の手はかなり荒れていた。
赤くなって、ところどころひび割れている。
爪の隙間にはうっすら汚れも残っているし、着ている服も分厚く、ごわごわした毛織物に見える。
アニメに出てくる、フリフリのメイド服とは程遠い。
「……みじゅ」
とりあえず、一番重要な要求をした。
喉が限界だった。
「お水でございますか?」
「うん」
通じた。
よし。
今の私は、二十八年間培った語彙力をほぼ失っているらしい。
泣きたい。
「まあ! すぐにお持ちいたします!」
侍女はぱっと顔を明るくし、慌ただしく部屋を出ていった。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、小さな金属製のカップがあった。
銀色というにはくすんでいる。
たぶん銀じゃない。
錫とか、そういうやつだろうか。
「どうぞ、アリエノール様」
両手で受け取って、中を覗き込む。
透明ではない。
ほんのり赤紫色をしている。
「……これ、なに?」
「葡萄酒を薄めたものにございます」
私はカップを見た。
侍女を見た。
もう一度カップを見た。
二歳児にワイン。
「……まじか」
「はい?」
「なんでもない」
いきなり文化が違いすぎる。
恐る恐る口をつけると、かなり薄い。
酒というより、酸味のある水みたいな味だった。
それでも乾ききった喉にはありがたかった。
何口か飲んで、ようやく少しだけ頭が働き始める。
魔法はない。
ステータスもない。
部屋は暗い。
なんか臭い。
侍女は本物っぽい。
そして私は、どう見ても幼児。
まず、場所を確認しよう。
「ここ、どこ?」
言えた。
短い文章なら何とかなるらしい。
侍女は一瞬、不思議そうな顔をした。
「ポワティエにございますが……」
ぽわてぃえ。
聞いたことあるような。
ないような。
ポワティエ。
どこだ。
私はさらに考える。
国。
国名を聞けば、さすがに分かる。
「……ふらんす?」
「……?」
侍女が首を傾げた。
あれ。
通じない。
「ふら……んす」
もう一度言ってみた。
やっぱり、きょとんとしている。
おかしい。
これは発音の問題か?
それとも。
まだ「フランス」という言葉で通じない時代なのか?
いや待って。
そこまで昔なの?
そこまで考えたところで、私の世界史八点の脳みそは盛大に処理落ちした。
私は薄い葡萄酒の入ったカップを握ったまま、しばらく固まった。
アリエノール。
ポワティエ。
幼児。
キリスト教。
暗い石造りの部屋。
窓ガラスなし。
そして、フランスが通じない。
何これ。
本当にファンタジーなの?
それとも。
「……ありえのーる……だれ」
私はもう一度、小さく呟いた。
もちろん。
世界史八点の脳細胞が、その答えを弾き出す気配は
今のところ、一ミリもなかった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




