第14話 帰らないで
朝7時。
アラームが三度鳴って止まった。
蒼真はベッドの上で天井を見つめていた。
任務があるわけでもない。
呼び出しが来るわけでもない。
体は治った。
なのに、何一つ戻っていなかった。
視線の先、机の上には車のキーが置かれている。
手を伸ばしかけて、止めた。
「……だせぇな、俺」
ベッドから起き上がる事も出来なかった。
ーブブッ。
スマホの通知がなった。
ゆっくりと手に取る。
麗華
本部行くなら、迎えに行くね
車の運転が出来ない配慮からだろう。
また部隊の部屋へ行っても追い返されそうだ。
今日はやめておこう…。と言うより、起き上がれない。
ーぴろん。
出勤の準備をする麗華のスマホがなる。
蒼真
今日は行かない。
メッセージを確認すると麗華は静かにスマホを机に置いた。
こんな状態の蒼真を丸1日、1人にして大丈夫だろうかと麗華は不安になった。
予定を調整して、今日は半休を取ろうか…。
有給も残っているし、いっそ私もしばらく休んで様子を見てあげたい…。
でも、蒼真はそれを望むのだろうか?
答えの出ない問で麗華の頭の中は支配されていた。
「………ぁ、ヤバい、遅刻する」
考えすぎて時間が過ぎていた。
とりあえず、仕事をしながら考えようと麗華は家を出た。
「……返信ねぇのかよ…」
ベッドから起き上がらず麗華から返信はないかとスマホを確認する蒼真。
出勤時間になるし、急いで居たのかも…と蒼真はスマホを床へ放り投げた。
「……何してんだ、俺」
起き上がりたい。
任務に戻って、破ってしまった蓮との約束の続きをまた交わしたい。
だけど、立ち上がれない。
1回の失敗がこんなにも辛いのか…。
そして、蒼真はそのまま眠ってしまった。
ーピンポン、ピンポン。
「……ん…」
一体、どれだけ寝て居たのか。
何時なのかも分からない。
スマホはどこだ…と探すと床に落ちている。
なんで床にあるんだっけ?と思いながら時間を見ようと画面を開く。
着信40件
メッセージ80件
スマホの画面には見た事のない数字が表示されていた。
「……へ?なんだこれ…」
時刻は17時半をすぎていた。
ーピンポン。ピンポン。
ドンドンドン!!
チャイムの音と玄関ドアを叩く音。
そして、微かに聞こえてくる声。
「おい、蒼真!!居るんだろ!開けろ!!」
蓮の声だ。
蒼真は怠い体で何とか立ち上がり、玄関ドアを開ける。
「お前なぁ!!」
ドアを開けた瞬間、蓮が凄い勢いで中へと入ってきた。
「メッセージも既読しねぇ、電話も出ねぇで何してんだよ!!」
勢いのまま、蓮は蒼真の胸ぐらに掴みかかっていた。
「…いや、ちょっ…!寝てた…多分」
間抜けな返答をする蒼真は蓮は大きなため息をつく。
「…東雲さんが心配してんぞ」
「麗華…」
蓮の後ろには麗華が立っていた。
良かった…とぽつりと呟く麗華は不安そうな顔から少しほっとした顔になる。
「もう…電話出ないから様子見に来たくても、よく考えたら私、蒼真の家知らないし…黒瀬くんに頼んだんだよ…」
「……あ…」
「なんで半年以上付き合ってんのに、家教えてねぇんだ、お前」
蓮がまた、ため息をついた。
本当にそういう所だぞ。と睨みつけてくる。
「…いや、俺が麗華送ってたから…ここに来る事なかったし…昨日もタクシー別々だったし…」
「ったく…先輩達も電話とメッセージ入れてるからな、返信するなり電話するなりしとけ、今すぐ。俺は本部に戻る」
「黒瀬くん、ありがとう」
蓮は途中で抜けて来たようでそれだけ言うと帰って行った。
このスマホの異常な着信件数とメッセージはそういう事か…と蒼真はようやく理解した。
「…ぁ、ごめん…上がって…」
ぼーっとスマホを見ていて蒼真は麗華を玄関に立たせて居ることを忘れていた。
すぐに中へ案内する。
ソファーにとりあえず座ってて。と伝えると、自分はベッドへ戻り、寝そべりながら先輩達へメッセージを返した。
電話は怒られそうで怖かった。
……鷹宮隊長まで、電話してきてる。
隊長だけはメッセージがない。
意を決して、電話を掛けた。
ープルル…。
『おう、やっぱ生きてたか』
ワンコールで鷹宮が電話に出て、蒼真はびくりと肩を揺らした。
「……俺、死んでると思われたんすか…」
『そりゃ、1日連絡取れなきゃ、そう思われる』
それもそうか…と蒼真は反省した。
「明日は行きます。今日はすいませんでした」
「いや…こんな時に話すのもなんだが…天音の総統解任に幹部共が動き出してる。俺と天音と橘はお前を責める気は一切ない。だが、今回の任務で幹部が騒いでてな…若手を集めたのが悪いやら、自分の息子に責任があるのに擁護してるだの…逆にお前、今は出てくるな。幹部共の餌食にされて潰される可能性あるぞ』
「……マジすか…」
「状況が落ち着くまで休んで回復に専念しろ。但し、連絡は必ず取れるようにする事!いいな?」
「……了解です」
意外と怒られず良かったと蒼真はほっとした。
「終わった?」
そして、また忘れてしまっていた麗華の存在。
「……ごめんなさい…」
「大丈夫。ご飯、食べてないでしょ?キッチン借りるね」
そう言うと麗華は立ち上がり、キッチンへと向かった。
確かに寝ていて何も食べてはいなかった。
でも、空腹を感じない…。
いや違う、食べられない。
「ごめん…麗華、食べたくない…冷蔵庫に水あるかさ…それくれ」
「……」
麗華は何も言わず冷蔵庫から水を取り出し、手渡した。
冷たい水が蒼真の喉に流れ込む。
カラカラになっていた喉が少し潤った。
「…幹部が騒いでるらしくて…状況が落ち着くまで、出てくるなって…」
蒼真は鷹宮から受けた指示を麗華へ伝えた。
「……あのね、私もしばらく休みを取ったんだ。2人でゆっくりしよう?」
1日悩んだ結果だった。
連絡が取れなくなった事から麗華は決断していた。
自分の存在すら同じ部屋に居るのに認識できなくなる蒼真の様子を見てそれは確信に変わった。
ーこの人を今、1人にしてはいけない。
麗華の言葉に、蒼真はすぐには返事が出来なかった。
二人でゆっくりしよう。
たったそれだけの言葉なのに、今の蒼真には妙に遠く感じた。
「……俺といても……つまんねぇぞ」
俯いたまま、ぽつりと零す。
以前のように車で迎えに行くことも出来ない。
どこかへ連れ出す気力もない。
笑わせる余裕もない。
今の自分は、ただ重たいだけだ。
「そうかな?」
麗華は向かいの椅子ではなく、蒼真の隣へ腰を下ろした。
ソファーが僅かに沈む。
「私は、蒼真と一緒にぼーっとしてるだけでも平気だけど」
「……そんな女いるのかよ」
「ここにいるよ」
麗華はそう言って、蒼真の肩へそっと頭を預けた。
シャンプーの柔らかな香りがふわりと届く。
蒼真は困ったように眉を寄せた。
「……俺、今かなり面倒くせぇぞ」
「知ってる」
「飯も食えねぇし、運転も出来ねぇし……連絡も取れねぇし……」
「うん」
「……多分、しばらく使い物になんねぇ」
一つ一つ、自分で自分に刺すように言葉を並べる蒼真。
その途中で、麗華の手が蒼真の手の甲へ重なった。
「じゃあ、その“しばらく”が終わるまで、私がいる」
「……」
「使い物になるとか、ならないとか、今はどうでもいい」
麗華の声は静かだった。
叱るでもなく、励ますでもなく、ただ事実を置くように。
「蒼真は蒼真でいればいい」
その瞬間。
蒼真の喉が、ひゅっと小さく鳴った。
堪えていた何かが、少しだけ緩む。
「……無理だろ」
掠れた声で笑おうとして、失敗した。
「今の俺、……自分でも嫌になる」
麗華は重ねた手に少し力を込めた。
「じゃあ、私が好きでいるから大丈夫」
「……は?」
「蒼真が自分を嫌いな間、私がその分好きでいる」
あまりにも真っ直ぐで、あまりにも麗華らしい言葉だった。
蒼真は数秒黙り込み、やがて顔を覆った。
「……反則だろ、お前……」
肩が小さく震えていた。
泣いているのか、笑っているのか、自分でも分からない。
ただ、さっきまで冷たかった部屋の空気だけが、少しだけ柔らかくなっていた。
蒼真は顔を覆ったまま、しばらく動かなかった。
やがて指の隙間から、一滴だけ涙が落ちる。
麗華は何も言わず、その背中をゆっくり撫でた。
「……腹、減ってねぇのに……なんか、しんどい」
「スープ作るよ。少しだけ飲も?」
「……うん」
小さな返事だった。
麗華が立ち上がろうとすると、袖が引かれた。
蒼真の手だった。
「……麗華」
「ん?」
「今日、帰んないで」
震える声だった。
麗華は微笑んで、その手を握り返した。
「うん。帰らない」
ー私はあなたの手を離さない。




