第83話 石室山の誓い
舟橋教授は話を続ける。
「そもそもあの日、僕たちが四人で頂上人になれたのは菜々実ちゃんがいてくれたからこそ、なんだよ。まあ、あの日この山でなにがあったかは、龍神様との誓約によって言えないけどね。でも確実に言えることは、きみのお母さん、菜々実ちゃんは、どんなことがあろうと決して友達を見捨てず、人を裏切らず、自分の信念を貫く、そういう人だってことさ」
え? いったい二十四年前に、この石室山で何があったのだろうか。気になるが……やはりそれは聞いても教えてもらえることではないのだろうな。
そして舟橋教授は芳乃に向き直って言った。
「芳乃さん、あの日石室山で見たことは話してはいけない、という約束ですが、孝一郎くんに、あのときのわたしたちの龍神様への願いを話してあげてはいけないでしょうか」
「話してはいけないのは頂上に着くまでに見たことや聞いたことだ。あなたたちが頂上人として願ったこと、誓ったことを話すのは自由だ。むしろこの大馬鹿者にはきちんと話して聞かせてやった方がいいだろう」
「そうですか。それじゃあ、薫ちゃんも亜理紗ちゃんも話していいかい?」
「いいですよ」大原首相が頷く。
「もちろんかまわないわ」一条理事長も同意した。
「菜々実ちゃんもいいよね?」
「あのときの石室山での誓いの話? ダメダメ! あんなのこっ恥ずかしくて、とてもじゃないけど子供になんか聞かせられないわ」
「そうなんだ。じゃあ菜々実ちゃんの意見は無視して話をするよ」
「ええーっ?!!! なんでよ?」
母さんは顔を真っ赤にして抗議するが、舟橋教授は取り合わずに話をはじめた。
「あのとき、菜々実ちゃんは僕たちの先頭を切って、龍神様に向かってこう言ったのさ。『わたしは世界中から飢えて死ぬ子供をなくしたい。そのためにまず農業と流通の勉強をします。どうかわたしに最後までやり遂げる力を貸してください』ってね。そうだったよね? 菜々実ちゃん」
「あーあーあー!きーこーえーなーいー!」
母さんは両手で耳をふさいでしゃがみこみ、聞こえないふりをしている。
だが舟橋教授はかまわずに話を続けた。
「彼女は何でも願いを聞き届けてくれるといわれた龍神様に対して、決して私利私欲を望まなかった。僕はそれを聞いて胸を打たれた。涙が出るほど感動した。ああそうか、龍神様に願うべきはこういうことなんだ、と思ったよ」
舟橋教授はそう言うと、隣りに立つ大原薫首相の顔をを見た。
そして大原首相は後を継いで話し始めた。
「わたしも菜々実の言葉を聞いて雷に打たれた思いだった。わたしは龍神様にこう言ったよ。『わたしは世界中から戦争をなくし、平和な世の中を作りたい。そのため何をしていいか今はまだわからないが、まず政治家になり、日本の政治の頂点を目指す。どうかわたしに力を貸してほしい』とね。
実は直前まで考えていた願い事は少し違っていて、もう少し現実的な願いだったのだが……菜々実に対抗心を燃やしてしまったのかもしれないな」
「三番目は僕だったな」舟橋教授が再び口を開いた。
「僕は龍神様にこう言った。『僕はいま科学者になりたくて勉強をしています。もし僕が立派な科学者になれたら、その科学の知識や技術を、この世から飢餓や戦争をなくすために役立てたい。どうかお力添えをお願いします』と。僕はそのとき心から、菜々実ちゃんや薫ちゃんのような人の役に立てる人間になりたいと思ったんだ」
「最後はわたしね」一条亜理紗理事長が話を継ぐ。
「わたしは龍神様にこう言ったわ。『わたしは順聖堂学園高柳家に生まれたものとして教育者の道を歩みます。そして一之瀬さんや大原さんや舟橋くんのような、立派な目標を持つ人の支えとなり、いつかその仕事を受け継げるような人材を育てるために頑張ります。どうぞわたしを見守ってください』って。
富岡くんはお母さんの仕事はたいしたことない、って言ったけど、そんなことはないわ。菜々実ちゃんの会社『ミライファーム』は、たしかに今は人数の少ない小さな会社だけど、菜々実ちゃんが中心になって、安全な食材を安く安定供給するための『生活ミライ』プロジェクトを立ち上げたわ。このプロジェクトはね、本当に画期的なものなのよ。菜々実ちゃんは自治体にも働きかけて、いまは国も協力していて、たぶん数年後には日本中に広まるはずよ。これが世界にも広がれば、もしかしたら飢餓の無い世界が実現するのも、そんなに遠い未来の話ではないかもしれないわ。そうなったら菜々実ちゃんはノーベル平和賞だって夢じゃないかもしれないわね」
ノーベル平和賞? うちの母さんが?
…………いや、さすがにそれは冗談に決まってるよな。
「も、もうやめて。おねがい」
母さんが泣きそうな顔で訴える。
「いいえ、やめないわ」一条理事長が言った。「こんな機会もなかなか無いから、孝一郎くんと春香ちゃんにもちゃんと聞いてもらいましょう。菜々実は学生時代たしかにヤンチャで武勇伝もいっぱいあるけど、みんなのリーダーで仲間からは慕われてたし信頼もされてた。在学中三回も停学になってるけど、どれも正義感が強すぎて仲間を守るために突っ走りすぎたからだものね」
「ええっ? 母さん停学くらってるのか? しかも三回も!?」
俺が驚いて声を上げると、大原首相が答えた。
「なんだ? 菜々実は学生時代の話も子供たちにしていないのか?」
「してないわよ。お願い、恥ずかしいからもうやめて……」
母さんは手を合わせて懇願するが、大原首相はなんだか嬉しそうな顔でガン無視する。どうやら母さんをいじめる気満々らしい。
「あのころはずいぶん菜々実と張り合ったし喧嘩もしたが、結局なにをやっても敵わなかったな。それにあのころの菜々実は今よりずっと気が強くて怒らせると怖かった。髪の毛を染めて格好もちょっとワルっぽかったから、わたしが『北総最怖のヤンキー』ってあだ名を付けてやったら、かえって喜んで自分で言いふらしてたよな。あはははは!」
母さんはもう観念したのか、魂が抜けた表情になっていた。完全に目が死んでいる。
「あはは、そんなこともあったね」舟橋教授が言った。「でもね、孝一郎くん。みんなも言うように菜々美ちゃんは立派な人だよ。僕たちの研究チームが開発したTLEX-1だって、何年か前に新年会で菜々実ちゃんが話したことがきっかけで作られたんだ」
「え? そうなんですか?」
「うん。世界中には岩や石ころだらけの土地で細々と作物を作る人々や、木の根っこだらけの土地を死ぬ思いで開墾している人々がいる。こういう土地をもっと楽に耕せたら、世界に豊かな土地を増やせるのに、って言ったのさ。TLEX-1は今は1セット作るのにかなり莫大な費用がかかるし、操作にも専門知識を要する部分がある。でも、今後改良して、ずっとコンパクトで使いやすい装置を安く大量に生産できるようになれば、世界に農地改革が起きるかもしれないよ。もちろん道路工事なんかにも使えるから、工事のコストが下がれば、それは流通コストの低下にもつながるはずだ」
「孝一郎くん、そして春香ちゃん」大原首相が言った。「わたしたちは多かれ少なかれ、あの日の菜々実の言葉に突き動かされてここまで頑張ってこれたんだ。わたしたちの中心にはいつも菜々実がいる。そしてわたしたち四人は、あの日のことを『石室山の誓い』と呼んで忘れないようにしている。誓約書があるわけではないけれど、みなそれぞれ、あの日の誓いを胸に刻み込んでいるんだよ」
舟橋教授や、大原首相や、一条理事長の話は驚くことばかりだった。
ふと見ると、俺のとなりで春香が涙をぬぐっていた。
「お母さんって、すごいんだね。あたし、なんかこう、うまく言えないけど、すごくかっこいいと思うよ」
俺もまったく同感だ。
「母さん、ごめん。舟橋教授の言ったとおりだな。俺、母さんのこと、なんにも知らなかったみたいだ」
俺は母さんに頭を下げた。
「な、なあに? 二人とも。やだなあ、あたしのことを知らないなんて当たり前だよ。だってあたし、自分の仕事のこととか、なんにも話してないもん。それに、あたしはなんにもすごくないよ。すごいのはあたしの仕事をサポートしてくれてるまわりの人たちだよ。俊くんとか、亜理紗ちゃんとか、薫ちゃんとか、ね?」
するとそれを聞いた一条理事長が言った。
「ふうーん。どうしても自分のすごさを認めたくないわけね? それならあの話をしましょうか。孝一郎くん、春香ちゃん、よく聞いてね。あたしたちが順聖堂学園に入学したころ、上級生にちょっとたちの悪い不良グループがいたの。そしたら菜々実が――」
「ちょーーーーっと待ったーーーーあっ!!!」
突然、母さんが大声でストップをかけた。
「それはダメ! その話をしたら、亜理紗、あんたとは絶交! そう、絶交だからね!!!」
母さんの剣幕に気押されたのか、一条理事長は「あはは」と苦笑いして黙ってしまった。
そんなに聞かれたくない話ってなんだろう。こんど理事長と二人で話をする機会があったらこっそり聞いてみよう。
それにしても……まだまだうちの母さんには謎が多いな。
でも、いまわかったよ。俺たちの母さんは世界で一番カッコイイ、って。




