第36話 神々廻優花
神々廻優花と名乗る少女は挑戦的とも思える目つきで芳乃と向き合っている。
芳乃は何も言わず神々廻をじっと見つめ返す。お互いに何かを探りあうように見つめあったまま動かない。知らない人間が見れば白いワンピースの美少女二人が見つめあう麗しい構図だが、俺には何とも言えない緊迫した空気が肌に刺さるようだ。
「神々廻……」俺はこの緊迫した空気を断ち切るように口を開いた。「石室山と松虫姫の秘密、ってのは何のことだ? おまえはいったい何者なんだ? 隠すつもりが無いのなら本当のことを言ってくれ」
神々廻は芳乃から視線を外さない。俺に背中を向けたまま答えた。
「ですからわたしは神々廻優花です、と最初から申し上げてますよ? 先輩。何も隠してなどいませんわ」
「俺が聞きたいのは名前じゃない。何の目的で俺や芳乃に近づいたのかってことだ」
「それも申し上げました。わたしが知りたいのは石室山と松虫姫の秘密です。なんだか話が堂々巡りになってませんか?」
「だからどうしておまえが石室山を探ってるんだ? なぜあのとき俺が石室山に行くことを知っていた?!」
「あら、先輩の行動なんて、兄の力でどうにでも調べがつきますから。ちょっと芝居がかった手段になってしまったのは、あれが一番先輩に疑われにくいと思ったからですけどね。先輩、思考回路が単純ぽいですし。でもまさか仕込んだ機械を石室山のわんちゃんに見抜かれるとは想定外でしたけど」
「ふ、ふざけるな! 愛の告白みたいな演技で人を騙して盗聴器まで仕掛けやがって! これは犯罪だぞ! 素直に話す気が無いんだったら警察に突き出してやる」
すると神々廻はやっとこちらを振り返った。その表情は先ほどまでと違ってちょっと悲しげにうつむいている。脅しのようで本意じゃあないが、さすがに警察って言葉は効いたのか。ちょっとかわいそうな気もするが、この際しかたがないだろう。
「先輩……。案外頭悪いんですね。なんだかがっかりです」
「な……」なんだと!? 俺はパクパクと口を動かしたが言葉が出てこない。
神々廻は再び不敵な薄笑いの表情に戻ると言葉を続けた。
「春香さんや芳乃さんなら、もう大体のことはわかっているのではないかしら?」
神々廻はわざとらしく口元を押さえてクスクスと笑う。
そのとき春香が口を開いた。
「さっき『兄の意向で編入した』とか『兄の力で』とかって言ってたよね? 神々廻って珍しい苗字だけど、神々廻さんのお兄さんって、もしかしたら神々廻将馬?」
「正解!さすが春香さん……って、だいたい話の流れからわかりますよね?」
「神々廻……将馬」俺は自分の記憶からその名前を引っ張り出す。
たしかここ数年で急成長した巨大な産業グループの総帥で、創業者の二代目だが、まだ二十代半ばの若き天才だとか。最近テレビや雑誌によく話題が出ている気がするが、俺は経済だの産業だのにあまり興味が無いので詳しいことは知らない。
「わたしとは一回り歳が離れてますけど、神々廻将馬はわたしの実の兄です」
「なるほど。それじゃあ今回の件はおまえの兄の神々廻将馬という男が黒幕というわけか」
「黒幕? ……ずいぶんと人聞きの悪い言い方ですね。兄は今回の件とはまったく無関係……とまでは言いませんが、黒幕なんかではありませんよ。少なくとも盗聴器の件はわたしのちょっとしたイタズラ心です」
神々廻優花は上目遣いに俺を見上げると「うふっ」と笑う。
「ちょっとしたイタズラ心、だと? おまえ俺があの盗聴器のせいでどんな目にあったかわかって……」
「だいたいわかってますよ?」神々廻優花は俺の言葉をさえぎった。「富岡先輩、きちんと説明をしますから少し歩きながらお話しませんか?」
「説明? ああ、もちろん。ぜひとも聞きたいものだ」
神々廻優花はクルマの窓を開けてこちらの様子をうかがっていた運転手に近づいて言った。
「農道をまわって、もうひとつ向こうの橋のところで待っていてちょうだい」
「しかしそれは……」運転手は心配そうな表情で俺たちを見た。
「この人たちは大丈夫よ。それにそんなに時間はかからないわ」
優花と運転手は二言三言言葉を交わすと、クルマは窓を閉めてゆっくりと走り出した。
「さあ皆さん、それでは少しだけ時間を作ったから、むこうの橋まで歩きながら話しましょう」
少しだけ時間を、って、おまえどんだけ忙しいんだよ。たいそうなお嬢様かもしれんが中学生だろう。俺は警戒心を解かないよう、神々廻優花の言動に注意しながら横について歩く。春香と芳乃も後ろからついてくる。
「あら? 先輩、かわいいお花を持ってますね? それ、わたしにくださいませんか?」
神々廻は俺の手元のオオイヌノフグリを見てそう言った。
「へえ? こんなもんが欲しいのか? そこらへんにいくらでも生えてるぜ、お嬢さま」
「ええ、でもわたし、富岡先輩からもらえたほうがずっと嬉しいのですけれど」
こいつ……どこまで人をおちょくれば気が済むんだ?
「そうか。それならやるよ。おまえに似合ってると思うぜ? ちなみにこの花の名前はオオイヌノフグリだ」
おまえには犬の睾丸が似合ってるよ、という皮肉を込めて俺は花束を神々廻に手渡した。
「まあ嬉しい! 名前はちょっと下品な気もしますけど、この可憐なお花に罪はないですものね?」
うわ、名前の意味がわかってるのか? これじゃぜんぜん皮肉になってねえじゃねえか……くそ。
「まず、盗聴器のことはごめんなさいね。富岡先輩が千堂芳乃さんに会いに行く、という情報を得たので、もし千堂さんの話が少しでも聞けるならと思って。本当にあれはわたしの好奇心だったのよ。兄は関係ないわ」
「どこの世界に好奇心だけであれだけの芝居を打って人に盗聴器を仕掛ける女子中学生がいるんだよ?! おかげであやうく噛み殺されるところだったんだぜ? それに情報を得た、ってどこから……」
「あの大きなわんちゃんが盗聴器に気が付くことはさすがに想定外だったわ。ほんとうにごめんなさい」
「ん……そういえばおまえ、さっきから『わんちゃんが』とか言ってるけど、俺がオオカミに襲われたことをなんで知ってるんだ? 見ていたわけでもないのに」
「あら? あれはオオカミさん、というお名前なのですね」神々廻優花はちょっと驚いたような表情を作って俺のほうを見ると、にっこりと笑って言った。「もちろん、見ていましたよ? 先輩の勇姿を」
「見ていた? まさか……」そんなことがあるわけがない。あのとき石室山には俺と芳乃しかいなかったはずだ。「ひょっとしておまえ、どこかに盗撮カメラかなにか仕掛けてあるのか?!」俺は思わず大きな声を出して問いただす。
「そんなに大きな声を出さないでください、先輩。盗撮カメラなんか仕掛けてませんよ。あそこは未だにどういう仕組みかわかりませんが、一歩中に入っただけであらゆる電波がシャットアウトされますし、仮にカメラを仕掛けても情報は送信できないし回収もできません。昨夜わたしは普通に外から見ていたんです」
「外から? ……山門の外からじゃあ、中の様子は見えないだろう?」
「山門の外……というか、もっと遠くからです」
「遠く……って、どこだ」
「北総エナジー本社ビルの最上階です」
「なん……だって?」
北総エナジー本社ビルは北総市南部のやや小高い丘の上にある。まわりは田んぼや畑で、特に市の中心部でもなければビジネス街や繁華街でもない。駅や高速のインターからも遠い不便な場所だ。二年ほど前にあの場所に異様に立派なビルが出来たときは町の人たちは「なんであんな辺鄙な場所に」って不思議がっていた。
「あそこは、石室山から南に直線で約2キロメートル。途中に遮蔽物が無いから山の南側が良く見えるんですよ」
「遮蔽物が無い、って言ったって、2キロ先だろう? ほとんど夜だったし、俺たちのいた場所は回りに樹木も多かったし大雨も降っていた。いくら高倍率の望遠鏡だって、山の中で起きていることが見えるわけが無いだろう」
「先輩?」神々廻優花はまた上目遣いに俺を見て「うふっ」っと笑う。「今の科学技術はすごく進歩してるんですよ? わたしが本社ビル最上階から石室山を見ていたのは、30キロ先のネズミの姿だって捉えられる最先端の軍事用赤外線レーダーテレスコープです。ちょっとした林の中くらいなら生物の行動を追跡できます。でも赤外線なので天体観測には使えません。お値段は天文学的ですけどね。石室山は電波はシャットアウトしますけど、さすがに可視光線や赤外線は通すみたいです」
「な……なんだって? 軍事用テレスコープ……だって?」俺は驚いて言葉が続かない。後ろを見るとさすがに元気印の春香も硬い表情で押し黙っている。芳乃は表情を変えず、じっとこちらを見つめている。
「あ、言い訳をしておきますと盗撮ではありませんよ? 趣味の自然動物観察用です。このあたりにはまだタヌキさんとかイタチさんとか、野生動物がたくさんいますものね?」
しゃあしゃあとふざけたことをぬかしやがる。いったいどこの女子中学生が、タヌキを観察するために軍事用の特殊な望遠鏡を使うっていうんだ。
「盗聴器といい望遠鏡といい、それだけ大掛かりなスパイの真似を、いくら金持ちのお嬢様だからって、中学生一人で出来るわけがないだろう? やっぱりこの件の首謀者はおまえの兄貴なんじゃねえのか?」
「さっきから黒幕とか首謀者とか、ずいぶん失礼な言い方ですね。わたしの兄は犯罪者ではありません。たしかにわたしは今回ちょっとやりすぎたかもしれませんが、何十回と石室山の調査を申請しても、石室山の実質的な管理者である千堂芳乃さんに面会を申し込んでも、まったく相手にもされないとなれば、それは盗み聞きくらいはしたくなるというものです」
口ではごめんなさい、とか謝っていたけど、どうやらこいつ全然反省してねえな。
「したくなるというものです、じゃねえだろ! 盗聴だって盗撮だって立派な犯罪だぞ!」
「ですから盗聴も盗撮もしてませんってば。先輩には愛の告白をして、ちょっとおしゃれな発信機付き会議用マイクをプレゼントしただけですし、その夜は石室山のタヌキさん……じゃなくてオオカミさんを観察していただけです。それにいくら高性能なテレスコープといっても、赤外線ですから生物の大きさや形を認識できるだけで、露天風呂の入浴を覗き見できたりするわけじゃないんですよ? ひとを盗撮犯呼ばわりはやめてください」
「そ、そういう問題じゃねえ。だいたい中学生のいたずらの範囲を超えてるだろ! いったいおまえの兄貴の目的は……」
「富岡センパイ?」神々廻優花が両手を後ろで組み、天使のようなスマイルを作って俺を下から覗き込む。「さっきから言ってますが、兄は関係ないですよ? それと中学生だから何も出来ないだろうなんて、それは先輩の思い込みというものです」
「しかし……」
「もー!しょうがないなあ。じゃあ、ちょっとフライング気味だけど、これ、差し上げます」
神々廻優花は肩にかけた白い小さなポーチから、なにかの紙片を取り出した。
「あらためまして、富岡先輩。わたくしこういうものです」
そう言ってその紙を丁寧に両手で持って俺に向かって差し出した。
「これは……名刺?」
俺は名刺を受け取った。そこにはこう書かれていた。
北総エナジー株式会社
代表取締役 CEO
神々廻優花




