第20話 龍の卵
その日の午前十時。俺と芳乃と春香は母さんの運転する軽ワゴンに乗って吉鷹村に向かっていた。
何日も世話になるわけにはいかない、といって石室山に帰りたがる芳乃を引きとめ、それならとりあえず吉鷹村に行って相談して来よう、ということになったからだ。
「まずは石室山に寄って、おうちがどうなっているか確認してみましょうか」と母さんが運転しながら言った。
「あそこ、入って大丈夫かな」
昨日の悪夢のオオカミ事件が俺の記憶によみがえる。
「心配ない」芳乃が言う。「誰かさんが可愛い女子中学生にもらったペンダントなんぞを持ち込まなければ、な」
「ホントにお兄ちゃんはもう、簡単に騙されて。なんなの? バカなの? 可愛い女の子ならここに二人もいるじゃない? それともハーレムでも作りたいの?」
「春香よ。俺はバカではない。男には理性と理屈だけでは抗えない行動原理というものがあるのだ。そもそも――」
「あっ、そうだ。石室山に行ったらオオカミさんに会えるかな?」
妹はもはや俺の話など聞いてもいなかった。
「恐ろしいこと言うなよ。まあ結果的には俺を殺そうとしたわけじゃない、ってのはわかったけど、本当にデカくて凶暴なんだぞ? 万が一オオカミがあらわれてもヘタに刺激なんかするなよな」
「ねえ姫ちゃん、オオカミさんたちに会える?」
どうやら俺の話は完全スルーだった。
「どうかな。昨夜は孝一郎が盗聴器を持ったまま、わたしを抱きかかえて無理矢理拝殿に連れ込んだりしたから怒って出て来たのだと思うが」
「いやちょっと待て」俺は反論する。「その言い方じゃあ本当に俺は犯罪者みたいじゃないか。あのときはまだ芳乃が石室山に住んでるなんて知らなかったんだ。山の中で突然の嵐にあって困ってる小学生かと……」
「無理矢理連れ込んで……って、お兄ちゃんそんなことしたの? 小学生なら力ずくなの? やっぱり変態さんなの? ロリコンなの?」
俺は頭をかかえた。おそらく反論しても無駄だろう。そんな俺の心に深い傷を残すような会話をしているうちに、クルマは石室山の南門に着いた。母さんは門前の広場の隅にクルマを停める。
「こっちだ」
クルマを降りた俺たちを芳乃が案内する。見ると南門は扉が閉ざされ、応急措置でカンヌキがわりの板が釘で打ち付けられていた。しかし芳乃はその横の小さなくぐり戸の扉を開けると、中へ入って行った。俺たちも後に続いて中へ入る。
「こんな扉があったんだ」俺が言った。
「あのときもこの扉は開いていたよ」芳乃が言った。「普段はこの扉も開かないようにしてあるが、あのとき、わたしはこの扉から出て来たのだからな」
「それじゃあ……」
「うむ。孝一郎はわざわざこの門の鍵を壊すことはなかったのだよ」
「ええー、それを早く言ってくれよ」
「わたしは止めようとしたのだが……まさか鍵を壊して突入するとは思わなかった」
「お兄ちゃんはバカだね」春香が言った。
「孝一郎はバカねえ」母さんが言った。
反論は……無駄だろうな、やっぱり。
俺たちは南門の坂を登り南拝殿の前まで来た。拝殿はオオカミがあけた穴に、釘で青いビニールシートが打ち付けられていた。どうやら応急処置のようだ。
そのまま南拝殿横の坂をさらに登り、芳乃の家の前に来た。権太夫さんこと高瀬圭吾さんが壊れた窓にビニールシートをかけて穴を塞ぐ作業をしていた。
「圭吾さん、こんにちは!」
「やあ孝一郎くん、こんにちは。芳乃様、菜々実さんも。皆さんで来てくださったんですね。そちらのお嬢さんは……」
「富岡春香です。はじめまして」
春香は頭を下げて挨拶をした。
「ああ、菜々実さんの娘さんですね。なんて可愛らしい。吉鷹村の総代、高瀬圭吾です、はじめまして。このたびは芳乃様がお世話になっています」
圭吾さんは爽やかな笑顔を春香に向けた。
「うおっ! お母さん! この人、すごく男前な上にすごく正直で、すごくいい人だよ。うちのお兄ちゃんと取替えっこできないかな?」
「できねーよ!」
俺は思わず春香に突っ込んだが、やっぱりスルーされた。圭吾さんは「あははは」と苦笑いしている。
「圭吾さん。修繕、俺も手伝いますよ」気を取り直して圭吾さんに声をかける。
「ありがとう。でも、もう終わるから大丈夫だよ。とりあえず雨が入らないように応急措置だけなんだ。昨日の嵐で将官川の橋が壊れてね。村の大工と若衆が総出で修理にあたっているんだよ。橋がないと村人が畑に行けないからね。村の民家も瓦が飛んだり雨戸が壊れたり、けっこう被害が出てるんだ」
「そうですか」圭吾さんは明るいところで見るとますますイケメンだ。
「棟梁は、橋の修理の指示を出し終わったらこっちに来るって。なるべく早く直すようにするって言ってたよ。それでもあちこちけっこう派手に壊れてるから。あと四、五日はかかるんじゃないかな」
「権太夫」芳乃が前に出てきて圭吾さんに声をかけた。
「はい。芳乃様」
「それならばわたしの家は後回しでよいから、橋と村人の家を優先して修理してもらうように棟梁に言ってくれ」
「いや、しかし……」
圭吾さんは手を止めて考え込んだ。
「穴さえ塞いでもらえれば、しばらくはこれで十分だ。わたしはここに戻る」
「それはいけません。せめて窓と勝手口の修理が終わってからでないと。もし菜々実さんのお宅に迷惑がかかるようなら、とりあえずわたしの家に……」
圭吾さんは困っているようだ。そこへ春香が割って入った。
「姫ちゃん、ウチはぜんぜん迷惑じゃないよ。修理が終わるまでもうしばらくウチにいなよ」
「そうね。そうしてちょうだい。芳乃ちゃん」母も続く。
「春香。菜々実殿。お気持ちはたいへん嬉しいが、わたしはそんなに長くこの山を留守にするわけにはいかないのだ」
芳乃はそう言って石室山を見上げた。
「芳乃。この山に何があるんだ?」俺は芳乃にたずねる。
「この山には……大切なものが埋められている。私の家は代々それを守っているのだ」
「大切なものって?」
「それは……」
「芳乃様!」
芳乃が何か言いかけたが圭吾さんがさえぎった。
「いや、いいのだ、権太夫。孝一郎たちには教えておく必要があるだろう。孝一郎がわたしのところに来たのは偶然ではないのだからな」
偶然ではない? また運命論か。芳乃は本気でそう思っているんだな。
「わたしの家と吉鷹村の一族が代々守っているものは……」
芳乃は一瞬言葉を止めて、そして、俺の目を見るとこう言った。
「龍の卵だ」




