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松虫姫物語  作者: 中沢七百
第12章 姫神
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エピローグ

 五月第二週の土曜日。総理大臣杯剣道大会、千葉県予選、初日。

 俺は千葉県千葉市にある県立総合スポーツセンターの武道館にいる。


 この日、千葉県地区予選を勝ち抜いてきた、百数十名がトーナメント形式で試合をおこない、準々決勝まで勝ち残った八名が全国大会本選出場の資格を得る。


 俺は昨年の本選出場者なので、地区予選は免除。県大会トーナメント第一試合もシードで、試合は二選目からだ。いま目の前では前々組の試合が終わった。俺の試合の開始時間ももうすぐだ。


 俺は昨年の大会のあと、事故で大きな怪我をしてしまい、有名なスポーツ強豪高校への特別優待入学の内定が取り消しになり剣道をやめた。

 高校三年間のうちに剣道で日本一になるという夢を失い、一時は自暴自棄になり、高校でも部活には入らず、なんの希望も楽しみも見いだせずに鬱々(うつうつ)とした日々を送っていた。


 そんな俺が、あの嵐の夜に石室山で芳乃と出会い、いろいろな不思議な体験をして、いろいろな人たちと出会い、そして命がけで戦った。

 春香は勝手に俺の名前で総理大臣杯剣道大会にエントリーし、芳乃の謀略に()められて、今年もふたたび大会に出場することになった。あのとき俺は「試合には出るが結果には期待するな」と言った。たしかに言ったが…………いまは…………。


 俺は試合会場を見下ろす二階応援席を見上げた。

 応援席の前の壁には「跳べ!富岡孝一郎」と大書された横断幕が下げられている。

 どこへ跳べっていうんだ。恥ずかしいからやめてほしい。


 横断幕の余白には、学校の友人や吉鷹村、石室山の仲間からの寄せ書きがびっしりと書き込まれている。右下のほうに「魂の戦いを見せろ」と墨書されているのは芳乃の字だ。すげえ達筆だな。


 応援席の最前列には母さんと芳乃、春香、優花、城築先生が並んでいる。一条理事長や舟橋教授、圭吾さん、橘常務の姿もある。驚いたことに北総シシバホールディングスの神々廻英人(ししばひでと)会長、神々廻将馬(ししばしょうま)社長も応援席に来ている。


 そしてその後ろには順聖堂学園のクラスメイト、大沢町の人たち、母さんの仕事仲間や春香の友達など、まるで大会本選決勝のような大応援団がひしめいている。


 芳乃と春香、そして母さんにも、応援に来られると恥ずかしいから俺が大会に出ることは人に言わないでくれ、と念を押しておいた。しかし……優花のやつが自分のSNSに「みんなで下総市の誇り富岡孝一郎さんを応援しましょう!」とか書いて投稿しやがった。もちろん超有名人でもある神々廻優花の投稿は、あっというまに拡散した。まったく、余計なことをしてくれたぜ。


 優花は「孝一郎さんを応援してくださる方は、みなさん家族も同然ですから」とか言って、俺の応援に来てくれた女性全員に、三咲ジュエリーのオオイヌノフグリブローチを、男性全員には、同じく三咲ジュエリーのネクタイピンにも使えるオオイヌノフグリピンバッヂを配っていた。


 なんでも自分が身に付けているオリジナルは、あの日俺が田んぼの(あぜ)道で摘んだ本物のオオイヌノフグリを特殊な樹脂で加工したもので、三咲ジュエリーの市販品は花の部分がアメジストなんだそうだ。まあなんにしても、さすがの大盤振る舞いだ。


 そういえば「あとでお父様とお兄様も会場に来ますから、孝一郎さんを紹介させてくださいね。うふっ」とか言って楽しそうだったけど……。紹介って、特別な意味は無いよな。いや、無いと信じたい。


 芳乃は腕組みをして冷めた表情で試合会場を見下ろしていた。小さいくせに、あいかわらず態度だけはデカいお姫様だ。俺はこの一カ月あまり、芳乃と一緒に剣道の稽古に励んできた。春香もいろいろとトレーニングのサポートをしてくれた。芳乃からは特に精神力、気の力の使い方を学んだ。事故で瞬発力が落ちたと感じていたが、気の力を意識することで、体が軽く感じるようになり、むしろ去年より動きにキレがあるようにすら思えるようになった。


 見ていてくれ、芳乃。そして春香。勝てるかどうかはまだわからないけど、俺はお前たちのためにも恥ずかしくない試合をしてみせるぜ。


 この会場に大原首相の姿は無い。しかし会場入りする前に電話で、「総理大臣杯で総理大臣が特定の選手を応援するわけにはいかないからね。わたしは全国大会本選会場で、きみが来るのを待っているよ。健闘を祈る」というメッセージをもらった。


 応援席二列目から後ろには、順聖堂学園のクラスメイトたちが陣取っていて、みな旗を振りながら大声で声援を送ってくれていた。宮崎六実、増尾みどりは芳乃の真後ろにいる。生徒の間に埋もれているが、ミソちゃん先生の姿も見えた。そして勝手に応援団長を買って出たのは「自称親友」の柏木亮太だ。


 何日か前に亮太は「ラッパと太鼓で盛大に応援してやるぜ!」と息巻いていたので「試合会場は鳴り物は禁止だよ」と言ってやったら「それじゃあ応援用の旗を作ってくるよ」と言い、本当に大量に応援旗を作って来て、応援団に配っていた。


 A4コピー用紙に丸棒を付けた手作りの応援旗には、富士山のような形の山と、へたくそな空飛ぶ蛇がプリントされていたので「これは何だ?」と聞くとドヤ顔で、「石室山と伝説のドラゴンに決まってるじゃねえか」と言って胸を張った。


 いや、石室山は円墳だ。こんな形じゃねえよ。それにこいつはどう見ても頭に角が生えた蛇にしか見えねえ。…………まあいいか。気持ちだけ受け取っておくとしよう。ありがとうよ、亮太。「自称親友」から「親友」に格上げしてやってもいいぜ。


 牛太郎はどこに…………。あ、いた。応援席最後部、最上段の薄暗い席にひとりで座っている。まあ、あいつが前に座ると後ろの人間は何も見えなくなるしな。それに芳乃を後ろからそっと見守るのがおまえのポジションだよな。いろいろありがとう、牛太郎。石室山を守った一番の功労者は、どう考えてもおまえだよ。




 試合の時間が近づいてきた。

 応援席からの声援が大きくなる。

 俺は手ぬぐいを頭に巻いて面をかぶり紐を締めた。

 籠手(こて)をつけて正座のまま自分の試合の開始を待つ。




 きっと芳乃は普通の人とおなじ幸せをつかんで、子供を産んで百まで生きるだろう。

 きっと城築先生の奥さんはもうすぐ目覚めて、新婚のときと同じ笑顔を見せてくれるだろう。

 俺も……俺ももう一度夢をとり戻したい。


 前の試合が終わり選手が退出した。

 俺は立ち上がり試合場の脇に立つ。


 そうだ、芳乃。この大会が終わったら、二人でもう一度、杉婆(すぎばあ)さんのところへ行こうぜ。

 俺は……杉婆さんに伝えたいことがあるんだ。




「次、A組17番の試合を始めます。両者前へ。互いに礼!」


 俺は竹刀を腰に下げて礼をすると三歩進んで竹刀(しない)を構え、蹲踞(そんきょ)の姿勢をとる。

 心を静めて、自分を後押ししてくれるすべての気の流れを自分の中に取り込むように意識を集中させた。


「はじめっ!」

 審判が手を降りおろして試合が始まる。


「やあああああーーーっ!」


 俺は立ち上がって気合の発声をすると同時に竹刀を正眼に構える。

 そしてすぐさま竹刀を大きく振りかぶると、ひときわ大きな発声と共に、まっすぐ前に向かって跳躍した。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 松虫姫物語 完


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

中沢七百


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