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松虫姫物語  作者: 中沢七百
第12章 姫神
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第99話 ―最終話― 奇跡の光

 本殿奥の扉をくぐり、十メートルほどの石造りの狭いトンネルを抜けたところにそれはあった。


 石室山玄室(げんしつ)


 初代松虫姫、不破内親王(ふわないしんのう)の魂が眠る場所。

 過去千三百年の長きにわたって、北総犬養家当主、すなわち千堂家代々の松虫姫以外、誰も足を踏み入れたことのない神聖な場所。俺たちはいま、その場所に立っていた。


 はじめは薄暗くてよくわからなかったが、目が慣れるとだんだん玄室の中が見えてきた。

 内部は四角い部屋ではなく床は円形で、石を積み上げて作られた壁に囲まれたドーム状の空間だ。思っていたよりずっと広く、直径は二十、いや三十メートルほどだろうか。天井の中央部分には明り取りと思われる小さな穴から、わずかな光が漏れ出している。


 そしてこの玄室の中央には、やはり石組みでできた高さ1メートルほどの円柱状の台座があり、その台座のくぼみには、話に聞いていた御神体と思われる、白い球状の、通常のものよりふた回りほど大きい龍の卵が安置されていた。


 そして玄室の入り口と中央の台座のあいだには、玄室の床よりやや高くなった、幅二(けん)ほどの広めの石造りの道があり、それ以外の床の上は、びっしりと龍の卵で埋め尽くされていた。


 宗教的な装飾も、儀式的な道具も一切無い、ただただ石の壁と床と、おびただしい数の龍の卵だけがある、かぎりなく静謐(せいひつ)な空間だった。


「うわあ、すごいね。これぜんぶ龍の卵なの?」

 春香が驚きの声をあげた。


「お……おお、これが……石室山の玄室なのか」

 城築先生がうめくように声を絞り出した。


「そうです、城築先生」俺たちに背を向けたまま芳乃が答えた。「伝承によれば、古代、龍神が巨大な岩を積み上げて巣を作り、そこに産み落としたものが龍の卵だと言われています。この下にはさらに膨大な数の龍の卵があります。これこそが千堂家の代々の松虫姫が守ってきた古代の宝です。そして姫神様は、この人類の宝を我々に託しました」


 芳乃はゆっくりとこちらを向くと、城築先生を見つめて話を続けた。

「そして中央にある少し大きな龍の卵が御神体です。残念ながら見てのとおりの大きさですので、初代松虫姫の肉体が、あの中でそのまま眠っている、というようなことはありません」


「うん、そうだね。よくわかったよ」

 自分の目で見て、ここに松虫姫の肉体が無いと理解して落胆したのだろうか。城築先生はすこし弱々しい声で答えた。

 城築先生は御神体だと説明された中央の龍の卵をしばらくじっと見つめていたが、ふたたび芳乃に向かって言葉を続けた。


「芳乃ちゃん、ありがとう。人間の肉体が何十年も、何百年も美しいまま残るなんてことはあり得ない。芳乃ちゃんはそれを馬鹿なわたしに教えてくれたんだね」


 その声は穏やかではあったけれど、わずかだが悲しみに震えていた。俺は城築先生のこんなにも悲しそうな声を初めて聞いた。

 しかし、それを聞いた芳乃の答えは意外なものだった。


「いいえ、そうではありません。城築先生」


 芳乃はもう一度中央の御神体に向き直り、俺たちに背中を向けたまま話しはじめた。


「たしかに…………人間の肉体は死んだら滅びます。しかし人の魂はそう簡単には滅びません。それが正しい心の魂ならなおさらです。美穂さんの魂は生きている。城築先生、あなたは決してあきらめてはいけない。先生、そして孝一郎、春香。みんなにはこれから姫神様に会ってもらおうと思う」


「なんだって?」俺は驚いて聞き返す。「それは…………芳乃がいまから口寄せをするってことなのか?」

 その問いに芳乃が答えた。


「いや違う。口寄せではない。姫神様は直々にお言葉をくださるだろう。正確には、龍の卵に太古から宿る生体エネルギーの力を借りて、ここにいる我々四人全員が媒体となり、姫神様の魂の声を直接受け取るのだ。さあ、みんな。石の床の上で申し訳ないが、ご神体のほうを向いて正座をしてもらえるだろうか。そして手を合わせて心を静め、気の流れを整えてほしい」


 芳乃はそう言うとその場に正座して手を合わせた。


 姫神様が直接言葉を? 芳乃はいまそう言ったのか?

 俺は自分の頭の理解が追い付かず、城築先生や春香と視線を交わした。やはりふたりとも、芳乃が言ったことが理解できないようだったが、ともかく、芳乃に(なら)って床の上に正座をして手を合わせた。そして言われたとおり、呼吸を整え、気持ちを静めて気の流れを整える。


 芳乃は柏手(かしわで)を大きく二回打つと、頭を下げ、口の中で小さく祝詞(のりと)のような言葉を唱え始めた。


 すると玄室のあちこちから「ビビッ、ビビッ」というような小さな音が聞こえてきた。

 見ると床の上の龍の卵がごくわずかだが高速で振動しているように見えた。

 そしてその振動が部屋全体に伝わると、今度は薄暗がりの中で、龍の卵がぼうっと青白い光を放ちはじめた。


「孝一郎くん、…………これは」

 城築先生が目を見張って言う。


 春香も驚いた表情で部屋の中を見回している。

 どうやら二人にもこの光は見えているようだ。


 中央の御神体の龍の卵も光りはじめた。

 周囲の振動音はだんだんカン高い音になり、やがて聞こえなくなった。かわりに光は強さを増し、いまや玄室の床一面にきらきらとした青白い光があふれている。


 そしてその光は、ゆっくりと吸い寄せられるように中央の御神体に集まっていく。

 芳乃の祝詞が止まった。

 やがて光はご神体の龍の卵の上で、徐々に人のかたちになっていった。


 白い着物を着た女の人だ。

 あの日俺がオオカミと戦っているときに見たような、羽衣のようなシルエットだった。ただあの時と違うのは、それを着ているのが芳乃ではないということだ。


 女性は顔も体も白く光り輝いていて、その表情はよくわからない。

 しかし俺には確信があった。

 この人は…………。


「富岡孝一郎、春香、そして城築勝巳。よく来てくれました。わたしは不破内親王。村人はわたしを松虫姫と呼びます」


 声が聞こえる。

 いや、頭の中に直接語りかけてくるような感覚だ。

 これは…………現実なのか。それとも夢なのか。


「孝一郎、春香。あなたたちは芳乃とともに、危険をかえりみず、命を()けて戦ってくれました。ほんとうにありがとう。そして今日会えなかった他のあなたの仲間たちにも心から感謝をしています。どうかこの言葉を伝えてください。そして龍の卵をこれからも守り、世の中のために正しく使われるように導いてください」


「はいっ!」

「は……はい!」

 俺と春香は頭を下げて同時に答えた。

 それだけ言うのがせいいっぱいだった。


「そして城築勝巳。あなたも芳乃をささえ、いろいろと手助けしてくれて感謝しています。ありがとう」


「…………はい」

 城築先生はそう答えると、頭を石の床にこすりつけるように平伏した。


「そしてあなたの妻、美穂のことですが」

「は、はい……っ」

 城築先生はますます頭を低くして床にこすりつける。


「あなたは長いあいだよくやりました。毎日世話をやき、話をして、その気持ちと言葉は美穂の魂に届いています」


「あ……ああ……あ……」

 城築先生はわずかに顔をあげた。

 その目からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれている。


「城築克己。安心しなさい。あなたの無心の愛はむくわれます。美穂はかならず目覚めるでしょう。それも遠い将来ではありません。そのときはもうすぐです。いまはこれ以上は言えませんが、あきらめずに待ちなさい」


 城築先生は雷に打たれたかのように顔をあげた。

 そして涙でぐちゃぐちゃになりながら、なんとか言葉を絞り出した。

「あ……あり、ありがと……う、ござ……います」


「わたしはなにもしていません」姫神様の優しい声が心に直接響いてくる。「あなたの魂が妻の魂をつなぎとめ、そしていま呼び戻そうとしているのです」


「……ありが……と…………うぐっ、うああっ……」

 城築先生はもはや見栄も外聞もなく石の床に突っ伏して泣いていた。


 俺も知らずと涙がこぼれていた。

 横では春香も声を殺して泣いていた。


「そして千堂芳乃。あなたもほんとうによく尽くしてくれました」

「はっ!」

 芳乃は短く答えて平伏した。


「わたしはわたしの子供と孫と、その子々孫々に大きな(かせ)をかけてしまいました。しかしあなたたちの強い心と、吉鷹の村人との強い(きずな)が、千三百年ものあいだ、石室山を守ってくれました。ほんとうにありがとう」

「ははっ!」

 芳乃はさらに頭を下げた。


「感謝の気持ちは言葉に尽くせません。しかしわたしにはもう時間が残されていないようです」

「…………っ!」

 芳乃はその言葉を聞いて突然顔を上げた。


 姫神様は静かに言った。

「わたしは、最後にあなたたちに会えてほんとうに良かった」


 最後に?

 最後に、って、いったいどういう意味だ?

 俺は顔を上げて姫神様の光を見た。


「芳乃。わたしのかわいい芳乃。あとのことはたのみましたよ」


 姫神様はそう言うと柔らかな笑みを浮かべた。

 いや、光で表情は見えなかったが、俺にはたしかに姫神様が笑ったように見えた。

 そして姫神様の光は、すうっと薄闇に溶けるように消えていった。


「姫神様っ!!!」

 芳乃は顔を上げ、身を乗り出して大きな声で叫んだ。


 そのとき、中央の台座に置かれた御神体の龍の卵が、音もなく砕け、そのかけらが崩れ落ちた。

 卵の中には……何も入っていなかった。




 クルマで家まで送るよ、と言ってくれた城築先生の申し出を断って、俺と春香、芳乃の三人は歩いて家へ帰ることにした。

 城築先生は一刻も早く、姫神様から聞いたことを美穂さんに伝えたいだろう。

 それに俺たちも今日は石室山に見守られながら、ゆっくり歩いて帰りたい気分だった。


「なあ、芳乃」

「なんだ? 孝一郎」


 俺たちは田畑の中の農道を、自宅のある大沢町に向かって歩いている。

 いつの間にそんなに時間が経ったのか、太陽はもう、石室山の向こうに落ちようとしていた。


「姫神様は…………どうなったんだ?」

 俺はわかりきった答えを引き出すような質問を芳乃に投げた。


「姫神様は千三百年の役目を終えて、天上界に帰ったのだよ。御神体に残っていた最後の力を使い果たしたのだ」

 芳乃はまるで何事でもないかのように淡々と答える。


「そうか。でも…………あの言葉は本当だったのかな」

 俺は芳乃と並んでゆっくり歩きながら問いかける。


「あの言葉、とはどの言葉だ」


「もうすぐ美穂さんが目覚める、っていう言葉に城築先生がお礼を言ったら『わたしはなにもしていません』っていったじゃないか」

「ああ、……そう言ったな」

 芳乃はうつむき加減に下を向いてぼそりと答えた。


「俺、思ったんだけど、本当は姫神様が美穂さんの魂に、目覚めるように呼びかけてくれたんじゃないかな?」

「……どうしてそう思うのだ?」

 芳乃はやっぱり下を向いたまま小さな声で問い返した。


「いや……どうしてってこともないんだけど。姫神様には、もうあんまり使える力が残ってなくて、それを美穂さんのために使ってしまったんだとしたら、そのことを……城築先生に悟られたくなかったんじゃないかな、って思ってさ」

「………………」


 芳乃は下を向いたまま何も答えない。

 代わりに春香が口を開いた。


「えー!? そうなのかな? だとしたら姫神様ってすごく優しいよねっ」


 しかし芳乃はそれを否定する。

「姫神様がなにもしていないと言ったのだ。それならなにもしていないに決まっている」


 芳乃の言い方はどこか不機嫌そうだった。


「そうか……そうだよな。あ、あとさ、もうひとつ聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

 芳乃はぶっきらぼうな口調で答える。


「今日、病院で美穂さんに会ったあと、芳乃は『姫神様が呼んでいる』って言ったよな?」

「………………」

 芳乃は何も答えない。


「あれって本当なのか?」

「……どういうことだ」

 芳乃の表情が険しくなる。


「いや……本当は姫神様に呼ばれたんじゃなくて、城築先生から美穂さんの話を聞いた芳乃が、姫神様に直談判(じかだんぱん)に行ったんじゃないかと思ってさ」


 根拠はないが、そうだとすればいろいろと話のつじつまが合う。

 姫神様に呼ばれたにしては、本殿で芳乃が姫神様に「お伺い」を立てて「お許し」をもらうまでの時間がずいぶんと長かった。もしかしたらあれは、芳乃が姫神様に一生懸命、美穂さんのことをお願いをしていたからなんじゃないだろうか。


「おまえは、バカなのか? 孝一郎」

「なっ…………なんだとっ!?」


 もう聞きなれたセリフだが、まさかここで言われるとは思わなかった。


「わたしがそんなことをするものか。姫神様は千三百年の長きにわたって日本の、そして世界の未来のために石室山の龍の卵を守ってこられたのだ。わたしごときの頼みで個人の事情を斟酌(しんしゃく)したりなどしない。まったく、おまえのような男を姫神様に会わせたのは大きな間違いだった」

 芳乃は言葉に怒りをにじませながら足を早めた。


「あ、待ってよ! 姫ちゃーん!」

 春香があわてて芳乃を追いかける。

 そのときだった。


 ―― ウオオォォォォーン!

 ―― ウオーン! ウオオオオォォォォーン!


 俺たちは背後の石室山を振り返った。


「あれって…………山ちゃんと雷ちゃん?」

 そう春香がつぶやいた。


 間違いない。山王丸と雷王丸だ。あれはオオカミの遠吠えだ。

 しかしその声は、以前に聞いたときよりどこか寂しそうに聞こえた。

 芳乃も顔をあげて、オオカミたちの遠吠えに耳を澄ませている。


「あっ! あれなあに?」

 春香が石室山の山頂を指差して言った。


 見ると赤い夕陽を背にした石室山の頂上付近から、きらきらとした光の帯のようなものが、細くたなびきながら空高く昇っていくのが見えた。


「芳乃…………あれはなんだ? 姫神様の魂か? それとも龍神様か?」


「さあな。わたしには……わからないよ」


 光の帯を見上げて芳乃が言った。

 そしてその目から、ひとすじの涙が頬を伝って落ちた。

 オオカミたちの遠吠えは、茜に染まる石室山の空に、いつまでも遠く悲しく響いていた。


次回「エピローグ」に続きます。


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