幸田露伴「土偶木偶」現代語勝手訳 (2 )
情難 四
浮世絵の表装であれば、時には色糸も美しい刺繍帛などが使われたりするものだが、近づいてみれば、これはどうしたこと、それは浮世絵ではない。絵画でもなく、歌でもなく俳諧でもない。理由はわからないが、それは細々(こまごま)と書き連ねた手紙だと一目で知れた。
女文字でとりとめもなく、何を書いているかとよく見てみると、書き出しの言葉もなければ、結びの「芽出度かしく」という言葉も見当たらない。もともと差出人や宛先人の名もなく、これはまさしく長い手紙の前後をなくした一枚である。
どういう人がこの手紙を書いたのか、そしてどういう事情でこの手紙がこんな風に表具までされたのか、自分には関わりのないことなのだけれども、ひと目、掛け軸の風帯に目が止まってからというもの、妙に心惹かれ、何の気なしに、ただどんなことが書かれてあるのかと、その梗概を読んでみたいと思った。
しかし、薄墨で書かれた筆跡ははっきりせず、その上暮れかかった日の光はもはや文字をはっきりと照らし出すだけの力もない。しかも秋風が吹くにつけて一本の薄が揺れ動いて止まらないように、掛け軸がゆらゆら動くものだから、目も心もついて行けず、見て取りにくいため、読み続けて内容をつかむまでには至らなかった。
客がいないと思っていた店に人影を見つけて、店の亭主、秘かに横目を使いながら、それでもなおさりげなくそこら辺を片付けていた。もともと買うつもりはなく、ひやかす料簡で、亭主には少し気の毒とは思ったが、
「これこれ、ちょっとその軸を取って見せて」と言うと、亭主すぐに取って手渡し、淋しい顔にまた淋しい笑いを浮かべて、
「お安いものでございます。お道楽なさって、どうぞお買い上げくださいませ」と言う。
売り買いできそうにもない代物に対して、お安いものとの一言は何となく味気なくて哀れに聞こえたけれど、その言葉を右左へと聞き流して、とても綺麗とは言えない店先に尻をすり込ませるようにして腰を下ろした。
日は少しずつ少しずつ暗くなり始め、人通りも薄くなった黄昏時、影一つをしょんぼり落とした貧相な客は、今は道具屋の店晒しになっており、明日には屑屋の鉄砲笊にでも入りそうな得体の知れない一軸の、不幸せな人の不幸の形見らしきものを読み始めた。
たどたどしい筆運びはまさしく女が書いたと思われる。文章は気持ちがあり余って、それが言葉として湧き出ているような具合であり、まとまりはないけれども意味はよく通じている。しかし、ところどころに読み兼ねる文字もあって、卜川はしばしば首を捻ったりしていたが、読めない文字は読めないものとして、まずはサッと一通り読み終えた。
すると、亭主は例の淋しい顔にまたもや淋しい笑いを浮かべて、
「お安いものでございます。お道楽なさって、どうぞお買い上げくださいませ」と同じ言葉を繰り返す。そして、自分で自分の言葉を疑うかのように「ヒェ、ヒェ、ヒェ、ヒェ」と変な声をして笑った。
今はもう薄暗くなって、その顔は小鼻の周りや口の周囲の凹んだところに夜の色が上っている。暮れようとしていても、明かりを点けるのを惜しむその吝面は陰気臭く、この亭主、この客、この時刻、この軸、どれを取っても陽気さの一つもうかがえないものばかり。
と、この時、『逢魔が時は今なるぞ』とでも告げるように三井寺の鐘が、琵琶湖の気に響き、深く潜んだ竜王の目も醒まさせるかというくらい凄まじい音でゴーンと、大空に響き渡った。
情難 五
いやと言うだけでらちの明くような人ではありません。蜘蛛の巣のような人でございます。こちら が負けて、どうしても長崎に連れて行かれることになったのでございます。それでも死ねば行かずに済むのでございます。死ねば誰にも抑えられることはないと思っております。誰も私の味方になってくれる人はなく、お捨さんは、お前の身のためだから、いやでもあの人について行けと言うのですが、私のためだと言いつつ、自分のことだけを考えてそう言っているのが憎らしくてなりません。あの人は自分の利益ばかりを考える人だと思い、もう愛想が尽きました。お町さんはこれまでたくさん世話になったあの人に、今さら無理を言って我がままを通してはその恩に背くことになり、義理人情に欠けると言って、やはりいやでもあの人について行けと言うのでございます。いい人で、無理は言わない人ですが、ただ私がどれほどあなた様を思っているのかがわからない人なのだと、いやになって悲しくなりました。あんないい人でさえも私の味方をしてくれません。みんなは情けない悪口を言っては、知りもしないあなた様のことを色々と誹って、どうしてもあの人について行けと言うのでございます。悔しくて悔しくて涙を流すばかりでございます。目上の人はあまりにも勝手を言うので、逆に何とも思いませんが、私が思いきったことをすれば、お芳を一人前の女にしてやることができなくなる、それが心に掛かっております。あなた様には悪く思われ、みんなには馬鹿の無分別の義理知らずと言われますし、お芳にも恨まれることになると思うのでございます。これも私が不束に生まれたせいなのだと諦めております。ただ、あなた様に悪く思われるのが一番辛いのでございます。旅の用意にと親父が柳行李を買ってきてこの部屋に置いていきました。それを見ると胸が痛くなるのでございます。もうとても一昨年は帰ってまいりません。一昨年の旅と今年の旅、ああ何と変わり果てたものだと悲しくなります。あなた様と二人で見た若草山のあの長閑な景色が目についてなりません。あの時、山の上から玉を転がしたことがありました。その折りに、遠くに見える心の中で決めた一つの輪の中を玉が転がり抜ければ、あなた様と一緒になれる、もし抜けなければそれが叶わぬと、内々に二人の行く末を占っていたのですが、思っていた輪の中を玉はくぐらず、大変情けない思いをいたしました。それならば来年はどうかと、また試したのですけれど、やはり玉はくぐらず、再来年はと、またまた試してみたものの、やっぱりくぐりません。その次の年は、その次の年はと、無闇に玉を転がして、あなた様に不思議がられ、おかしがられ、その訳を聞かれましたが、どうしても黙っていたくて言わずに済ませたのでございます。その占いがみんな当たって、こんなことになる知らせであったのかと、今思い出しては泣いております。もう何も申し上げることはございません。ただ、深酒をなさいませぬよう、それだけで嬉しく存じます。また、私を悪く思わないようにさえしていただければ、嬉しく、嬉しく存じます。きっと後になって、私を哀れと思ってくださることと思っております。御寿命千万年もお栄えなられますよう、そして、美しくよい奥様をおもらいになりますよう、琵琶の湖の底から一心にお祈りさせていただきます。私のこの世の一番お終いに、あなた様を胸に思って亡くなります。もしあなた様の御寿命万々年の後、ほんの僅かほどでも私のことを思い出してくださいますなら、何よりも、何よりも嬉しく思いますし、それよりほかに
大きな文字は酸漿ほど大きく、小さい仮名文字は針先で書いたように小さく、それらが入り交じって書かれている。それを読んでいくうちに、日はいよいよ暮れて、闇が家の奥から広がってきて、一字を読み終えれば一字は消えてしまい、卜川がついに読み終わった時、目をその軸から離せばもう再び読むことはできなかった。
情難 六
後前の事情もわからないまま、また、誰から誰へ宛てた手紙であるかも知らず、自分にはまったく関わりがないものだと知りながら、ただ何となく目についてこれを手に取り、ただ何となく心に止まってこれを読んでみただけなのに、読み進めているうちに何かしら鳥肌が立つような気持ちになった。
名前も知らず、顔も歳もわからず、ましてその気性など知りようのないこの手紙の書き手である某という女を、不思議にも昔の昔、いつの日であったか、遠い遠いどこかで会って、知っているように思われ、他人事だと冷たくうち捨ててしまい難い感じがした。
玄一は自分の胸の底をなぜだかわからないが、今まで感じたことのないような奇妙な気持ちで充たされた気分になった。
ああ、昔の昔のある年のある日、他の人ではなく、今見ているこの自分自身がこの手紙を受取った人間なのだ、と思ったが、たちまちハッと我に返って、ええ、馬鹿馬鹿しい、夢でもあるまいし、何とくだらない、と自分を嘲っていると、その横から亭主が
「どうでございましょう。ご覧なすったのも何かのご縁でございましょうから、お求めになってくださいまし。お安くいたします。お道楽をなさってくださいまし」と、またその癪に障る「お安くいたします」を繰り返す。
旅先で役にも立たない掛け軸など買って、何になるでもないのはわかりきったことである。しかも、普通の書画ならとにかく、寺にでも納める他はないこんな代物を買ってどうするのかという思いはあったが、何となくまだ心のどこかに惹かれるものがある。もう少しよく読んで味わいたいという気持ちになる。ただ、残念ながらすでに日は暮れてしまっている。
無銭くらいに安ければ、明日宿に置いていくなり、捨てるなりしてもいい。今夜の宿での灯の下でゆっくりと読んでみたいと、安ければ買ってみたい気になった。そして、仕舞いかけの店の邪魔をして、亭主に座ったり立ったりさせたのも多少は気の毒な気持ちにもなり、亭主に自分が手にした軸を渡しながら
「いくらか?」と訊けば、
「お求めになっていただけますか。本当に?」と問い返す。変なことを言うものだと、今さらながら亭主の薄寒げな顔を見ながら、
「ああ」と言えば、例の淋しい顔に妙な笑みを含んで、
「それなら、あなた様のお気持ちで結構でございます。買っていただきさえすれば幾らでも」と商人にはあるまじき馬鹿げた返事である。
つづく