第八話 クレーム
毎日とはいかずとも、週に三回は、レメゲトンで昼食を摂るようになっていた。
青柳にももちろんバレており、「あまり一体のビーストに肩入れしないように」との、実にありがたい忠告は受けてしまっている。
「それじゃあ、私は先に行くから」
「あ、いってらっしゃい」
窓際のテーブルから立ち、ハンバーグランチ代の八百円を代わりに置く。日替わりランチのエビフライを頬張っていたサキムニが、口をもごつかせながら手を振ってくれた。
店内を見渡していたアミィが一番に気づき、扉を開けてくれる。
「今日はお二人、別々なんですね」
ちろり、と呑気に昼食を続けているサキムニを見て、呟いた。
「私はこれから仕事が、外であって、まぁ、それで」
つい、語尾がはぐらかすようになった。
保安課の外の仕事と言えば、アミィも実体験済だ。一瞬、かすかに表情を曇らせたが、それでも笑顔で見送ってくれた。
「お仕事、頑張って下さいね」
「うん、ありがとう」
こんな事を言われちゃ、週三回も通っちゃうでしょう、課長?
外に出てからウィッカを開き、弊社にクレームの入っている、ビーストの所在を確認する。黒の腕輪から発信される電波で、彼らの現在地はいつでも把握可能なのだ。
「所有者の家に待機中か」
独り言をつぶやいていると、後方から物音がした。
レメゲトンの、裏口が開く音だった。
「んじゃあ、俺はこのまま直帰するから。今日は任せたぜ」
粗野な口調の男が挨拶を残し、こちらへ出てきた。そして目が合うと、大仰にのけぞった。
「なんでてめぇが、ここにいやがんだよ! 俺の出待ち? ストーカか!」
相変わらず思慮の浅いメフィストが、歯を見せて露骨に警戒する。そんなわけないだろう。
「これから仕事、外回りです」
「あ、そ。俺もモンペリエの仕事でね。……ついて来んじゃあねぇぞ!」
そもそも、行き先が同じか分からないでしょ、と言う間もなく、メフィストが走り出して行った。しかも速い。
まんじゅ商店街のアーケード街を抜けると、器用に塀から屋根へと飛び移り、道路を無視した、短距離コースを邁進している。再生能力といい、調理を任されるビーストの特異性を逸脱し過ぎではないか。
「コックというより、忍者だ」
思わずまた、独り言が漏れてしまった。独り言は、寂しい一人暮らしを送る者の特徴らしいので、控えるようにしなければ。
今回の業務内容はクレーム処理のため、危険度はグリーンだ。ボディスーツの着用義務もないので、暑苦しい──それでもボディスーツよりずっと通気性の良い──グレーのパンツスーツのまま、ビースト所有者宅まで向かう。もちろん、歩道を歩いて、だ。
彼岸市は東にビジネス街、西に繁華街、北に高級住宅街、そして南に商店街および、下町然とした中流階級の住宅街が控えている。
ビーストの所有者は久世のような、高給取りばかりではない。いわゆる一般家庭にも、徐々に定着を見せている。
今回のビーストの所有者は、梅ノ辻 史。夫を亡くし、その遺産と、自身の開くピアノ教室の授業料で生計を立て、のんびりと暮らす老婦人だ。
史の家は、街の南側にやや雑多に立ち並ぶ、一戸建て住宅のうちの一つだ。年季の入った、町家を思わせる外観である。
扉付近にチャイムが見当たらなかったので、引き戸を軽く叩く。
「すみません。プランシー社の宿毛と申しますが」
奥から返答があったのは、若い男性の声だった。件のビーストだろうか。
しかし、お待たせしました、と顔をのぞかせたのは、ひょろりとした人間の青年だった。
一瞬、目をぱちくりさせてしまった。
「えー、梅ノ辻さん、のお宅でお間違いない、ですよね?」
彼女の同居人はビーストのみ、と会社の情報には記載されていた。つい、相手の身元を伺うような視線を向けてしまう。
「あ……俺は、孫の護です」
ぼそり、と回答があった。
色白で、少々世間を斜に構えたような趣のある護少年は、大学へ通うため、現在祖母宅に下宿中だという。
後で情報を訂正しておかなければ、と考えていると、頭上に影が差した。
なんだ、と見上げると、屋根から飛び降りる、派手なアロハシャツの男が一人。
「遅れましたぁ! モンペリエの塔の、メフィストフェレスってぇモンです!」
屋根から降って湧いた男に、汗だくでまくしたてられ、護は一歩退いていた。
「あ、えっと、とりあえず、どっちも、どうぞ……」
もごもごと、やや猫背気味に、護は引き戸を全開にして、私たちを招き入れた。
入りながら、汗を拭うメフィストへ耳打ちする。
「私より先に出たのに、遅かったですね」
メフィストは虚空を見つめたまま、しばらく黙っていたが、
「……道に迷っちまってな」
暗い声が、ややあって返ってきた。この子、本物だ。
格好を付けて、屋根を跳んで、颯爽と姿を消してこの様か。
バカバカし過ぎて、かえって輝いて見えた。その眩しさに、そっと目頭を押さえる。
梅ノ辻家は内装も、昔ながらの町家そのままだった。各部屋の仕切りを取り払った室内には、夏とは思えぬ清涼な空気が流れ込んでいた。
「ここです、どうぞ」
護が示したのは、玄関を入って、すぐ左にある居間だった。
中央には座卓が置かれ、すでに所有者である史と、彼女のビーストであるゼパールが並んで座っている。
彼らと向かい合う、メフィストを更にだらしなくした風采の若者は、会社の記録では見当たらなかった顔だ。しかし、誰かはすぐに分かった。
大仰に、首にカラーを巻いた若者は、物部 久志。ゼパールに怪我をさせられた、とプランシー社にお怒りの通信をかけて来られた人物のはずだ。
「ちょっとさー、アンタら、マジ遅くないっすか?」
唇を尖らせ、気だるげにこちらを非難する。
声も、お客様窓口課で録音されたものと同じだ。いかにもな口調に反し、容姿は多くの人間に好感を与えそうな、整ったものである。
しかし、耳の軟骨までピアスがじゃらり、鼻にも唇にもピアス、おまけに金髪ロングヘアーという、パンチの利いたオプションの数々へ、どうしても先に目が行ってしまう。
しかし、この前時代的なロックな外見、どこかで見覚えがあった。
「あ」
「あ?」
隣に立つメフィストにだけ聞こえる声を上げてしまい、何でもない、と怪訝そうな彼へ首を振った。
この男、アミィを監視していたビルの屋上になだれ込んで来た、バカップルの片割れだ。ろくでもない奴に、ろくでもない場面で再会したものである。相手が年中発情期のバカ男だと思うと、仕事も、どうでもよくなってしまいそうになる。
いや、第一印象だけで、バカ男と決めつけてはいけない、はずだ。
もちろん、初見時の私はヘルメットをしていたので、向こうは気づく訳もなく、
「時間守るのが社会人っしょー? アンタらさ、大丈夫なわけ?」
背中を箪笥に預けながら、無遠慮な視線をこちらへ向けている。
彼と対照的に、ゼパールの所有者である史はこちらへ好意的な上、「いい女」そのものだった。
「わざわざお越しくださって、ありがとうございます」
六十を超えているはずなのに、髪も肌も艶やか。瞳にも、生き生きとした活力が輝いている。
夏らしい、金魚を描いた白の着物が、涼しげな佇まいによく似合っていた。
「プランシー社から派遣されました、保安課の宿毛 光と申します。今回の物部様のお怪我について、改めてお話を伺うため参りました」
久志と史へ、それぞれにウィッカを示し、型通りの挨拶をする。
一方のメフィストは、ウィッカをジーンズの後ろポケットに突っこんだまま、ペンダントだけ取り出す。
「えー、モンペリエの塔から派遣されましたっ。メフィストフェレスってぇモンです。今日は一応、ビースト側が不当にー……」
言いよどみ、ウィッカを開く。君のウィッカはあんちょこなのか。
「あー、『不当にその行為を罰せられないよう、公平なさ、采配?が行われるべく、参りました』ってぇワケです」
棒読みでたどたどしく、何とか言い終わる。
ふと気になったので、ほぼ同じ位置にある、メフィストの横顔を見る。
「メフィスト君は、こちらの、梅ノ辻様のご依頼で派遣されたの?」
「あー、史さんってぇか……こっちのデケぇ、ゼパールから直接、だな。こいつ、ウチによく飯食いに来てんだよ」
顎をしゃくった先にいるのは、タンクトップ姿の偉丈夫。史所有のビースト、ゼパールだ。
「よろしくお願いいたします、メフィスト君、宿毛さん!」
白い歯を見せ、きらりと爽やかな笑顔を向けられた。態度も言葉も丁寧なのだが、妙に暑苦しいのはそのガタイ故か。柔道着や、ラガーシャツが似合いそうである。
史も畳にそっと手を付き、軽く頭を下げた。
「生憎、私はその場に居合わせませんでしたので、お手伝いできることは少ないでしょうが、どうぞ隅々までご確認くださいませ」
怪我をさせた相手が人間となれば、最悪の場合廃棄処分されるというのに、ゼパールにも史にも、往生際の悪さや諦念といったものは、一切漂っていなかった。肝の座ったコンビである。
コツコツと、曲げた中指で座卓を叩き、久志がうんざりと息を吐く。
「つーか、早くしてくんないっすかぁ? オレ、被害者なんですけど」
また脅し付けてやろうかコイツ、と胸中で呪詛を吐くが、史は彼の言動にいらだった様子など見せずに微笑み、
「ああ、そうね。ごめんなさいね、久志君。おばあちゃんになると、ついつい長話になっちゃって。お二方も、どうぞお座りになってくださいな」
いたって爽やかに、私とメフィストへ着座を促した。
公平さを保つべき、というより、座卓に大人二人が座る余地はなかったので、入り口横に腰を下ろそうとした。メフィストもそれに倣ったが、素早くゼパールが、座布団を二枚用意してくれた。
「ありがとうございます」
「いえ、恐縮です」
タンクトップとショートパンツ姿の偉丈夫に、冷えた麦茶まで供された。出で立ちを除けば、非の打ちどころのない紳士である。
「ほら、護もさっさと座んなさいな」
護は無言で成り行きを見守っていたが、史に促され、逡巡の末、久志の隣に座った。
「では……弊社へ、久志さんからご連絡いただきました内容を、改めてご案内いたします」
史とゼパールは神妙な顔で、久志とメフィストは気だるそうにうなずく。いや、メフィストよ、君は真面目にしなさいよ。
「こら!」
こちらが咎める前に、毅然としたお叱りの声が飛ぶ。声の主は史だ。
「久志君、メフィストさん! 話を聞く時は正座!」
「あっ、うっかりしてました。すんません」
「……」
メフィストは苦笑いで、久志はななめに視線を落としたまま無言で、それぞれ姿勢を正した。
護は何とも気まずそうな、居心地の悪そうな様相である。
被害者と加害者の、どちらも良く知る立場なのだから、それも当然か。
仕切り直し、クレーム内容を一同に開示する。
今更ですが。
登場人物の内、人間の苗字は高知の地名から。
ビーストの名前やその他名称の多くは、コラン・ド・プランシーさん著『地獄の辞典』より拝借しております。
高知の皆さま、プランシーさん、ごめんなさい。