第七話 洋食屋レメゲトン
久世邸でのドロドロの愛憎劇を打ち切ったのは、久世ではなくアミィ自身だった。
口を開けたものの、モゴモゴと何を言っているのか分からない彼に代わり、アミィは顔を上げた。
「旦那様。私の所有権を、どうか放棄なさって下さい。これ以上、旦那様や奥様にご迷惑をおかけできません」
声はかすかに震えていた。しかしこわばっているものの、表情に迷いや怯えはなかった。
「私はビーストです。お客様の生活を豊かにすることが、私の喜びです。お客様の不幸は、私の悲しみです……旦那様のお心を追い詰めてしまった事、奥様の優しさを裏切ってしまった事を、本当に、申し訳なく、思います」
そう言ったきり、再びうつむいた。
久世も、久世夫人も、同様にばつの悪い顔になっていた。
アミィは従順で、大人しい家政婦として生み出された。
その従順さによって生み出されたのが、残念なことに、この昼ドラ展開だったのだろう。
だが、最後に彼女は久世でなく、自身の良心に忠実となり、自分が唯一持つ権限「所有者が持つ所有権の拒否」を発動した。
彼女の希望通り、久世は所有権を放棄。仕える者のいない、宙ぶらりんの存在となったアミィは、その後モンペリエの塔へと保護された。
「いらっしゃいませ……あ、光さん!」
ずいぶんと新しい職場にも慣れたらしい。アミィはエプロン姿で、きらきらとした笑顔を浮かべ、出迎えてくれた。後ろで一つにまとめられた髪も、鮮やかな橙色に輝いている。
「調子は? 慣れてきた?」
「はい。店長さんも、お客様も優しくて、良くしていただいてます」
窓際の席に、サキムニと座る。相変わらず、店内はほぼ満席だった。
会社員から、学生らしき若いグループまで、客層の幅はなかなか広い。
主体性のないサキムニは、いつも日替わりランチを注文する。メニューで悩むときりがない性格なんです、とは本人の弁だ。
私はオムライスを注文した。
途端、サキムニからげんなりした声が、投げかけられた。
「光先輩ぃ、三日連続オムライスですよ。飽きませんか?」
どこへ行っても日替わりランチを頼む男から、呆れた視線も注がれた。何だろう、この腹立たしい気持ちは。
「ここのオムライス、卵にチーズが混ぜてあって、どこよりも美味しいの」
つい、ふてくされたような返答をしてしまった。注文票にオーダーを書き込んでいたアミィが、くすり、と笑った。
「店長さんにそれ、伝えておきますね。お調子者だから、きっと喜びますよ」
「じゃあ、ついでにデザートとかオマケしてくれたら嬉しいな、とか言って欲しいな」
「それとなーく、言ってみますね」
晴れやかに笑い、アミィはカウンター奥の厨房へ引っ込んだ。カウンターには酒瓶が多種多様に並んでいる。そういえば、夜はバーも営んでいる、とアミィが言っていたか。
先輩ずるい、とサキムニの拗ねた声が聞こえた。
「一人だけ、デザート……」
日替わりランチも含め、ランチメニューには、サラダとスープしか付いてこないのだ。
「デザート付いてきたら、半分上げるから」
よく冷えた、ほのかにレモンの香りがする水を飲み、ステンドグラスのような窓へ目を向けた。
外観と同じく、内装も木で統一され、落ち着いた空気が漂っている。一歩外に出ると、にぎやかな商店街、というのが嘘のようだ。
客もその雰囲気を愛しているのか、会話は自然と、ささやき声になっている。
「おいおい、マジかよ! そんなに褒められちまったのか?」
そのささやき声を、一気に吹き飛ばすような声が、厨房から飛んで来た。かすかにアミィの声も聞こえるので、件のお調子者な店長と話しているのだろう。
「本当にお調子者ですね」
身を低くして、どこか楽しそうに、サキムニがささやいてくる。うん、とうなずき返した。
「そっか、そっかぁ。んじゃあ、ちょっくら挨拶するしかねぇなぁ」
声が厨房からホールへ近づいてきた。
お調子者にも程があるだろう。
半ば呆れて振り返ると、どこかで見た褐色肌の、ふわふわした黒髪の若者が立っていた。
相手も、ガーネットを連想させる瞳を丸くして、口をあんぐり開いている。
「あらま。あなたがここの店長なんだ」
「あらま、じゃねぇよ! なに普通に、飯食いに来てやがんだよコラ! 人のことぶっ殺しといてよぉ!」
殺す、という言葉に、店内が半ばざわつく。
「だって、あなたが店長って知らなかったし」
頬杖をついたままの私の傍らで、サキムニが素早くウィッカを操っている。
「あ、本当だ。登記簿上のオーナーは、えーっと、メフィスト、さんの所有者さんになってますが。管理責任は、メフィストさんに委託されてますね」
「おぉ、やるじゃねぇか、ウサ公」
腕組みをして、メフィストはエラそうに鼻息を吐いている。そのウサ公が、君を車の下敷きにしたんだよ、と今は言わずにおこう。
代わりに、出来るだけ柔らかな口調で、弁解する。
「こっちもアミィさんの様子が気になって、通ってたんです。それにここ、味も美味しいですし」
途端、メフィストが破顔した。
「なんだよ、なんだよ! べた褒めしやがってよぉ! あ、ひょっとしてお前ぇ、俺に気でもあんじゃねぇのか?」
「いえ、それだけはございません」
首を振って即答した。こいつ、どれだけ短慮なんだ。
「あぁ?」
こちらの冷めた声音にすぐさま、強面に戻る。私のブラウスの袖を掴み、すがりついてくる半泣きのサキムニが、視界の隅で震えていた。
ずい、と顔を近づけて、メフィストが唸る。間近で見ると、申し訳ないが、ますます幼く見える。サキムニと、さして年齢は変わらないような。
「調子こいてっと、出禁にしてやるぞ? あぁコラ?」
他のお客なんてお構いなしに凄んでくる彼を、アミィが諌めた。
「店長、光さんは私の恩人なんですよ!」
「でもよぉ」
彼女へ振り返ったメフィストは、半ば弱腰になっていた。
「こいつが邪魔しやがらなかったら、アミィの姉ちゃんもさっさと、ビール腹親父とヒステリック婆から、オサラバできたんだぜ?」
「代わりにきちんと、旦那様と奥様にお礼も言えましたし……お返しするものも、返せましたので」
拗ねた彼をなだめるアミィの胸元に、ネックレスはもうなかった。
そしてこちらの休憩時間も、なんだかんだで残り少なかった。
店長頼みますよー、と、三人がかりで褒めちぎってランチを作ってもらいつつ、青柳に「チンピラに因縁を付けられたので遅れます」と、メールを送ることも忘れなかった。
なお、デザートは、当然付けて貰えなかった。




