第六話 王子様
彼岸市駅の東側にそびえ立つ、象牙の塔。それがプランシー社の本社だ。
「お前はアホか」
あの日、帰社して課長の青柳から最初に受けた言葉が、それだった。
そして今日も
「お前は本当にアホだよな」
「お前呼ばわりは、パワハラになります。アホという自覚はあるので、名前で呼んでください」
真っ白なオフィスに配置された、真っ白なデスクに置かれたモニターをいじりながら、せめてもの抵抗をする。
自分のウィッカの中身をモニターへぶちまけ、業務内容を、社員共有のカンパニー・ウィッカへコピーしていく。ついでに大画面で、ウィッカ内の私物も整理整頓。
ささやかな反論を聞き入れたのか、聞き流したのか。少し離れた課長席から、青柳はまた続ける。
「わざわざ、客のところからビーストを引き離し、あまつさえ契約破棄にするとはな。アホに違いない。仕事も立て込んでいるというのに、我が社の利益を損なう厄介も起こして、御立派なことだ」
「企業理念に乗っ取った上での対応です。仕事も、一応計画通り進行中です」
「なおかつ、モンペリエの塔にビーストを保護させるとは。商売敵に塩まで送る優しさには、私も脱帽だよ。上杉に改名するかね?」
「モンペリエの塔は、NPO法人です。正式には、商売の敵ではありません。代表者も、武田さんではなく、今川さんだったはずです」
相手にするのもいい加減、うんざりしたので、青柳の湿った顔へ目を向けた。丁度、マイ・ウィッカの整頓も完了したことだ。
「アミィさんの件は上申書も提出して、部長の許可も出ましたよね?」
ようやく、青柳が沈黙した。サキムニを含めた周囲の同僚たちは一様に、先ほどから黙りこくって、事の成り行きをこっそり見守っている。
大仰に、青柳が天井を仰いだ。
「まぁ、今回の場合は、放っておいて不倫問題が公になっていれば、我が社の心証も悪くなっていただろう。判断としては正しい、としておこう。ただし」
語尾を荒げて一旦間を置き、こちらをじろりとにらんだ。
「独断専行は、課の調和を乱し、仕事に支障を来す恐れがある。以後、トラブルと遭遇時には必ず、私に報告し、指示を仰ぐように。いいかね?」
「了解、課長」
棒読みの返答と、お昼のチャイム音が重なった。
普段は腰が重いのに、こういう時の青柳は素早い。財布片手に、誰よりも早く昼食に躍り出た。
続いてぞろぞろと、外へ向かう同僚や先輩たちが、にやついた顔で横を通って行く。
「さすが、和製ミラ・ジョヴォビッチ。ミイラ相手にも、課長相手にも強気だよな」
「ミラ・ジョヴォビッチが戦ったのはゾンビですし、私が応戦したのは再生能力があるビーストと、島流し中のオッサンです」
ゲラゲラと、笑いが返ってきた。
他の同僚が、ボスン、と女性相手にしては気合の入った勢いで、肩を叩いてきた。
「お前が課長にズケズケ言ってくれるからさ、俺は気持ちいいけどな」
「俺も。あいつ、刺又ばっか使わせるし」
「連中相手には、火炎放射器ぐらい使わせて欲しいよなぁ」
がはは、と能天気に笑いながら、彼らはエレベーターに乗り込んだ。
男臭い我が保安課だが、メンツが体力自慢の実働部隊だけ、というわけではない。サキムニを初めとする支援部隊も、オフィスに常駐している。こちらは、サキムニを除いて全員が女性だ。そして、次にランチへ向かうのは彼女たち、と決まっている。
一番年若い女性社員が、ちょこちょこと、エレベーターへ向かう途中でこちらに駆け寄る。
「光君、さっき恰好良かったです!」
他の女性たちも「光君かっこいい」、「光君、超素敵!」と連呼して、褒めちぎってくれる。ついでに、べたべたと触られる。
彼女たちが通り過ぎると、ふわり、と甘い香りが漂った。
三十代半ばの、女性たちのリーダー格も、最後に笑顔で近づいてきた。
「課長もやり込めちゃうとは、光君やるね」
ウィンク一つ、柑橘系の爽やかな香りを残し、彼女も去って行った。
彼女を見送りながら、そっと、自分のブラウスをつまんで匂いを嗅いだ。かすかに、石鹸の匂いがする程度だ。香水を付けていないのだから、それは当然か。
彼女たちは必ず光「君」と呼ぶ。サキムニによると、
「女性陣にとって、オアシスというか、目の保養というか、そういう存在らしいですよ。いつもパンツスーツだし、少女漫画の王子様キャラっぽいって言ってました」
とのことだ。
嫌われていないことが嬉しい反面、素直に喜べない、この歪んだ好意よ。
そして大体、最後にお昼に出るのは私と、隣の席のサキムニだ。
サキムニのOJT担当が私、というのもあるが、お互いに己の所属するグループで浮いているためでもある。
おみそコンビ、というわけだ。
「じゃあ、出ようか」
「はい」
立ち上がったものの、サキムニはまだ何か言いたげだ。頭髪と同じ、茶色の柔らかい毛を生やしたウサギ耳が、ピクピクと細かに動いている。
ちなみにこの耳は、酔狂なコスプレ等ではなく、彼の頭から直に生えている本物だ。勿論、耳としての機能も備わっている。代わりに、人間の耳は生えていない。
誰なんだろう、男にこんなものを植え付けた、強化人間開発課の社員は。
「あのぅ、課長に盾突いちゃったりして、大丈夫なんですか?」
サキムニが、おっかなびっくりと、こちらを見上げた。
「私、なんだかんだで成績良いし。心配しなくても、廃棄処分にはならないよ」
「光先輩は人間だから、廃棄されないでしょ?」
「でも異動とか、クビならあるよ」
ざぁっと、音を立てて、サキムニの顔が青ざめる。
「ヤですよ、僕! 光先輩が異動とかになったら、ここで生きていけません!」
「あんたも課長、苦手だもんね」
気の弱い彼のため、「嫌い」という表現は避けた。
一階まで降りていたエレベーターが、ようやく上がってくる。二人で乗り込み、会社の外へと出た。
駅近くに居を構えているので、飲食店は周辺にごまんとあり、食事には困らない。
しかし最近の行きつけは、アミィを捕獲した、あのまんじゅ商店街にある洋食屋だった。ここからだと、少しばかり距離がある。二人縦に並んで、それなりに往来のある歩道を進む。
その道すがら、通りすがりの中年女性がサキムニを見て、にっこりと眼を細めた。
「あら、可愛らしいビーストですね」
自分のビーストじゃないんですがね、と思ったが、とりあえず会釈だけ返す。
可愛い、と言われて不本意なのかと思いきや、サキムニは頬を赤らめて、茶色の髪をかいている。女としては背の高い私と並ぶと、サキムニの小柄さと愛らしさは、確かにより、際立っていた。
なんとも不本意な気分になる。
可愛いなんて、むしろ、こっちが言われたい台詞なのに。
なお、保安課で働いている人間の大半が、個人でビーストを所有していない。
自分のビーストがトラブルを起こした場合にメンツが立たない、というのもあるが、自社商品に対する信頼を持っていない、というのが、恐らく大きな理由だろう。
十分ほど歩いたところで、目当ての洋食屋に着いた。
店の名前はレメゲトン。色ガラスをはめ込んだ、古風な木造のこの店が、アミィの新しい職場だった。