第三十三話 オムライス
※痛そうな描写がございます。苦手な方はご注意ください※
三階の従業員用通路の、奥の奥に、その鉄扉はあった。
一般従業員の立ち入り厳禁と、何カ国語にも渡って書かれた注意書きが、鉄扉奥の真相を知らずとも不吉な思いをかき立てる。
「しかし、よくここにいるって分かったね。腕輪はエウリノームが捨てたはずだろ?」
「入念なリサーチと、冴え渡った勘によるものです」
「女の勘は怖いね。オレも気を付けなきゃな」
にやけた顔のまま、鉄扉の横に設置されたパネルの蓋を、拘束された腕で器用に開ける。そして、右手の指をパネルに押し付けた。
指静脈認証。
次いで、右目をパネル上部のカメラに寄せ、虹彩認証。
厳重な砦を越え、ようやく進軍を許可される。
開かれた扉の奥から立ち込めて来たのは、例の麻薬精製所とは比べ物にならない、血の臭い。
両手を広げた状態で、上半身にいくつものボルトを打ち込まれ、メフィストが壁にはりつけられていた。うなだれたまま微動だにしないので、意識はない様子だ。
彼の鎖骨辺りから腹部に至るまで、真っ赤に染め上げられていた。そして床一面に、血や、なにかの塊が散らばっている。
塊の一つを蹴飛ばしながら、エリオは快活に言ってのけた。
「処刑する前に、新しくウチのお抱えになった医者の、練習台になってもらってたんだよ。切っても切っても再生しやがるし、いやー、便利だった」
その笑い声に、視界いっぱい赤く染まったような気がした。彼に対し、明確な殺意が湧き上がる。
だが、それを噛み殺した。
磔にされたメフィストの傍らに、やはりいたのだ。エウリノームが。
このねばついた匂いにまみれることなく、彼は美しい笑みを浮かべて立っている。
束の間、エウリノームとぎらついた視線を交わす。
「おーい、メフィ。女王様が助けに来てくれたぜ」
処刑係らしいチェーンソーやハンマーを持った男たちを、顎をしゃくって下がらせ、エリオがメフィストへと近づいて行く。
両手がふさがれているので、時折バランスを崩しながらエリオは進んだ。床に落ちている、いわゆるホルモンに相当するものを磨かれた革靴で踏み潰し、顔も血まみれのメフィストへ、軽くビンタを入れた。
「……あ……?」
朦朧とした目が、ゆっくりと上げられた。辺りを見渡し、そして、場違いにめかしこんだ女を見とめる。
途端、大きく、炎のような瞳が見開かれた。
体を切り刻まれ、血が足りていないのだろう。土気色の肌に囲まれた瞳は、いつも以上に鮮やかに思えた。
声帯も潰されたのか、それとも叫び過ぎてイカれたのか。ガラガラのしわがれた声で、怒鳴られる。
「ヒ……カル、てめっ! 何、しに来てんだよ! 服、エロ……ッ!」
「大きい声で、エロとか言わないでよ」
「太も……もが、ま、たエロい!」
「だから言うなって、言ってるでしょ!」
指摘されると、胸元も背中も丸見え、足もむき出しのワンピース姿に改めて羞恥心を覚える。
「そ、れに、何でぇ、そのヅラ!」
「ウィッグ! ヅラじゃない!」
「ぶっ、似合わ、ね……ッ!」
「はぁっ?」
思わずムキになったところで、コンクリートむき出しの室内に、パチン、と軽やかな音が反響した。
「はいはい、ちょっと落ち着いて」
指を鳴らし、エリオが自身へ注意を向けさせた。言葉は、英語に変わっていた。
マフィアの言葉に従うのも癪だが、頭に血が昇っていたのも事実なので、黙ることにする。
拘束された腕を捻りながら、さて、とエリオが呟く。
「皆、突然の華やかな闖入者にとまどってるようだが、彼女は光ちゃん。この不死身ボーイを返せ、と押しかけてきてね」
周囲を見回して告げられた言葉に、誰よりも早く食いついたのはメフィストだった。
壁へ打ち付けられた体を必死にうごめかせ、潰れた声で叫ぶ。
「なっ……んで、こい、つが、俺の尻……ぬぐいに、来て、んだよッ!」
「お前今、モンペリエから彼女にレンタルされてるらしいぞ」
「し、るか! こんな女、関……係ねぇ! か、えれ!」
最後の怒鳴り声は、私に向けてのものだった。
「帰るか、ばか!」
当然、怒鳴り返す。
「馬っ、鹿はて……めぇだ! お前ぇは、お、となしく、暑、苦しい格好で……ビースト捕まえ……てりゃ、いいん、だよ!」
「でも」
「でも、じゃ、ねぇ! お前ぇ……をっ、逃がしたのも、成り、行きだ!」
血を吐くような声で、彼は続ける。
「気に、病んで、んじゃねぇよ……俺を、見捨てろ」
荒い息をつくメフィストの頭を軽くつついて、エリオはこちらを見た。
「な? だから俺の一存じゃ、こいつを返してやれないんだ」
「でも……」
顔を歪める私に、エリオはとびっきりの笑顔を作る。
「さっきも言ったけど、あんたはゴージャスでセクシーだ。それに、物分かりがいいと見た。このままメフィストを諦めてくれれば、警察にもチクらないと信じて、帰してあげよう。うちのレストランの、ディナー券もお土産にしてね」
マフィアとしては破格の、好意的な申し出である。
別に家族でもなんでもない、ただの知り合い相手に、命張っちゃってどうするの?
保身を望む心の一部は、エリオの提案に傾きかけた。
「でも、お断りだ!」
その心をねじふせて、負けん気の強い自分が吠えた。
「そっちの事情なんて、知ったこっちゃない! メフィスト、あんたの所有権は、いま私が持ってるの! つべこべ言わずに、戻ってこい!」
「はぁっ?」
しかめっ面を上げた彼を、ギロリとにらんだ。
「それに私は、あんたのオムライスが大好きだ! 私が高血圧になるまで、あんたを解放する気はない!」
「オム……?」
かくん、とメフィストの口が開いた。
エリオも笑顔を忘れ、間抜け面になっていた。
エウリノームはそのまま、薄ら笑いで突っ立っている。
対する私の心境は、「わー、大見得切っっちゃったー!」と後悔半分、興奮半分。要するに熱気渦巻いていた。
「社畜風情が、俺たちの儀式を邪魔するな!」
呆ける当事者たちに代わり、唸り声を上げたのはチェーンソーの男だった。チェーンソーの電源を入れ、耳障りな音と共にこちらへ走り込んでくる。
「こら、女性の話を邪魔するんじゃあない!」
「ヒカ、ル、逃げろ!」
伊達男と血まみれ男の叫び声が、同時に上がった。




