第二十三話 セガール
そのビーストの名を口にした途端、柄の悪い男たちの顔つきが、更に悪くなった。
殺気だった視線を受け流しながら、椅子の裏でしゃがみ込んだままの白い頭を見据える。
ホスピスで働く彼の特異性は、触れた人間が感じている疼痛の緩和。その力は、彼の血液内の成分に由来する、と記録されていたのを思い出す。
「一石二鳥の、典型的な例ですね」
「二兎追う者にならないよう、心して対応するように」
「了解、課長」
周囲から、恫喝の声が被さる。
「なに普通に通信してんだよ、ボケ!」
「ナメてんのか? 犯すぞゴラァ!」
男たちからヤジと脅しが押し寄せる。手を合わせ、それなりにしおらしくした。
「すみません、すみません。上司からの通信なんで、そこは大目に見て下さいよ」
「……上司じゃあ、仕方ねぇな」
安田が肩を落とす。なんだ、そこは素直に応じるのか。
「そうなんですよ、すいませぇん。すぐ、切りますね」
通信を切断しながら、サキムニを軽く小突いた。安田を見つめたまま、かそけき声で指示を出す。
「サキ。引き続き、実地訓練ね」
「え?」
涙ぐんだ彼の目が、こちらを見上げた。軽く微笑んでやる。
「君の特異性で、有事の際には、私を補佐しなさい」
ぎょ、とサキムニの目が丸くなった。しかし、すぐにこくり、と小さくだが頷いた。
それに頷き返し、改めて男たちを見渡す。
「すでにご承知かとは思われますが、私どもはプランシー社の者です」
「見りゃ分かるよ」
安田が顎を突き出し、目を細めた。じっとりした視線は社章に向けられていた。
「で、イビスさんの勤め先からの捜索依頼を受け、何の因果かここに辿り着きまして」
「ふざけんな! 無理矢理ついてきたんじゃねぇか!」
叫んだ日ノ出に、すかさずビンタをする。
すっぱ抜いた音に、ギャラリーがかすかに動揺を見せた。
「なんだこの女?」
「普通、会社員がすぐ手を出すか?」
「なんて暴力的なんだ。喋っただけでビンタだなんて、俺ら以上じゃねぇか」
「かなりヤバい部類のヤツに、俺たちは見つかってしまったのか?」
と、目で相談し合っている。彼らの推測は、おおむね正しいと評価しよう。
ハイハイ、と手を叩いて、視線を再度こちらへ集中させる。
「普段なら、イビスさんの保護が最優先ですが。今回はそこに、警察が捜査中の麻薬事件も、絡みついている可能性があります。ですのでイビスさん以外の皆さんにも、ご同行をお願いしたいのですが」
「言われて、ヘコヘコついてくと思ってんのか?」
「ご案内の上、ご理解して頂けるのが弊社としても、あなた方にとっても、良い選択だと思いますよ」
ソファに座っていた男の内、ニット帽を被った男が、ゆらりとこちらへ歩み寄る。
「ダラダラダラダラよぉ、話が長ったらしいんだよ! 校長かよ、クソアマ!」
上手い喩えだ、と称賛する間もなく、男の右拳が眼前に迫る。
「きゃー!」
悲鳴を上げたのは、サキムニだ。
半歩ずれ、わざと頬にかすめさせる。体を斜めに捻ったまま、通信。
「話し合いでの解決を目指すものの、相手方より暴力あり。危険度を急きょオレンジと判断します」
「はい?」
独白に近い通信に、男が顔を傾けた。同時に、私の両手に紫電が走る。
「サキ!」
叫ぶと同時に、体が歪みに吸い込まれる。
うわぁ、と男たちから間抜けな声が上がる。
それは、突然私たちが姿を消したことに対してか。
それとも、消えたと思ったら、奥で仁王立ちをしている安田の前に現れたからか。
ぽかん、と口を半開きにしている彼を捉えながら、机上へ着地。
すかさず顎へ、蹴りを一発。後転して、机を飛び降りる。
続けて、よろめいた脇腹へ膝蹴りをねじこむ。
とどめとばかりに、増幅させた生体電流をまとう掌底を、安田の顎に打ち込んだ。
濁音を漏らしながら安田の体は、椅子をも巻き込んで横倒しになり、動かなくなる。
そばでしゃがみ込んでいたイビスは、サキムニが泣きながら引っ張り寄せていた。
死なない程度の威力にはしたものの、安田はしばらく起きないだろう。横たわった体は、弛緩しきっていた。
トップ狙いの反撃に、残りのメンバーは明らかにうろたえていた。
尻込みする人間など、相手ではない。
悠然と、振り向いて連中を見つめる。
「まだやる?」
こっちはやる気満々ですよ、と暗に含める。両手に走る電流も、これみよがしにちらつかせる。
ブルブルと、首を横に振る動作が返ってきた。あちらの被害は最小限で、こちらの手間も最小限の、実に平和的決着である。
「じゃ、ご同行願えますね?」
今度はコクコク、と即座に首が上下する。
足元から声がした。
「なんだか、スティーブン・セガールみたいですね、光先輩」
「それって、褒め言葉じゃないよね?」
じろりとサキムニをにらみ、そして気づいた。
イビスがしゃがみ込んだまま、媚を売るような笑みを浮かべてた。ちくり、と違和感がうなじを刺した。
それを振り切って彼へ、放電を止めた手を伸ばす。
「それじゃあイビスさん。あなたも念のため、一度弊社まで来ていただけますか?」
しかしイビスは手を取ることもなく、ますます卑屈な笑顔を浮かべた。
「どうしても、ついて行かなきゃダメですか?」
一瞬、その問いに面喰う。
「どうしてもって……だってあなた、被害者でしょ?」
「いや、でも、そこまで俺、気にしてないっていうか」
「だとしても、麻薬の材料があなたの血液ですから。話は聞かせて貰わなきゃ」
声を荒げたつもりはないのだが、段々、彼の顔色が悪くなる。
先ほどの違和感が、再び首をもたげる。そして、言ってしまえ、と発破をかけて来た。
ええい、ままよ!と切り出す。
「ひょっとしてあなた、被害者ではなく、関係者なの?」
「え?」
と、サキムニが飛び跳ねるのと、イビスが後ずさるのは、ほぼ同時だった。
元々、繁華街を遊び場とし、勤務態度も芳しくなかったビーストだ。
自ら進んで、悪い友人を作っていたという推測も、ありうる。
また、自ら進んで、自分の血を商品にしたことも然り。
顔面に脂汗を浮かせているイビスを見ていると、心は怒りに燃えず、むしろどんどんと冷めていった。私の表情を盗み見たのか、大人しくなっていた男どもから、短い悲鳴が聞こえた。
なぜこうも、心は冷え冷えとしているのか。ホスピスを、そこにいる患者を、そして彼を生み出したプランシー社を裏切った行為への、軽蔑の念だろうか。
凍てついた脳は、新たに一つの疑問を提示した。
「関係者なら、訊きたいんだけど。血液から麻薬を作る知識なんて、どこで手に入れたの?」
埃だらけの部屋の中で、それだけは念入りな手入れをされている、実験器具、いや精製器具を示す。
「これの提供者は誰? あんたたちだけで、思いついたわけじゃないでしょう?」
男たちは間の抜けた顔で、視線を交差させている。
「それはそうだけど……俺らも、安田さんに言われてやってただけだし」
「そうそう!」
土下座をするかのように這いつくばり、イビスも大きくうなずいた。
「俺も、安っちから誘われただけなんですよ! だから、詳しく分かんないんだけ、ど」
目を細めると、台詞半ばでイビスはたじろぎ、また後ずさる。しかしそれを許さずに、すぐさま肉薄し、壁際へと追い込んだ。
「よく分からずに、自分の血を提供していた?」
「だって、あいつから、すげぇ金になるって言われたんで」
「あなたの特異性は、そんなことのために使うものじゃない」
きっぱりと切り捨てる。
イビスの顔に、わずかながら赤みが差した。腰を浮かせ、こちらをにらみ返して来る。
「じゃあ一生、あの死にぞこないたちの面倒見てろってか? 安い給料で、散々働かされてさぁ! アンタらみたいに、好きで選んだ仕事じゃねぇのに!」
かすれた怒声と共に、イビスが握り拳を作った。それを、硬直したまま見ている己がいる。
咄嗟に何も、言い返せなかったのだ。
青柳ならば、
「そのための労働力として、君は造られたのだ。諦めろ」
と即答しただろう。いや、多くの人がそう答えられるだろう。
しかし私は、喉が詰まる感触に戸惑っていた。頭も混乱していた。
それは決して、彼らに対する友愛や敬愛の念といった、高尚な感情によるものではない。
サキムニや、アミィや、ゼパールや、サウジーネや、そしてメフィストの顔が脳裏をかすめ、言うべき台詞をかき混ぜ、濁ったスープに変えていくのだ。
合コンの失敗談を聞いて爆笑し、静かに私の義手を受け止めてくれた彼を、どうしてただの労働力として認められようか。
「慣れ合い過ぎだ」
脳内の青柳と、そして、冷静なもう一人の己が酷薄に、そう告げる、
こちらがたじろいでいる間に、イビスが立ち上がって拳を振り上げた。少しのためらいを見せつつ、それが顔面に迫る。
しかし、体とは恐ろしいものだ。
半ば思案の殻に籠もった状態であっても、腕は素早く跳ね上がり、イビスの突きを真正面から受け止めていた。
「主張と暴力は、別物だと思うんですが」
「ひっ!」
受け止めた手に力を込め、イビスを見下ろす。
そうだ。彼の言い分には一理ある気もするが、だからと言って殴られるのはご免だ。
「君の主張をゆっくり教えてもらうためにも、大人しくついて来なさい」
「嘘つけ! どうせすぐ、廃棄処分にするつもりなんだろ!」
「問答無用の廃棄処分なんて、私がさせません……って、足癖悪いね、君!」
足をばたつかせて暴れるイビスを抑え込むのと、扉を叩く音がするのは、ほぼ同時だった。束の間、室内に沈黙がもたらされた。
来訪者か? だが、こんなごみ溜めに誰が?
ノックの主は、こちらの返答を待たずに扉を開けた。




