第十二話 サウジーネ
※女性が性的な暴力を受けていた、とほのめかすシーンがございます※
なお、性犯罪はダメ、絶対!だと思います。
「麻薬だけど、麻薬じゃない、ですか?」
「ああ」
「それって、合法ドラッグとか、無認可の薬ってことですか?」
「いや、そもそも薬品ではないらしい」
「何のこっちゃですね」
「同感だ、忌々しいことに」
小型ヘッドセットの奥から、青柳の疲れた声が相槌を打つ。
ビースト絡みの犯罪が昨今増えているため、彼のように、プランシー社へ出向している警察官は何人か存在する。
今回の久志の件も、成り行きでプランシー社も介入する羽目となった。そのため、青柳が双方のパイプ役となっているのだが、もどかしい状況が続いているようだ。
「効果としては、モルヒネに類するもの、らしいんだが……その成分が、今までの麻薬と全く違うらしい。私も又聞きなので、詳細までは分からないが」
「つまり、まだ長引きそうということですね。お疲れ様です」
「まさか宿毛から、労いの言葉を貰えるとはな」
喉を鳴らして笑う声がする。
「そういえば、今日は珍しくズボンじゃなかったな」
「パンツ、ですね。今日これから、少し私用がありまして。この案件片づけたら直帰してもいいですか?」
「その前に一度、物部 久志との面談時の状況を、再聴取したいんだが」
「映像は注釈つきで、カンパニー・ウィッカに入れてます。あと、明日の朝一で再度報告しますから」
「……一応、今夜は回線が繋がるようにしておけ」
「了解、課長」
通信切断。
渋々ながら、直帰の許可を得る。ガッツポーズを思わず取った。
「おい、コラ。なに人の上で調子乗ってやがんだよ!」
股下から唸り声がした。
見下ろすと、骨折した四肢をギシギシ再生させながら、メフィストが歯を見せて吠えてきた。
顔の肉が薄いので、飢えた猟犬のようだ。
「いつまで馬乗りしてやがるんだいって、訊いてんだよタコ! てめぇ、マジで重てぇんだよ! 全身筋肉か!」
「ああ、ごめん」
体重に触れられてカチン、と来たが、己の体脂肪率を思い出し素直に降りる。
バレエシューズが踏みしめたのは、いつかの駅前広場ではなく、安価なベージュの絨毯。
モンペリエの塔が、保護したビーストの一時避難場所に使っていた、ビジネスホテルの一室だ。今回こちらが嗅ぎつけたことで、また別の隠れ家を探す羽目になるのだろうか。だとしたら、ホテル側には実に申し訳ないことをしてしまった。
質素なホテルの室内には、机と間接照明、そしてベッドしかない。
そのベッドの上に、真っ白な肌をした、ブロンドの女性が座っている。味気ないジャージ姿だというのに、どこか艶っぽく、華がある。
彼女がビーストの、サウジーネ。
所有者はクラブの経営者であり、そこの従業員として所望された彼女は、動かなければ、陶器人形のように美しい。明るい青色の瞳も、澄んだ湖畔を連想させる。
「ねぇねぇ、アタシどうなるの?」
ただし、口を開けば舌っ足らずで、恐ろしいほどに幼稚。気品ある面立ちとの、著しいギャップを発生させる。
再生も完了したメフィストが立ち上がり、腕を組んでサウジーネの前に立つ。
「今回は、マジだ。マジで、プランシーに譲る気はねぇ! この嬢ちゃんが、どんだけ酷ぇ目に遭わされたと思ってんだ!」
短慮な彼の性格は織り込み済みだ。両手を上げ、敵意はないと示す。
「大丈夫。ウチも、所有者の元に戻すつもりはないから」
「はぁ? するってぇと?」
どうなんだ?と首をひねる仕草が、妙に幼かった。
「今回、ちょっと事情がややこしくて。異例扱いになってるの」
「……じゃあ何で、俺の手足折ったんだよ?」
「えーっと、事情をまとめますとね」
「おい、無視してんじゃねぇぞ」
「そっちが抵抗して、部屋に入れてくれなかったからでしょ」
「だからって折るんじゃねぇ! 両手両足も! 過剰防衛じゃあねぇか! そもそも素手で人骨折るって、どんな筋肉してやがるんだよ! 超人ハルクか!」
悪かったよ、と受け流しながらウィッカを開き、画面をいじる。
すると、メフィストに半ば身を隠すようにして、サウジーネがこちらへ顔をのぞかせた。
「テンチョーのトコに、帰んなくていいの?」
「ええ、一応は」
「よかったぁー!」
無垢と呼んでも差し支えない、歓喜一色の笑顔が向けられた。
しかし、それもすぐに消え、代わりに幼子のように口を尖らせる。
「だってね、テンチョーね、ひどいんだよ? オッチャンの話きいてたらいいって言ってたのに。はだかにされてね、体中さわられて、なめられたの」
あけすけな訴えに、メフィストが固まっている。それに気付かず、こちらを見上げながら、両手で拳を作って、サウジーネは訴え続けた。
「で、『おとなのおちゅうしゃ』って言って、いたいいたいされたの。それにオッチャンたちのからだも、なめろって言われた。いたかったし、くさかったし、もうイヤ!」
メフィストは視線をさまよわせながら、いたたまれない表情になっている。それはおそらく、映像を見ている保安課の人間も同じだろう。
サキムニの場合、刺激が強すぎて失神しているのではなかろうか。
柔らかい金の髪を撫で、なおも訴えを続けようとするサウジーネをなだめた。
表情も努めて、角のないものを浮かべる。
「大丈夫、サウジーネ。もう裸にならなくていいし、店長さんの言うことも聞かなくていいの。実はあなたのお友達から、サウジーネを助けてくださいって、お願いされてるの」
「そうなの?」
目を輝かせるサウジーネ。
正直、彼女の同僚が窓口課へ訴えた内容は、実に突飛なものであり、当初は眉唾ものだった。だが、こうして彼女と会話をして、真実であると確信する。
「サキ、今大丈夫?」
「へっ? あ、はぁい!」
普段以上に慌てた声で、サキムニが応じる。まさか、本当に失神してたんじゃ?
「彼女との面談で、同僚からの訴えに信憑性ありと判断できた。お願いしてたもの、用意できてる?」
「あ、は、はい! いま転送します!」
最後も慌ただしく、通信が切断される。
転送が完了するまでの間に、サウジーネへウィッカを示した。
「サウジーネは、こういうの持ってる? 本の形をした機械で、ウィッカっていう名前の」
「もってたけど、服といっしょにテンチョーにとられちゃった」
身分証明書の不当な剥奪。店長の罪が、また一つ増えた。
うつむく彼女の頬を撫で、それじゃあ、と自分のウィッカを操る。
「ねぇ、このお話、読める?」
画面に表示したのは、小学校一年生の、国語の授業でも使われる物語だ。ひらがなが主体の、平易な文体である。
おっかなびっくりウィッカを受け取り、中を覗き込み、彼女は悲しそうに首を振った。
「アタシ、もじ読めないの」
「足し算は、知ってる? 一+一は、いくつか分かる?」
「んん……二つ?」
指を折りつつの、たどたどしい答え。
「それじゃあ、十+五は?」
「……わかんない」
ややあって、首を振って答える。
彼女の同僚からの訴え通りだ。
仕事の休憩中、ファッション誌に載っていたスカートが可愛い、と彼女に見せたところ、文字が読めなかったのだ、とその同僚は訴えていた。
「普通、ビーストって義務教育受けてるんでしょ? あたしより皆賢いはずなのに、なんであの子は、足し算も満足に出来ないの?」
彼女の同僚は、涙声で通信してきたという。
そこでようやく、空中に歪みが生まれる。
「わぁ! おばけ?」
サウジーネが悲鳴を上げた。
現われたのは、今日ではあまりお目にかからない、書類の束だった。