第十一話 本音
カバンの中身は、大学での文具、と思しきシミだらけのノートと、筆箱にすら入っていないシャープペンシルと消しゴム。チラシやら、レシートの束。カバンと同じブランドの財布と、傷だらけのウィッカ、コンタクトレンズのケース。
そして、ラベルの付いていない小瓶に入れられた、赤黒いカプセル剤。
「こいつぁ、なんだよ?」
誰よりも素早かったのは、メフィストだった。ひょいと瓶をすくい取り、ためつすがめつ眺め、そしてこちらへ放り投げた。
小瓶は狙い澄ましたように、私の胸元へ。コントロールいいな、君。
「なぁ。そっちで、何の薬か調べられねぇのかい? ウサ公、オフィスにいんだろ?」
「やめろって! フツーのカゼ薬だよ! 返せよ!」
小瓶を取り返そうとする久志を、片手でいなしながらの、横柄かつ横槍な申し出だ。
しかし、慌てる久志の様子も、尋常ではない。
頷き、左耳の小型ヘッドセットに手を当てた。
「サキ、今大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
快活な声が、ややあって返って来た。
スーツのジャケットにも、社章型のカメラは取り付けている。
よく見えるよう、小瓶を襟元にかざす。
サキムニからは、ちょっと待ってくださいね、とリズミカルに返答があった。
そして
「外見だけでの検索ですけど、その黒っぽい物質に該当する医薬品は、市販分でも、病院取扱分でも見つかりませんね。個人で輸入出来そうな海外のお薬でも、該当なしです。その物質を入れているカプセル自体がそもそも、漢方薬なんかを詰めるために、薬局なんかで市販されているものみたいですよ」
「つまり」
「久志さんは市販の空のカプセルに、医薬品でない、正体不明のものを入れて持ち歩いている、ということですね。怪しいですよね、正直……」
その旨を、周囲へも伝える。
「今回の本筋からは外れるけれど、可能なら薬を持って帰ってきて欲しい、と課長からも伝言です」
出向中とはいえ、さすが警察官。キナ臭い事象への食いつきは素早い。
了解、と答え、張り詰めた空間を見渡した。
梅ノ辻家の面々は、困惑の色を浮かべている。
久志の顔色は青い。どうやら、お持ち帰りされては困るカプセル剤のようだ。
ケンカ相手の劣勢を見逃さず、犬歯を見せ、メフィストが笑った。
「中身はサプリなんて、甘っちょろいモンじゃあねぇよな? やべぇクスリなんだろ?」
その当てずっぽうな挑発に、見事引っかかった。
久志の顔は青から白、そして土気色に変貌。
次いで、彼は中身を失ったカバンだけを抱きしめ、立ち上がった。玄関目がけて走り出し、そのまま靴も履かずに飛び出す。しかし、
「戦いから、背を向けてはいけない!」
私やメフィストよりも速く、体脂肪率一桁の巨体が畳を蹴り、玄関を走り抜け、久志の足に食らいついた。
レスリングやアメフトの選手も顔負けであろう、見事なタックルである。
久志は顔から倒れこんだ。
「ぃってぇ~……もう、やだよぉ、離せよぉぉお!」
先ほどまでのふてぶてしさは霧散し、転倒時にぶつけた鼻から血を垂れ流し、久志はわめいた。涙目である。
そして、ゼパールも、どういう訳か涙を流していた。
「情けない、情けないぞ、久志君! たとえ後ろめたいことがあろうとも、逃げることが、最も卑怯な行いなのですよ!」
久志に馬乗りのまま、号泣している。遅れて出てきた史は、孫の友人が怪しいカプセル剤を所持していたというのに、
「ゼパールは、熱血で、一直線過ぎるのが玉に瑕ね」
と、のんびりしたものだ。年の功だろうか。
「警察、呼ばなきゃ」
彼女の隣に立つ護が、ぼんやりとつぶやいた。思わず振り返り、彼を見た。
「それは、久志君が麻薬を持っているみたい、だから?」
こちらの視線に一瞬怯んだが、白い頬をかすかに染め、護が頷いた。
頷き返し、彼の目の前でヘッドセットをいじり、警察へ回線をつなぐ。
そしてウィッカを開き、カメラに録画された久志の逃走~捕獲までの映像をつまみ出して、青柳宛に送る。「警察へ連絡済。根回しお願いします」とメッセージも添えて。
ウィッカを操りながら、無表情の護を見据える。
無表情、というよりも、どこかに表情を置き忘れているように見えた。
「冷静だね、君は」
護は目をぱちくりさせて、しどろもどろに答えた。
「久志は、なんか、一応、今までだらだら付き合いあったけど、クスリはやっぱ、なんか、やり過ぎだと思うし……」
「そうだね」
首肯する。
すると彼の瞳に、一時、迷うような色が見えた。
「ばあちゃんと……あと、ゼパールのこと、酷く言われたのが、許せない、のもあると思う」
促すように、再び一つ頷いた。護はこちらへ顔を寄せ、かすれた声で問いかけた。
「その、俺の考え方って、どうなんですか? 小さい頃から、ゼパールに遊んでもらってたのもあると思うけど……友達より、ビーストに肩入れするのって、やっぱ変、ですか?」
虚を突かれるような問いかけだった。
無意識に、私はゼパールと、そしてメフィストを見ていた。続けて空をにらむ。
「どう、だろう。ビーストを家族同様に扱うお客様もいれば、あくまで労働力として扱うお客様もいるので、私にも分かりかねますが」
自分の思考も、正直なところ定まっていなかった。ただ、どろどろと、考えの煮詰まらない脳内から、なんとか「それらしい」言葉を抽出する。
「弊社としては、家族同様にビーストを信頼していただけることは、嬉しい限りです」
「お姉さんって、やっぱ大人ですね」
初めて、護が笑顔を見せた。その涼しげで、どこか達観した微笑は、彼の祖母ともよく似ていた。
「俺とか久志と違って、すぐ本音出さないっていうか」
褒められているのか、暗に非難されているのか。我知らず肩をすくめる。
「おばさんや、お兄さん呼ばわりされなかったことを、光栄に思います」
「あ、今のは本音?」
素直にうなずく。ウィッカも閉じる。
「久志に男って言われた時も、マジ切れしてました?」
「してた、してた。するに決まってるでしょ」
護の笑みが、少し深くなる。
だからつい、煮立った思考の外にある、嘘偽りない言葉を、ぽろりとこぼした。
「私もゼパールさんは、気が利いて、情け深い、とてもいい『人』なんだなって思った」
今度こそ護は年相応の、屈託のない笑顔になった。
それを見て、なぜか安堵した。




