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歯車と人外の近未来図  作者: 依馬 亜連
第二章 老女とビースト

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第十話 闘牛

「あなたは、私の不手際を責められるべく、いらっしゃったのだろう?」

 リンゴを粉砕できそうな大きな手が、バンッ!と、座卓へ打ち付けられた。

「奥様と、坊ちゃまへの言われなき中傷は、この場で必要なことなのですか!」

 生唾を飲み、久志がわずかにのけぞる。護も隣で、目を見開いていた。

 ゼパールの剣幕に慣れているのか、史とメフィストは、ゆるい語調で彼をなだめた。

「まぁまぁ、ガキの言うことなんざ、気にすんじゃねぇよ」

 さっきまで、そのガキと口論していたのを棚に上げ、能天気な慰めである。

「そうよ。他人の家の匂いって、けっこう気になっちゃうものよ? それに私がババアなのも、護がぼんやりしているのも、事実でしょう?」


 我に返った護も、白い手を広げ、おずおずとフォローを入れる。

「……ほら、ゼパール……あのさ。別に久志も、カッとなっただけで、本気で言ってるんじゃないからさ」

 それでもまだ、憤りは収まらないのか、猛る闘牛のごとく、ゼパールは目を血走らせている。久志もその視線に、先ほどまでの尊大さを、削り取られつつあった。


 今回の面談の目的は、久志の怪我は「単なるアクシデントによるもの」として、彼をなだめすかし、示談へ持ち込むことだった。

 彼が負担している治療費用の肩代わり程度なら、引き受けても構わない、と青柳からもゴーサインは出ている。

 平和的解決の為なら費用を惜しまないのが、我が課長の少ない長所である。


 だが、もしここで、ゼパールが本当に久志へ暴力を振るってしまえば。

 状況は一変し、圧倒的に不利な展望を見せる。示談なんて、夢のまた夢だろう。

 下手をすれば、おそらくゼパールは廃棄処分。史とプランシー社の契約も切れるだろう。そうなれば、また青柳にどやされる。

 それはさすがに、色々と心が折れる。

 バカ二人に踊らされた挙句、そんな苦境に立たされてたまるものか。


 息を一つ吸い、気持ちを改める。表情は出来るだけ爽やかな、女性受けがいいと評判の営業スマイルへ。

 座卓へ身を乗り出し、わざと声のトーンを上げた。

「みなさん、少し落ち着きましょう。話も少々逸れてしまっています」

 メフィストと、梅ノ辻家の面々は、その声にハッとした表情を浮かべてくれた。

「も、申し訳ありません」

 ゼパールも両手を膝頭に戻し、赤い顔でうつむく。彼へもにっこりと微笑み返す。

「冷静になっていただけて何よりです。それではもう一度、ゆっくり話し合いましょう。今大事なのは、久志さんのお怪我の具合と」

「あのさ、兄ちゃん」

 気だるげな声が、自分へ向けられたものだと、すぐには気付けなかった。


 背後の箪笥にもたれた久志は、どんよりした目で、こちらを見上げていた。

「あんたってさ、『僕、学級委員やります!』的な感じのガキだったでしょ?」

「は……『僕』?」

 引きつった私の顔に構わず、低いトーンで久志は続ける。

「っつーか、今もそうでしょ? 仕切りたがりって言うの? オレ、そういう男、生理的にムリなんっすけど。椎茸と同じぐらい、無理」

「椎茸……」

 冷静に考えれば、夏の暑い中、上下スーツ姿で長身の自分が、男に間違えられる可能性は、ゼロではないだろう。胸も尻も、小振りなのは重々承知。

 ただ残念なことに、メフィストと久志の丁々発止にうんざりしていた心に、そこまでの冷静さや、寛容さは残っていなかった。

 残機ゼロだった。いや、今のやりとりでマイナスに突入していた。


 怒りで我を忘れる、という言葉を聞いたことはあったが、経験したのは、今日が初だった。

 気が付けば、久志の身体を両足で挟み込む形で、仁王立ちとなり、彼を睥睨していた。

 ただうっすらと覚えていることは、自分でも驚くほど自然に、俊敏かつ無音の内に体が動いていたことだけだ。

 明かりを背に、真上から淡々と、顔面蒼白の学生へ言葉をぶつけた。

「私は女だ。ついでに言えば、学級委員ではなく掲示係だった」

「ガキん時からデカかったのかよ」

 メフィストの茶々入れは、無視する。

「そして、本筋から逸脱した話で、これ以上業務を長引かせるのは、止めていただきたいものです。長話をされたからといって、有利な状況が発生することは、まずありません。あくまでも事実に基づき、弊社は判断いたしますので。また、お宅をお借りしている、梅ノ辻さんにもご迷惑をかけている旨、ご理解なさっていますか?」

 男と勘違いされても仕方がない、低い声でゆっくりと、彼の鈍そうな頭に言葉を叩き込ませる。


 これは、また新たなクレームが発生するかもしれないな、と少し経ってから気づいたが、もう遅い。本末転倒だ。

「……なに、マジになってんの。ウケるし、つーか、引くし」

 久志自身は笑っているつもりらしいが、顔半分はぎこちなく凍ったままだった。

 そして私との距離を取りたいのか、不器用に体を滑らせる。

 足元に置かれていた、彼のカバンが、そのはずみで横倒しになった。

 メフィストにクソ扱いされたそれは、口が開けられたままだったらしく、中身が畳の上に散乱した。

「やべっ」

「ん?」

 久志の上ずった声と、荷物に目を奪われた者たちが上げた疑問符は、ほぼ同時だった。

 なお、ゼパールがアレな格好なのは、「街に出没するストリーキング」という当初のイメージ像の名残りです。

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