December 9 (Sun.) -1-
- - <メール本文>- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
お父さんへ
今日はみんなででかけることになりました。
車じゃなくて外に出るのはひさしぶりです。
今からちょっとドキドキしてます。
詩織
'57.12.9(Sun.) AM8:05
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
* * * * *
マンションから10分ほど歩いたところに、『運動公園』の看板を掲げた広場がある。フェンスで囲われ、サッカーゴールとバスケットゴールが置かれて、一応野球もできる程度にはスペースが確保されている。詩織がここへ来たのは3度目だった。
今日もよく晴れていて空が高い。
が、周囲に人影はなく、持参のシートを敷いてのんびりとくつろぐにはちょうどよかった。
「……なんか、すごいね」
「うん! すごいね!」
とはいえのんびり座っているのは詩織とクリスだけだ。
到着後、花柄のビニールシートを敷き終えるやいなや、アンジュはいきなりハイキックを繰り出した。不意をつかれたアズマは、それでもとっさにしのいだ。アンジュがにやりと笑ったのを、詩織は見た。
そのままの流れで、2人はかれこれ30分近くやり合っている。
アンジュが連続の突きから膝蹴りを見舞った。アズマはそれをいなし、一瞬の隙を逃さず中段蹴りを放つ。どちらも息を呑むほどに速い。
「すごい、ね……」
詩織の口からはそれしか出てこない。目は釘付けのまま、冷えた指にはーっと息を吐きかけたところで、2人が後方に飛び離れて距離をとった。
「悪くないわ。けれど、キレイすぎて実践向きではないわね」
アンジュが「終了」とばかりに腰に手を当てた。深く息をついたアズマは、手で左腕に触れた。
そういえば、と詩織は思い出す。手合わせの最中、アズマはほとんど左手を使おうとしなかった。アンジュもそれを指さして指摘した。
「まだ動かすのはつらい?」
「……」
「それとも、“左手”を使うのが不安なのかしら……?」
詩織はそろりと立ち上がり、2人が途中で脱ぎ捨てた上着を拾いに行った。うしろからクリスもついてきて、アンジュのコートを持ってくれた。
「仮にそうだとしても、できるだけ左も動かしなさい。全体のバランスが悪くなるわ」
「おねえちゃん。はいっ」
「ああ、ありがとうクリス」
「タオルいります?」
「ありがとう、詩織ちゃん。でも、これは私より――」
アンジュは微笑すると、詩織が手渡したハンドタオルを放り投げた。それをアズマが片手でキャッチする。
アズマは、少しばかり血色がよくなっているせいか、家を出る前より健康そうに見えた。
「すっかり汗をかいてしまったわね。のど乾かない、アズマ君?」
そしてアンジュの方はといえば、今まで本当に運動していたのだろうかというほど涼しげな様子だ。コートのそでに腕を通すと、軽やかな所作で白いポーチを拾い上げた。
「途中に自販機があったと思うから、買ってくるわ。クリス、運ぶのをてつだってくれる?」
「はーい!」
「詩織ちゃん達は荷物を見ていてね」
「あ、はいっ」
「すぐに戻るわ」
アンジュとクリスは手をつなぎ、公園の外へ出ていった。
詩織は1歩、後ろに下がった。
「あの。座りません、か」
アズマはじっとフェンスの外を見ている。――が。
「あいつ」
「え」
「化け物だな」
それだけ言って、上着を肩にひっかけながらシートに腰を下ろした。
彼が自分から口を開いたのはいつ以来かわからない。けっこう意外で、詩織は一瞬ぽかんとしてしまった。
黒い瞳が詩織に向けられた。「何をしてる」と言われた気がした。
「あ……え、と」
口ごもりつつ目をさまよわせるうち、ふと気付いた。アズマはまた左腕を押さえている。詩織はちょんとシートの上に膝をついた。
「ほんとに、だいじょうぶなんですか、腕……」
アズマはちょっと目を見開き、次いで視線をそらした。
「別に」
「痛かったり、とか」
「いや」
「あ、それなら。よかったです」
詩織はすとんと肩の力を抜いた。
沈黙。
アズマは無人の広場のどこかを眺めつつ微動だにしない。詩織もそれにならってじっと座っていた。それでも、いつになく穏やかな雰囲気だった。
しかし。寒い。
不意に冷たい風が吹きつけ、詩織は思わず首をすくめた。
アズマの視線が動き、何事か言いかけたように、見えた。
「――っ!!」
言葉はなかった。アズマは突然腰を浮かせ、そのまま硬直した。
詩織が何事かとまばたきした時。
「やあ。ひさしぶり、かな」
後方で低くやわらかな声が聞こえた。
詩織はなぜか、全身にぞくりと怖気が走るのを感じた。
* * * * *




